Books-Science: 2010年2月アーカイブ
「生きている天才100人」で日本人最高位に選ばれたロボット研究者 石黒浩氏。どきっとするくらいリアルな女性と子供アンドロイド、自身にそっくりな遠隔操作の"ジェミノイド"を制作したり、ロボットと人間が演じるロボット演劇をプロデュースしたり、「先にまずロボットやアンドロイドを作ってみて、そこから人間を知る」構成論的アプローチで、人間の脳や心のしくみ解明に迫る。
人間のように心をもったロボットを作ることはできるのか?という問題に対して、著者は「人に心はなく、人は互いに心を持っていると信じているだけである」と言い、心を持っていると信じさせるための条件を探す。
自律型ロボットのロボビーの展示では、
「このロボビーと遊んでみた人は全員一様に、ロボビーには感情があると言う。むろん、我々開発側としては、感情生成機能は一切実装していない。しかし、たとえば、しばらく遊んだ後でロボビーが突然「バイバイ」と言って離れていくと、「ロボビーは冷たい」とか「ロボビーは怒ったのかな」と言う。あるいは、ロボピーが部屋の隅で「誰か遊んでね」とつぶやいていると、「ロボビー、寂しそう」と言う。さらにおもしろかったのは、研究所に来た客が、あるロボビーと遊んでいると、部屋の隅にいたもう一台のロボビーがやってきて、その二人の間に割ってはいり、「遊んでね」と言って別の遊びを始めた。その様子は、本当にそのロボビーが嫉妬しているように見えた。」
ロボット演劇においても、演劇のプロの指導で設計された動作をするロボットを見た観客たちは、ロボット役者に心を感じた。これは「役者に心はいらない」のと同じである。本物の役者だって演技中は何を考えていようが、観客に見える動作が決まっていれば、情動を表現できる。
ロボットが人間にそっくりであればあるほど、そうした力が強くなる(不気味の谷という例外はあるが)という仮説のもとで、著者はひたすら人間にそっくりのアンドロイド制作を続けてきた。
よく雑誌やテレビで取り上げられている自身とそっくりの"ジェミノイド"は、遠隔操作で動かすロボットだ。リモートで人間が操作する、訪問者とジェミノイドとの対話が五分ほど続くと、操作する者は、ジェミノイドの体が自分の体であるかのような錯覚を覚える。ジェミノイドの頬を突っつかれると、本当に自分が頬を突っつかれた気分になるらしい。不意に触られると不快感を覚えもするという。人の心は容易に憑依する性質があるということか。
ロボット工学の技術論はほとんど出てこなくて、人間らしさ、人間とは何かをひたすら追究していく著者の姿勢は、哲学者のよう。人間と同等の常識や高度な推論系を持つ人工知能なんていつまで待っても完成しないだろうが、このアプローチだったら案外に近い将来、人間と見分けがつかないアンドロイド、出来てしまうかもしれない。生きている天才に期待。
・自分そっくりのコピーロボット開発に世界仰天!石黒浩/Tech総研
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/rnc/docs/ct_s03600.jsp?p=000923
・大阪大学でロボット演劇「働く私」が上演
~「エンターテインメント型実証実験」で近未来を疑似体験
http://robot.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/11/27/1468.html
・ロボット
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-714.html「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです。」
「パラダイム」概念の創始者トーマス・クーンの研究。
一般にパラダイムという言葉は「考え方の枠組み」や「新しい物の見方」という程度の意味で使われているが、クーンの原義は「その領域の研究活動を特徴づける模範例となる科学的業績」を指す。枠組みや見方ではないのである。この誤解はクーン自身の乱用も原因だったらしい。クーンは文献の中で21通りもの異なる意味で使っていると他の研究者から指摘されている。そこで「専門母型」という厳密な概念も生み出したが、こちらは流行らなかった。
クーンによると科学の歴史的展開は「前科学→パラダイムの形成→通常科学→変則事例の出現→危機→科学革命→新パラダイムの形成→通常科学」というサイクルを繰り返す。器官として長いのは知識を累積させて連続的に進歩を重ねる通常科学の時代だ。だが、地動説、重力、相対性原理の発見のような新たなパラダイムが形成されると世界観は革新される。クーンはその模範例の出現に科学の断続的で飛躍的発展のきっかけをみた。
同時にふたつのパラダイムを信じることはできない。しかし、通約不能な新旧パラダイムを奉じる科学者同士は、まったくコミュニケーションができないわけではないとクーンは考えた。「あるパラダイムから別のパラダイムへの移行は、それゆえ論理学の問題ではなく、クーンによればそれは社会学や心理学が解明すべき問題なのである。」ともいう。
「コミュニケーションの途絶状態にある参加者たちにできることは、お互いを異なる言語共同体のメンバーと認めた上で、翻訳者となることである」。
その時、翻訳者は常に「唯一の正しい翻訳」を確定できないことを前提としいる。"トンデモ"とか"異端"に対して寛容であることが一流のイノベーターの条件ということになるのだろう。(寛容度を極限まで高めるファイヤアーベントの「知のアナーキズム」も後半でパラダイム論と絡めて論じられている。)