Books-Science: 2005年3月アーカイブ
■消滅する言語
地球上から2週間に1つのペースで言語が消滅している。
世界には著者の調査では6000±1000の言語があるが、実際の話者の数を見ると、非常に限られた言語の話者が世界全人口60億人のかなりの割合を占めている。上位8つの言語(標準中国語、スペイン語、英語、ベンガル語、ヒンディー語、ポルトガル語、ロシア語、日本語)だけで24億人。上位20位まで広げると32億人で世界人口の半数を越える。さらにすすめると4%の言語が全人口の96%によって話されているという。
6000±1000の言語のうち、4分の1は話者1000人未満であり、半数は1万人以下の少数の話者しか持たない。消滅しようとしているのはこうした小さな言語のことだ。危機的な状況に陥っているのは6000の言語。つまり、数的には90%の言語が、話者が減少傾向が続いていたり、まさに絶滅しようとしている。
まず危機言語の問題を聞いて思うのは、深刻さがよくわからないということ。言語の消滅がどのような不利益や危険をもたらすのかがはっきりしない。
歴史や民族文化の多様性が失われてしまうという生態学的多様性の危機という学者の見解は一応、理解できる。しかし、消滅しようとしている言語の多くに、大抵の人間は一生に一度も触れることがない。1000人、1万人の小さな共同体の文化に具体的にどんな素晴らしい知的資産が含まれているのか知らないものだから、多様性論は極めて抽象的で、説得力の弱い意見に思えてしまう。遺伝子資源のように、それを使った特効薬のような成果が作れますという効用が見えないのが厳しい。
そこで著者は、たとえば、二十世紀最後に戦争が起きた地域、ベトナム、カンボジア、ルワンダ、ブルンジは、単一言語の地域であるという事実を指摘する。統一言語は相互理解だけでなく、衝突も加速させる面があるようだ。言語障壁があるおかげで、言語圏ごとに多数の経済が成立したり、多数の文化的英雄が活躍しえたりすることも、多様性の利益だという。
ただ、それでもなお、環境問題の如く言語消滅を人類にとって解決が急務の課題という共通了解をつくるには、まだ論拠が足りていない気はする。消滅言語の具体を私たちは知らないからだろう。
■言語の多様性を具体的に
言語の多様性を紹介する事例調査はとても興味深い。
英語では、Youは単数のあなたであると同時に複数のあなた方の意味を持つ。日本語の場合、あなたは単数を表す。ところが英語から派生したパプアニューギニアのトク・ピシン語では、
mitupela 私たち二人(あなたを含まない)
mitripela 私たち三人(あなたを含まない)
yumitripela 私たち三人(あなたを含む)
yutupela あなたたち二人
emtripela 彼ら三人
yumifoapela 私たち四人
という人称があるそうだ。数人単位のグループのコミュニケーションが生きていくのに重要な文化がうみだしたバリエーションなのだろう。
明証性と呼ばれる言語概念を含む言語があるという話も面白い。英語では「本が床に落ちた」というセンテンスは、自分で見たのか、誰かにその状況を聞いたのか、判断できない。明証性のある言語では、それを文法的に区別する。
オーストラリアのンギヤンバー語では、5つの明証性規則が分化していてとても複雑になる。(1)私が見た、(2)聞いたけれどみていない、(3)その証拠を見たがそれ自体は見ていない、(4)誰かに聞いた、(5)そう考えるのが合理的だ、の5つがあるそうで、観点をはっきりしないと文を作れないという。これは科学の議論に向いていそうな言語だが政治やビジネス営業では使いにくそうだ。
消滅寸前の言語には、きっと、こうした認知構造の違いにもとづくメジャー言語にはない視野が隠れている。昨日の日本の古代語の本のあったように言語に豊かな民族の歴史が刻み込まれてもいる。この著者がいうように、消滅言語の記録を積極的に残す施策は、有益だろうと思う。問題はそれ以上の”介入”は必要なのかということだ。
■何をすべきか、何ができるか
ITの普及と国際コミュニケーションの活発化は、言語の消滅を加速させていることは間違いないだろう。二言語を使うようにすることは、消滅の歯止めになると書かれているが、実際にはメジャー言語圏では、日本人のように日本語と英語の組み合わせがバイリンガルの大半だ。少数言語話者はメジャー言語を学習することで、言語経済学的に、メジャー言語に染まってしまうことの方が多いだろう。
山岳民族や騎馬民族など固有の地域の自然、風土と密接な関係がある共同体の言語も、生活の近代化によって、言語背景の特徴を失っていく。現代は急速に世界が狭くなり、異なる文化がかつてなかったほど接触する時代だ。多数の言語が混在するバベルの塔が、いままさに崩れようとしている。それが良いことなのか、悪いことなのか、誰の倫理基準で決めたら良いのだろうか。
著者はかつてのキリスト教布教の伝道師のように、言語の強者=英語圏(著者は英語学の大家)の善意の人間として、”予防言語学”を広めようとしているようにも見える。積極的に介入し、失われた言語を人為的に復活させることを理想としている。だが、成功例として挙げられている少数言語の復活事例(ヘブライ語など)が、どの程度の意義を持つのかはっきりしない。記録を残すこと以上の、消滅言語を救うアファーマティブ・アクションが本当に必要なのか、よくわからない。そもそも大量消滅を止めることはもう不可能だ。
ベンチャー企業の設立件数/倒産件数の比率と同じように、倒産件数が増えても、設立件数が上回っていれば良いという考え方もある。言語が生まれるスピードについてはまだよくわかっていないらしい。どこまでが方言で、どこまでが独立した言語なのか、判断が難しいからだ。政治的抑圧で消されようとしている言語はともかく、自然消滅する言語については、レッセフェールで自然に任せて、むしろ、新しい言語の誕生を加速させるような施策を進めてみるというのは奇策だろうか。
・コミュニケーション拡張装置としての機械翻訳
http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/guest/990817/
99年に書いた記事。ちょっと古いが今回のテーマに深く関連する。
・危機言語のホームページ
http://www.tooyoo.l.u-tokyo.ac.jp/ichel/ichel-j.html
古典学者による古代語についての11のエッセイ。
「
夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、ほたるのおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
」 枕草子
書き写していて、まさに名文だと思った。こうはなかなか書けない。リズムや情感が抜群だ。やはり、最後の「をかし」が効いている。
「をかし」は、現代の「おかしい」に変化して、InterestingやFunnyやSomething Wrongの意味でも使われるようになった。そもそもの語源が古事記にも使われる「をこ」であり愚かしく滑稽な様子を意味する言葉であったらしい。それが変化して趣があるという意味を持つようになった。歴史的経緯が、現在の「おかしい」の多義性につながっているようだ。
この枕草子の「をかし」については「物の形状・色彩・光線・音・香り・肌触りなど、感覚的な美を表し、または主知的な目で自然や人生を見る場合の平安朝的美の体系を示す」というある研究者の定義が紹介されている。
同時に、著者は、当時は「主知的な目で自然や人生を見」たり「感覚的な美」を見出すような美の体系など存在していなかったはずだとこの定義の矛盾も指摘する。自然を対象として客観視する感性はもっと後世になってからのことだから。ことばをそれが使われる歴史的文脈と切り離して考えてはいけないとして厳しく細にわたる考証が論じられる。古代の歴史、文化、生活についての著者の博学が、古代語の説明を通して、語られる。
古典学者でもない現代人が古代語を探る意味というのは、この本の副題にあるとおり、詩学への道ということなのだろうと思う。古代の文学の詩性を味わうだけでなく、日常、日本語を使う際の味や品にも、言葉の使い手の、重層的な知識というのは密接に関わっているだろう。
取り上げられる古代語は他にも、
木、毛
東西南北
石
キトラ
シコ
タビ
シト・バリ
豊葦原水穂国
などがある。
特に最終章の「豊葦原水穂国」(日本の美称)の解説は力が入っている。この呼び方には、未開の自然である葦と、人の手の栽培であり文化と秩序である稲が一緒に出てくる。著者はこの言葉が作られた背景、すなわち、征服される土着の民族や新しい農業技術を持って入ってきた新しい支配者層、権力の集中と律令国家の成立、記紀神話との関係を説明し、この国の王制の開始を神話的に告げる語なのだと結論する。
「
たった一語というかもしれぬ。しかし一粒の砂に宇宙が宿るように、たったの一語でも、ある時代の生態が、したたかに宿ることだってありえるだろう。少なくともこの語には、初期のヤマト王権が水田農業をいかに受け入れ、活かし、いかに展開しようとしたかというその政治的・文化的な次元や道程が、深く刻み込まれているはずである。そしてそれこそが、この語のになう記号論的な意味ないしは価値だと私は考える。
」
単なることばのトリビア本ではない。
・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001432.html
・タブーの漢字学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002684.html
・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ...人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000809.html
・日本語は年速一キロで動く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002025.html