Books-Sociology: 2013年1月アーカイブ

・希望論―2010年代の文化と社会 
41erLnFxP+L._SL500_AA300_.jpg

二人の気鋭の社会学者が2010年代の日本と世界について熱く語り合った本。対談なので、結論を出すわけではないが、その分、読者が考えを深めるための材料がいっぱい見つかる内容だ。日頃、ネットカルチャーについてもやもやしていることを次々に明瞭に言語化し軽快に批評する。この二人はやはりすごい。

気になったところを引用してコメントしてみる。

「宇野 そう、現代におけるインターネットは拡張現実「的」なのだと思います。ここで言う拡張現実的なものとは現実と虚構の現在、現実の一部が虚構化することで拡張することです。それは言い換えれば日常と非日常の混在でもある。ソーシャルメディアの普及以降、バーチャルな空間に閉じた人間関係を探すほうが難しい。インターネットは現実のコミュニケーションを「拡張」する方向にしか作用していない。」

リアルとバーチャル、リアルとネットが相互に重ねあわされる時代ということなのだが、リアルがバーチャルに移行するとか垣根がなくなるというのではなく、重なり合って拡張するのだということ。このコンセプトは現代の多くのデジタル化、ネット化現象についての基本原理だと思う。

濱野さんが世代間格差の問題について触れた個所。

「濱野 そもそも震災復興の問題に限らず、日本はこの十数年、ずっとこのデジタルディバイドが日本社会における「希望」をスポイルしてきたと思うんです。ここで僕がデジタルディバイドと言うのは、要するに世代差です。日本では若いデジタルネイティヴ世代と置いたアナログネイティヴ世代の世代間対立がはげしく、これが日本社会の変化を妨げている。ある一定より上の世代は、インターネットなんてものはよく分からないオタク系の若者だけが使っている暇つぶしツールだろとレッテルを貼るばかりで、まともに扱おうとしない。」

ある一定より上の世代の人口ボリュームがかなり多いのが日本の問題なのだと思う。生き方を変えてもらうことは不可能だろう。いっそ日本を日本と新日本に世代で分断して、二つの国にしたら希望が湧いてきたりして。でも私とか微妙な年齢だからどうしようか。

「濱野 アメリカのフロンティア精神を体現しているインターネットをそのまま日本に輸入すれば、日本社会もアメリカのように変化するはずだ。だからそれが希望なんだという立場は、たしかに美しい話に聞こえる。しかし、残念ながら、こうした「技術が社会を変える」という議論は社会学的には「技術決定論」といって、あり得ない。なぜなら技術というのは社会の一部につねにすでに組み込まれているのであって、むしろ社会のあり方こそが技術の使われ方を決定していくからです。」

そうそう。この箇所、梅田望夫批判でもあるが、シリコンバレーをそのまま日本にもってきてもうまくいかないということ。外来植物の種を持ち込んでも、日本の土壌でうまく育つかという問題であると思う。いっそ土壌を入れ替えるという手もあるわけだが、結局、日本を動かしていくには、

「宇野 あとひとつ、2010年代のネットカルチャーに「希望」を見いだすとすれば、やはりそれは「政治」との回路をどうやって取り込んでいくのかが鍵になると思います。インターネット上をうろつく匿名集団が、ある種の「集合的無意識」として大衆の欲望を映し出すことで、わけの分からない奇妙奇天烈なネタがボコボコと生み出されてくる。2ちゃんねるやニコニコ動画は、そうしたネット的「生成力」の受け皿となってきた。それはそれでいいとして、問題はそうしたインターネット上の匿名的無意識が発揮する<文化的>なパワーを、どうやって<政治的>な回路に繋げ、これからの日本社会を変えていくための原動力に変換していくかだと思うんです。」

ということなのだろうな。

二人の議論は縦横無尽に飛んでいくが、ときどき希望というキーワードで収束する。新しいデジタル世代、ネット世代の側から、世の中を変えていこうと考えたときの現実的な視座を与えてくれる良書だ。

・Social Good小事典
51Ruhh+JiYL._AA300_.jpg

ソーシャルで始まるキーワードは多い。

ソーシャル メディア
ソーシャル ネットワーク
ソーシャル ゲーム
ソーシャル ビジネス
ソーシャル キャピタル
ソーシャル ラーニング
ソーシャル リーディング
・・・

現代世界において"ソーシャル"の持つ幅広い意味を、最先端の事例紹介ベースで把握することができる素晴らしい本。グローバル視野での情報量が圧倒的。この方面のトレンドを知りたい人には安心しておすすめできる、今が旬の本。

ソーシャルグッドという言葉は、日本語としてはまだ新しいが、「「ソーシャルグッド(Social Good)」を直訳すれば「社会」と「よいこと」です。今までは、例えばNPO、チャリティ、CSR、サステナビリティ、ボランティアと呼んでいたような枠組みや行為が、もはや一言で表現出来ないような状況になっていることから、この「ソーシャルグッド」なる言葉が、「社会によい行為」を広く意味する形容詞として欧米圏を中心とした海外において簡易的に使われているように感じます。」とこの本では定義している。

アクティビズム、社会リスク対応、メディア、お金、オープンビジネス、組織より個人という6章に、たくさんのグローバルトレンドが事例ベースで紹介されている。もともとは講談社のニュースサイト「現代ビジネス」の連載であるため数ページの読み切りの記事が続く。読みやすい。

先日、著者のソーシャルカンパニー代表の市川裕康さんと、この本の読書会を開催した。

8394775752_3e01be735e.jpg

イベントのディスカッションでは、海外と日本との違いについて質問がでていた。ソーシャルといえばソーシャルゲームやソーシャルメディアは流行っているが、ソーシャルグッドという観点ではどうなのか。震災復興のムーブメントが大きくあるわけだが、欧米に見られるような、エリート層や富裕層がソーシャルグッドに積極的にかかわっていくような、ノブレスオブリージュ的な動きがないのではないか、などという話もあった。キリスト教と仏教、文化の違いもありそうだが。

ソーシャルをめぐって世界でさまざまな事件や運動が起きている。ソーシャルという言葉自体の定義、ニュアンスが変容しているようにも思う。新しいテクノロジーが新しい「ソーシャル」を生み出している。凝り固まった政治や社会とは、無関係に新しい「ソーシャル」が続々と生まれてきて、世界を良くも悪くも変えていく。その変化の予兆をとらえるのに、この本はよかった。

このアーカイブについて

このページには、2013年1月以降に書かれたブログ記事のうちBooks-Sociologyカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはBooks-Sociology: 2012年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.1