Books-Science: 2004年6月アーカイブ

偉大な、アマチュア科学者たち
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「科学の世界では、教育機関できちんとその専門分野を修めていなければ、それだけでアマチュアだとみなされる。大学の学位、それも一般的には博士号を持っていないと、権威ある科学者たちはアマチュアとしてしかみない」

そのような逆境の中で、専門の教育を受けず、学位も持たず、ひたすらに自分のテーマを追い続け、成功した人たちの物語。偉大なアマチュア科学者として取り上げられているのは以下の10人。

第1章 グレゴール・ヨハン・メンデル―遺伝学の父
第2章 デイビッド・H.レビー―彗星ハンター
第3章 ヘンリエッタ・スワン・リービット―セファイド変光星の“解読”者
第4章 ジョゼフ・プリーストリ―酸素の発見者
第5章 マイケル・ファラデー―電磁法則の生みの親
第6章 グロート・リーバー―電波天文学の父
第7章 アーサー・C.クラーク―通信衛星の発案者
第8章 トーマス・ジェファーソン―近代考古学の先駆者
第9章 スーザン・ヘンドリクソン―恐竜ハンター
第10章 フェリックス・デレル―バクテリオファージの発見者

アマチュアの強みは、キャリアパスに縛られない自由な発想ができることにあると、この本では結論されている。あとがきにはこの本は「すべてのベンチャー企業家やフリーターの元気の素、組織に甘えるサラリーマンには警告の書になるだろう」とある。確かに、何の専門家でもない自分にも、チャンスがあると分かって大変、勇気づけられた。

専門の科学者の世界にしても、近年は「学際」性というのが重要になってきていると思う。インターネットの研究なら、情報学、認知心理学、社会学、経済学、統計学、数学など異なる領域の知識が必要とされることが多い。すべてにおいて専門家であることは難しいから、ひとつの分野で学位を持っていても、もう片足を、アマチュア領域に置かざるを得ないものだと思う。専門の細分化により、領域の組み合わせは幾何級数的に増えるから、完全なプロがいない領域がたくさん生まれる。

アマチュア科学者のこれからの戦略として面白いのは、この無数の「学際」の部分なのではないだろうか。この本に登場するアマチュア科学者たちの多くは「○○学の祖」などと後に呼ばれる存在になるわけだけれども、つまりは学と学の間に新たな領域を作ってしまった人たちである。一番乗りは自動的にプロに昇格することがある。

最近、読んだ本にこんな本がある。自然科学ではないが、アマとプロの問題では共通していると考えるので紹介。

民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち
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柳田国男といえば民俗学の祖と言われる。それまでの文化人類学とも神話研究とも異なる独特の世界を作り上げた。で、この本を読むと柳田は、全国のアマチュア郷土史家から、伝承や民話を吸い上げて、自分の業績にしたと批判する向きもあるようだ。だが、政治学科出身で、農政系の官僚だった柳田自身が、この分野では本来アマチュアだったはずである。ひとつ違ったのはどうすればそれが科学や学問と呼ばれるか、方法論を知っていたことにあるような気がする。

プロの存在意義について、「偉大な、アマチュア科学者たち」に、


プロの学歴や組織の権威は、本来、「とんでもない失敗」をしでかす危険を減らし、自分と世間に対して仕事の質を保証するために存在する

という記述がある。プロの科学者は、先人の取り組みについて熟知しているし、厳密な実験や検証の方法も分かっている。それ故、馬鹿げた取り組みによる、とんでもない失敗に時間を浪費することが少ない。だが、馬鹿げたことの奥にとても小さな確率で大発見があるようだ。経済でいえば、ニッチを狙ったベンチャー企業みたいなものと言える。

ベンチャーを支援する仕組みは最近、充実してきた。だが、アマチュア科学者を支援する仕組みって少ないなと思う。産学連携、産官学連携などという言葉があるが、そのどれでもないアマチュアの「ア」を付け足して、学ア連携とかどうだろうか。情報科学のように、実験に設備投資の要らない分野では、特に有効そうに思う。日々、趣味の研究に取り組む人たちに、研究の仕方、リソースの所在、論文の書き方、適宜のアドバイスなど、プロのアプローチの方法を教えてくれる場があったら、面白いだろうなあと思う。