Books-Science: 2008年7月アーカイブ

・解読! アルキメデス写本
51xh2BeJx5RL__SL500_AA240_.jpg

1998年10月29日にニューヨークのクリスティーズで、アルキメデスの論文が収められた貴重な写本が競売にかけられた。220万ドルという高額で落札されたこの写本には『方法』『ストマキオン』『浮体について』という他のアルキメデス写本には含まれていない重要論文が含まれていた。これは写本「アルキメデス・パリンプセスト」の保存と解読にあたった研究者チームが、最先端の解析技術者や時代考証の専門家らの力を集めて、困難な解読プロジェクトを成功させるまでを描いたドキュメンタリである。

著者らは「ひるがえって、ヨーロッパの科学の歴史をいちばん無難に総括すると、アルキメデスに対する一連の脚注からなると言える。」とし、ガリレオ、ライプニッツ、ホイヘンス、フェルマー、デカルト、ニュートンなど後世の偉大な科学者たちの仕事は、アルキメデスの方法論を一般化したものであるという。

解読プロジェクトには大富豪のパトロンがいたため資金面では問題がなかったが、作業には長期間を費やした。最初の3年半を過ぎてもまだ写本の「綴じ」がほどけなかったくらいだ。実はこの写本は厳密に言うとアルキメデス論文の写本ではなかったからである。後世のキリスト教の学徒が当時貴重だった羊皮紙を再利用するために、元の写本を再利用して祈祷書に作り直したもの、なのだ。

複数の古本のページをばらして、文字をこすって消し、新しい一冊の本に仕立て直した上で、祈祷文を書いてある。しかも幾度か接着剤を使った中途半端な修復が試みられており状況を悪化させていた。まずはページをばらしてアルキメデス写本の順番に再構成する。そして最新の光学技術とコンピュータを使って消えた文字を浮かび上がらせる。そのようにしてかろうじて判別できる文字と図像を専門の研究者が読み取る。当時の数学と物理学に照らして時代考証にかけて、論文の意味、重要性を検証するのである。

この本は写本の中身、アルキメデスの発見した数学について、全体の3分の1程度を使ってとても詳しく解説されている。円周率、順列組み合わせ、微積分、実無限...アルキメデス自身の論文がどのようなものであったかを知っている人は歴史的にもかなり少なかったらしい。「実は、アルキメデスは伝説的な存在ながら、ほとんど読まれていなかったからだ、<中略>アルキメデスは基本というにはむずかしすぎて、理解できる人はごく少なかった。」からだそうだ。

実際、ここには二千数百年前(日本の弥生時代!)とは思えない高度な数学が展開されている。長い間、私のアルキメデスのイメージといえば、お風呂に物体を入れて溢れた水でその体積をはかった「エウレカ!」の人であった。だが、この逸話は後世の作り話らしい。本当のアルキメデスの発見はそのような単純なレベルの発見ではなかったことがよくわかる。

アルキメデスは、科学的な観察装置を持たず、純粋に思考の積み重ねによって、数学の基本原理を次々に発見している。その意味を理解できる数学者は、当時の地中海に数十人しかいなかったのではないかといわれる。

「アルキメデスにとって、物理学と数学の組み合わせが重要だったのは、物理学のためではなく、数学そのもののためだった。アルキメデスの大望は、天体の運動を解き明かすことではなく、曲線図形や局面図形を求積することだった。たまたま、わたしたちの宇宙では数学と物理学と無限とが密接に結びついているために、高度な純粋数学に目を向けたアルキメデスは、結果としてさらに近代科学の礎を築くことになったのではないだろうか。」

二人の専門家によってアルキメデス論文を直接読む科学史研究の章と、最新テクノロジーと地道な努力によって解読を少しずつ進めていく古文書研究の実態ドキュメンタリの章が交互に書かれている。科学史の教科書にはまだ書かれていない、最新の視点を与えてくれる興味深い一冊。

・アルキメデス・パリンプセスト公式サイト
http://www.archimedespalimpsest.org/


・ヴォイニッチ写本の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004123.html

・ユダの福音書を追え
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004582.html

・疑似科学入門
41VNz9IZNaL__SL500_AA240_.jpg

疑似科学情報の氾濫する状況に科学評論家の池内了が警鐘を鳴らす一般向けの啓蒙書。

わかりやすい説明で定評のある著者だけあって、疑似科学が流行る構造を平易に語っている。たとえば「幸運グッズ」はなぜ売れるのか。

「それが売れるのには理由がある。幸運グッズを買いたい心境になるのは落ち込んだとき、つまり(大げさに言えば)人生の逆境のときである。そこで、藁にも縋り付きたい思いで幸運を呼ぶというグッズに手を出してしまう。ところが、人生は山あり谷ありだから、逆境の時期はそのうち去って好調の時期が必ず訪れる。幸運グッズを買おうが買うまいが、いずれ時期が来れば不調を脱することができるのである。しかし、本人は幸運グッズを買ったおかげだと思い込んでしまう。」

疑似科学の特徴は反証ができないこと。哲学者のバートランド・ラッセルが出したティーポットの例え話を使って疑似科学のやり口をこう説明する。

「ある人が地球と火星の間に楕円軌道を描いて公転しているティーポットが存在している、という説を唱えたとしよう。ところが、そのティーポットは余りに小さいので最も強力な望遠鏡を使っても見ることができず、重力が小さいので地球や火星に及ぼす影響も検出することができない。そのため誰も反証することができない。」

詐欺師は専門家の意見や統計データを我田引水してティーポットの存在を信じ込ませる。相関があるからといって因果関係があるとは限らないのにあるように思わせる。地震予知、電磁波、健康食品、ガン特効薬、頭の良くなる式の脳科学など、専門家の世界でも意見が分かれる科学の最先端領域(未成熟科学)に、そうした疑似科学が多く発生する。

人間は認知に際して、たくさんのインプットを効率よく取り込むために、様々な近道をつかう。生物としては何かを信じないと生きていけないわけだから、できるだけ何かを信じるように人間の頭はできているわけだ。

たとえばそうした近道は、この本には

・認知的節約の原理
・認知的保守性の原理
・主観的確証の原理

などが紹介されているが、詐欺師はこうした信じやすい人間心理を巧みに利用する。
そもそも「人間には心のゆらぎがあり、非合理ではあってもそれを選びたい心理になってしまう。」だと著者は諦め気味に言う。そして「まだ理論や手法が確立せずデータの集積も不十分であるような科学」をどう見守るかが重要として、未成熟科学の見守り方を論じている。

疑似科学を擁護するつもりはないが、私が思うに人間は根本的に不合理が好きなのだ、と思う。非合理にはロマンがあるからだ。科学を進歩させてきたのもそのロマンを追求する情熱だったのだろうと思う。

・あなたはなぜあの人の「におい」に魅かれるのか
41-CVYF9EML__SL500_AA240_.jpg

嗅覚心理学の第一人者が語るにおいの心理と行動の関係。

大学生たちに脇の下にガーゼをあてた状態でハッピーな映画と恐怖映画を見てもらう。その後ガーゼを回収して、若い男女に「幸せな汗」「恐怖の汗」をかぎ分けてもらった。すると、女性は幸せのにおいを判断するのが上手だったが、男女ともに男性の恐怖の汗のおいをよく認知したという。一般的に快いとされる体臭は健康な人のもので、不快とされる体臭は不健康な人のものでもある。人間の嗅覚には人の感情や体調を嗅ぎ取る能力があるのだ。

不安なときには一親等の家族のにおいで安心する人が多いという研究もある。祖父母やおじでは半分に低下し、曾祖父母やいとこでは落ち着く効果はゼロになる。逆に性的な興奮を誘うという点では自分と遺伝特性(MHC遺伝子群)が異なる異性のにおいに人は強く反応する。だから万能の媚薬は存在しないが、人によってカスタマイズした媚薬は作れる可能性があるらしい。

最近まで研究価値がないと思われてきた嗅覚。視覚や聴覚、錯覚に比べると研究者も事例が少ない。一般人のアンケートでも失われたら困ると思われるからだの機能のランキングで最下位だったそうだが、実際には人間は嗅覚を失うと悲惨な状態に陥る。嗅覚障害者の事例が出ているが、食べ物の風味がわからなくなるだけでなく、世界との結びつきの感覚を奪われて、他者との関わりも薄くなってしまう。

「ヒトの情動系は、動物の嗅覚系が引き起こす基本的な動機が高度に進化し、抽象化した認識の解釈であると私は思います。動物仲間たちにとってのにおいはヒトには感情を生じさせますが、動物にとってのにおいとは、直接かつ明確な手段で敵の攻撃から身を守る必要性を伝えているのです。一方、私たちにとっての第一のサバイバルコードは変換され、感情の体験となります。それを「嗅覚・情動翻訳」と呼んでいます。」

ときとして、においが強烈に私たちの感情をゆさぶることがあるのは、根の深いレベルで情動と結びついているからなのだ。しかし、言語学において言葉と意味が恣意的な関係であるのと同じように、「におい」と「感じ」はほぼ完全に後天的な学習による恣意的な結びつきによるものであることが明かされる。

「におい関連学習の要点は、あなたが最初にある特定のにおいに出会ったときに、どのように「感じた」かが将来の快楽的な知覚を決定することにあります。私たちが好むにおいは最初に遭遇したときの状況が幸せであれば、肯定的な意味合いと結びつくものであり、嫌いなにおいは初めて嗅いだときに否定的な感情があったり、不愉快ななにかと結びついています。」

バニラが世界中で人を魅了する理由は、バニラが人間の母乳のフレーバー成分であり、多くのミルクに調合されているから、だそうだ。日常的に死体が燃やされているインドの川辺で幸福に生活を送る人であれば、死体のにおいが幸福な日常と結びつくことさえありえる。ひとつのにおいが複数の感覚を想起させることもある。たとえば実験でこれはなんのにおいかというラベルを張り替えて提示すると「パルメザンチーズ」のにおいが、あるときは「嘔吐」のにおいとして認知されるという例が出ていた。

人間は生まれてくる環境によって危険なにおいは変わるから、嗅覚は真っ白な状態で生まれて後天的に学習するように進化してきたようだ。だから、においは基本的に思い出のにおいなのだ。

プルーストの小説ではないが、においが強烈な過去のフラッシュバック体験を引き起こすのは私にもときどき体験する。青い草のにおいだとか、洗濯物のにおいなどがきっかけで幼児期のある瞬間がありありと再現される。そのフラッシュバックは強烈で正確である。著者曰くにおい「思い出の最良の鍵」なのだ。においの科学を追究していくと、超臨場感を持った思い出体感メディアが作れるのかもしれないと思った。

この本には、ガンをにおいで発見するイヌがいる、嗅覚を察知する電子的なセンサーの「電子鼻」が実用化されている、ハチの嗅覚で地雷探知ができる、など嗅覚に関する驚きのエピソードが満載である。