Books-Science: 2005年9月アーカイブ
ゲーム理論の批判。
「
私はこの本で、人間の行動や社会制度を解明する道具としてみると、ゲーム理論は核心部分に重大な問題を抱えており、社会現象の分析や政策への性急な応用は重大な失敗を招く危険性があることを説明したいと思う。ゲーム理論は、人間と社会にとって不可欠なもの、決して無視できないものを切り捨てることによって成立する理論なのだ。
」
その無視できない不可欠なものとは、まず、ことば、暴力、遊びであるという。戦略的行為とは違って、それ自体で意味を持つような種類の行為である。もうひとつは、私たちの行為の絡み合いの中で発生する予期せざる結果である。相互行為の全体が個々の構成員の行為の総和以上になるとき、そのパワーは個には還元できない「あいだ」の力である。こうした予期せぬ出来事の影響はゲーム理論の対象外であると著者は指摘する。
人が会話や遊びに夢中になっているとき、ことばも遊びも道具的、戦略的な意味を持っていないことが多い。目的と手段の枠組みに収まりきらない行為は、ゲーム理論では通常は計算外である。暴力や戦争は戦略的にも使われるが、それ自体にわれを忘れてしまうこともある。
ゲーム理論が前提するプレイヤーは「計算する独房の理性」だ。人間は戦略的思考で損得計算を行うコンピュータと同類とみなされる。モデル化に際して捨てるものが多すぎて、現実の実践的な知恵として、ゲーム理論は役不足であるというのが、この著者の意見である。
この他、気になった論点としてはルールの不変性や、知識、非言語
・ルールを変えるプレイヤー
「
一定のルールのもとで問題が生じた場合に、当事者のなかからルール変更の動きが出てくるのは、ほとんど普遍的な現象であろう。したがって、深刻な問題が生じたときに、ルールを含む初期条件をそのままにして、ゲームが続行される可能性は少ないはずだ。ルールもゲームの進行とともに変化するのである。
」
・共通の知識のパラドクス
「
戦略的ベストレスポンスから生まれるナッシュ均衡は共通の知識を必要とするが、共通の知識は無限回の確認作業を伴うので実際には不可能である
」
・狂人理論
「
つまり、狂人相手では合理的戦略も立てようがないから、交渉では不利になるというわけだ。逆に見れば、交渉を有利にするためには狂人を装えばよいことになる
」
などの多数の論点がある。
つまり、私はこう解釈した。
二人の男が花札で賭けをしているとAがBに大敗しそうになったので、Aはいきなり、ちゃぶ台をひっくり返してしまう。怒って錯乱したBがAに殴りかかるが、殴られたAは妙な嗜好に目覚めてしまい、Bもまたそれが快感だったりして、二人は仲むつまじく暮らしましたとさ。
そういう展開をゲーム理論は、初期設定(AとBの保有金額や花札のルール)からでは、予想できないということだろう。ゲームは花札だったはずなのに、いつのまにか違うゲームになったのだから。
この本は後半では特に、歴史上の国家戦略の判断(キューバ危機、冷戦構造など)や、経営意思決定(シリコンバレー産業における遊び心の重要性は面白かった)におけるゲーム理論の適用を批判する各論が続く。論点がかなりゲーム理論と離れてしまった章も多いが、読み物として楽しめる個別の章とみなすと勉強になる。
理論と現実はかなり遠い。ゲーム理論を万能視して、人間の行動を予想したり政策立案することの危うさに警鐘を鳴らす一冊だった。
・ゲーム理論トレーニング
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000620.html