Books-Science: 2006年5月アーカイブ

・生物多様性という名の革命
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生物多様性(biodiversity)という概念についての研究。

生物多様性ということばには、科学的価値、政治的価値、社会的価値、精神的価値、美的価値など、あらゆる意味が内包されている。科学者は生命多様性の中に無限の潜在価値を見出している。環境運動家はこのことばを使って絶滅危惧種を守れといきまく。経済におけるエコロジー運動のお題目としても使われる。科学のことばであるにも関わらず、生物多様性ということばの裏側には、特定のベクトルを持った規範の観念や価値観が感じられる。

生物多様性ということばの指す意味は曖昧である。23人の著名生物学者へのインタビュー内容がこの本には抜粋収録されているが、多くの学者が生物多様性と自然ということばの違いを説明できなかった。自然はわかちがたく結びつき、相互作用しているので、ある種が他の種よりも重要だという判断はできない。パンダやトラも重要だが、そこらへんにいる名も知れぬ昆虫や、ありふれた小動物も、生態系に固有の役割を果たしている。

政治的に取り決められた絶滅危惧種リストの内容は恣意的なもので、人間が親近感を持ちやすい動物が選ばれやすい。本来は絶滅に瀕していようが繁殖していようが、生態系において固有の価値を持つという点ではすべての種が同列にある。よって、生物多様性が大切ならば、あらゆる自然を救わなければならないということにもなる。

全体論的な価値のある生態系に優先順位をつけることはできない。だから「生物学的な多様性の維持とは、”あらゆることの維持”の別の言い方と考えられる」という定義も引用されている。生物多様性は、強すぎるドグマの側面を持つ。

著者が本書で試みたのは、絶対視されがちな生物多様性の概念を、徹底的に相対化することであった。多数の有名生物学者にインタビューを行い、価値中立であるはずのこの概念が、いかに非科学的な価値観に装飾されてしまっているかを暴き出す。人間は生来的に自然や生命を好むバイオフィリアという習性も一因とされている。

確かに生物多様性の重要性はあらゆる文脈で肯定されている。極めてポリティカリーコレクトな概念である。「持続可能な発展」と同じように、これはキャッチフレーズでもあるのだ。だから科学者が使うには危険なことばであると警告している。同時にこれほどまでに多様な観点から、価値が認められる概念は少ない。たんなるキャッチフレーズではなく、生物多様性は私たちにとって本質的に重要なものなのだということを著者は同時に伝えたいようだ。

ところで現代社会では生物ということばをとっぱらって、多様性ということばだけでも社会的に肯定される価値を持っている。たとえば「多様な意見」があることはいいことだとされる。外資系の会社では男女比や人種比をDiversityといい、多様であることが制度的に求められる。おそらく封建主義的、全体主義的な時代には多様な状態はここまで無前提に肯定されなかったのではないか。近代の生物多様性という科学的概念の発見が、現在の社会的な多様性のドグマを生み出した一因になっている気がした。

・眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
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生物進化史上、5億4300万年前のカンブリア紀は一大イベントであった。それまではゆっくりと進化していた生物が、この時期に、爆発的に多様になった。カンブリア紀の大進化と呼ばれる大きな謎に対して、「眼の誕生」がその原因であったという仮説が展開されている。

生物進化において、嗅覚・味覚、聴覚、触覚など他の感覚器官は直線的に緩やかに進化してきた。これに対して視覚はカンブリアの大爆発で一気の進化を遂げているという事実がある。

眼の誕生と爆発的進化の関係を、メディアの進化にたとえて説明している。


日々の政治ニュースは、テレビ、ラジオ、新聞から受け取れる。これら三つの異なる形式のニュース制作者は、仕事の処理方法がまるで異なる。歴史的に見ると、まず最初に新聞が登場した。新聞記者がニュースになりそうな現場をまわり、取材したことを紙に印刷して家庭に送り届けた。電報や電話が導入されたことで、新聞記者の仕事は楽になった。というより、新技術の出現によって仕事に若干の変更が生じた。環境の変化に呼応して新聞記者が「進化」したともいえる。

ラジオの登場によって記者のノウハウはさらに変化し...

<中略>

そこに重要な変化が訪れた。テレビの発明である。

視覚の誕生により、捕食者の活動が活発になった。最初の眼は三葉虫に備わったとされる。新聞とラジオだけだった情報戦にテレビがいきなり加わったのである。視覚による探索を行う捕食者は圧倒的に強かった。それを逃れるために被捕食者も視覚や形態、体色などを生き残りのために急速に進化させていった。

やがて、異性をひきつけるためにも視覚は利用された。性淘汰の圧力としても視覚は重要な役割を果たしはじめる。光がすべてにスイッチを入れたのである。

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先日、小田原城の公園で撮影した、羽を広げたクジャクの写真。実物を間近でみると迫力がある。視覚の役割の大きさがよくわかる。この本のカラーページには、古代の生物の体色を復元した挿絵が多数ある。虹色に輝く不思議な生物たちの姿に驚かされる。

カンブリア紀に「光スイッチ」が入った理由としては、太陽の活動の活発化と大気成分の変化などが挙げられている。地球が明るくなったのだ。この時期に、惑星レベルのゆるやかな変化が、大気中の化学成分の変化などの臨界点を超える出来事を引き起こしたらしい。環境における光量が増え、より複雑な眼を持つ生物が発達したと著者は説明している。

カンブリア紀の大爆発の原因を、地球環境の変化ではなく、眼の誕生という生物側の事情に求めて、説得力ある仮説を展開している。進化論を考える上でとても面白い一冊。

・へんないきもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002635.html