Books-Science: 2011年3月アーカイブ

・科学コミュニケーション-理科の<考え方>をひらく
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専門家と一般人の間をつなぐのが科学コミュニケーション。

科学技術を利用して持続可能な社会を実現するには、科学コミュニケーションのやり方を、情報伝達のコミュニケーションから、共感・共有のコミュニケーションへと変えていかねばならないという主張の本。

面白い問題が紹介されていたので、ちょっと紹介する。

Q:ここに4枚のカードがあります

A
D

「一方の面が母音のカードは必ず裏が偶数」という法則があるとします。この法則を確かめるにはどのカードをめくってみればよいでしょうか?。

この問題の答えは、Aのカードと3のカードだが、一般の学生でやると正解率は25%に満たないくらいであるそうだ。

一方で、

Q:
ビールを飲んでいる人
コーラを飲んでいる人
十六歳の人
二十五歳の人

がいて、「ビールを飲む人は二に十歳以上である」という法則を確かめるには、誰に質問すべきでしょうか?、という問題を出すと、ビールを飲んでいる人と十六歳の人に聞けばいい、と9割の人が正解するという。

この二つの問題は同じ構造の問題なのに、社会的問題にした方が圧倒的に考えやすくなる。後者の問題は、深く考えずとも、感覚的に答えることさえできる気がする。

20世紀ソ連の心理学者レゴヴィツキーは、人間の概念を、教育によって習得する体系化された「科学的概念」と、生活の中で身につける自然発生的な「社会的概念」の2つに分類した。多くの人は、科学的・論理的に考えるよりも社会的な見方で考える方に慣れている。

「宇宙も原子も生命もどんな科学の話も、この世界の時間と空間の中に配置された物語として語ることで、人は実感としてわかることができるのです。」

科学者は「因果関係による理解」に慣れている。一般人は「物語による解釈」を必要とする。科学の問題を、社会の問題として、専門家と非専門家が共に考えるには、「情報伝達」のコミュニケーションだけでは不足であり、むしろ「共感・共有」のコミュニケーションこそ肝なのだ。

「私たちが私たち自身の未来を選ぶためには、まず最初に、現状把握と未来予測をしなければいけません。私たち自身が実際の分析を行うのは無理でも、専門家が出した具体策や数字に対して、私たち自身が判断をくだすのです。そのためには、批判的で健全な科学的感性や確率論的感性が、知的市民に備わっていなければなりません。次に、判断して選んだ具体策を、私たちみんなが同意しなくてはいけません。そのためには、危機に陥る原因となったそれまでの価値観を変革し、新たに選んだ価値観を共有しなくてはなりません。解体に向かった人々の間の結合も、何らかの形で再結成しなくてはなりません。すなわち、こういった知的市民の選択と採用に寄与することこそ、共感・共有に基づいた科学コミュニケーションの仕事なのです。」

従来の「サイエンスカフェ」式の科学コミュニケーションのありかたでは、もともと科学が好きな人を集めているだけで、肝心の科学に関心の薄い人たちが参加していないという問題提起や、実は話す人の人選(人柄)で成否が決まることが多いという科学コミュニケーションの現実の指摘など、本質を見ているなあと感じた。

科学コミュニケーション。これからの環境やエネルギーをどうする?と、マジで考えなくてはならない日本人全体の問題になりつつある。