Books-Science: 2007年12月アーカイブ

・眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎
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なんじゃこりゃ、おもしろすぎる。年末になってこんな傑作と出会うとは!ノンフィクションだがミステリー小説のような趣もある第一級の医療ドキュメンタリ。

イタリアの高貴な一族が18世紀から現在まで原因不明の奇病に悩まされていた。50歳を過ぎたくらいになると、一族の中の何人かが異常な発汗と瞳孔縮小という症状を発症し、重度の不眠症になって死んでしまうのだ。遺伝性がある病気だったが、医師たちは長い間、ウィルスや遺伝子などの原因を特定することができなかった。

実はこの致死性の不眠症の正体は、ウィルスでも遺伝子でもなく、自己増殖する悪性のタンパク質が正体であった。ある形状を持ったタンパク質は”鋳型”を使って自己を複製して増えていき、やがて宿主の脳細胞を侵食して殺してしまう。殺人タンパク質の発見は「遺伝子が生物の形質を決定する」「生物だけが感染を引き起こす」という生物学の根本を揺るがす大発見であった。

そして、この一族の病は、18世紀に流行した羊の病気「スクレイピー」、20世紀前半に発見されたクロイツフェルト・ヤコブ病、20世紀後半にパプアニューギニアで発見された「クールー」、そして1980年代英国に始まり現代も続くプリオン病(狂牛病)と同じタンパク質の異常が原因であることが判明する。

ノーベル賞受賞の研究者たちの努力によって、プリオン病の発生の経緯が次第に解明されていく本書のスリリングな部分はつい最近の話である。プリオン病の原因は牛の飼料の原料であった「肉骨粉」を食べたこと、つまり牛の共食いが原因であった。パプアニューギニアの一部族にみられた「クールー」病は数十年前の人肉食が原因であった。「まるで生物のように増殖して感染を引き起こす非生物の分子」=殺人タンパク質は、煮たり焼いたりしても容易には壊れず、感染性を維持する。肉食が媒介した可能性が高いのである。

牛肉食が原因のプリオン病(狂牛病)は世界的な大騒動になったが、実は患者数は極めて少ない珍しい病気である。遺伝的に感染しやすい人とそうでない人がいるのだ。そうでない人が多数を占めるから広がらない。本書ではその原因は原始人類が八十万年前に行った人肉食にあったのではないかという仮説が提示される。

プリオン病(狂牛病)といっても吉野家で牛丼が食べられなくなった事件を連想するくらいで普通の日本人にはあまりピンとこないものだろう。だが、この本を読むとプリオン病の潜在的な恐ろしさを科学的に理解できる。現在のところ有効な治療法はない。患者が少数なので特効薬をつくる製薬会社もない。致死性の殺人タンパク質がさらに突然の進化を遂げて感染力を拡大した場合、人類壊滅の脅威にもなりうるのではないかと想像すると、産地がどこであれTボーンステーキは当面やめておこうと思った。