Books-Sociology: 2006年4月アーカイブ
・「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス
社会学のフィールドワーク論。
「
聞き取るという営みは、単に相手から必要とする情報を効率よく収集する、という発想では、とてもできない。相手を情報を得るためだけの源であるかのように見ていると、それが伝わった瞬間、おそらく聞き取りは硬直し、相手との<いま、ここ>での出会いは失われていくだろう。
」
観測することが対象に影響を与えてしまう相互性という点では、量子物理学の観測とほとんど同じである。自然科学の客観的な観察が成り立つのは、実は実験室でできるごく限られた世界に過ぎない。「語りのちから」によって、聞き取る側の意見や価値観も変動していく。
「
現代の社会学には、私たちの暮らしの大半をおおっている「あたりまえ」の世界を解きほぐして、そのなかにどのような問題があるのかを明らかにしていこうとする営みがある。それはエスノメソドロジー(ethnomethodology)と呼ばれているものだ。
」
たとえば男性と女性が会話をすると、一般に、女性の発話に男性が割り込む回数が多い。女性は男性の話にあいづちをうったり、うなずく回数が多い。男女同権がタテマエ的には成立している、「あたりまえの」私たちの社会でも、男女の間には隠れた権力関係が存在していることがうかがえる。
多くの人が、ニート問題や差別問題、犯罪者の経歴などについては、無意識のうちに高みや客観的な立場から発言してしまいがちだ。たとえば「私は差別したことも差別されたこともない普通の人間なのですが、あなたの差別体験を教えてください」など発言してしまう人がいる。その普通感が差別の源かもしれないのにである。
無意識のあたりまえがあることを著者はいくつもの事例を使って指摘している。道具としての「カテゴリー化」、特定のコミュニティで特権的な地位を占める語り=「モデル・ストーリー」、全体社会の支配的言説=「マスター・ナラティブ」「ドミナント・ストーリー」が、聞き取りをするもの、されるもの両者の言説の背景にあることを理解する必要があると著者は書いている。
社会学の学生や教員向けに読み物として書かれているが、部外者として何かを当事者から聞き取る際のノウハウ本として読むことができる。
明治のはじめ頃、男子学生の恋の相手はふたつあった。ひとつは遊郭や盛り場で働く女性で、もうひとつは同じ男子学生。前者を相手にすると「軟派」、後者なら「硬派」と呼ばれた。意外にも「硬派」は本来は同性愛を志向する男性を指すことばだったのである。女子学生というものが少なかったこともあるが、成人してお見合い結婚することが当然の時代では、今でいう男女交際という概念自体が存在していなかったのだ。
「男女交際」という言葉は福沢諭吉らによってつくられた。福沢は英語の”Society”を「交際」と訳して日本に紹介した人物でもある。男尊女卑の当時の環境を欧米に対して遅れたものと考え、日本を男女同権につくりかえる上で、必要な制度として男女交際は生まれた。明治16年の離婚率は37.6%で、これは2002年の数字とほぼ同じ。安定した社会を築く上でも男女のマッチングの最適化は国の重要課題といえた。
東大学長を主宰とする「男女交際会」に紳士淑女が集まり、ぎこちなく会話を始める様子が当時の文献から引用されている。真面目に書かれた会の事業内容は、自由談話、文学書などの解題批評、美術品の鑑賞、会員の5分間演説(夫人中心)、講話、家族懇親会、音楽会など。当時の一流知識人たちは、頭ではわかっていても、なかなか異性に親しく話しかけられず、当惑していたようだ。
男女交際が一般化すると、恋愛哲学が生まれた。たとえば恋愛神聖論である。それはこの本のタイトルにもなっている「情交」と「肉交」の論争であった。恋愛と性欲がこの時代は厳しく区別され、精神性に重きが置かれた。
「
つまり「上等」な人々には「上等」な恋愛ーーー精神的恋愛ーーーが、「下等な」人々には「下等」な恋愛がある、という差別的な構造を恋愛のなかに築いていったのです。そしてそのもっとも高度なものとして、最終的に登場したのが「プラトニックラブ」でした。それは高学歴の男女にだけ許されるある種特権的な恋愛形態だったのです。
」
そして本当の自由恋愛が確立されるまでには長い道のりが必要であった。女性の社会進出が進む中で高学歴で結婚しない女性が増え「オールドミス」と呼ばれて批難された。実際、女子高等師範学校の卒業生の56%は未婚であった。当時の恋愛哲学や世の中の風潮では、不美人、貧乏、学問好きは結婚対象としては敬遠されていたからだ。
しかし、時代がさらに進んで、女性の地位向上が進むとやがて女性の知性も好ましい属性として評価されるようになった。知的な女性は美しい。そして、性欲もまた人間にとって自然なもの、精神性と両立するものとして認められるようになった。男女交際とは、意外に人工的に形作られてきたものだということが、よくわかる。
明治から現在に至るまでの男女交際と恋愛哲学の進化史が、豊富な各時代の風俗を伝える文献と解説により、とても面白く読める本であった。恋に落ちるのはいつの時代も変わらないのだけれど、男女交際のスタイルは自然ではなく文化なのだ。
・人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003812.html
・チャット恋愛学 ネットは人格を変える?
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003653.html
・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html
・夜這いの民俗学・性愛編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002358.html
・オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002189.html
・気前の良い人類―「良い人」だけが生きのびることをめぐる科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002095.html