Books-Religion: 2010年7月アーカイブ
日本におけるこの本の位置づけはリチャード・ドーキンス『神は妄想である』に対する反論本である。
宗教の現代的な価値を擁護する内容。日本人にはない問題意識のため、この神学論争は国内の論者ではほとんど見かけない。利己的な遺伝子やミームの提唱者として日本でもよく知られるドーキンスだが、今は宗教批判の先鋒に立っているのだ。宗教は迷妄であり愚かだとしてめった切りである。それに対して著者は、科学もまたある種の信仰だと切り返している。
「重要な意味において、科学者は信仰者であると同時に美学者でもあるとわたしは考える。あらゆるコミュニケーションは信頼[=信仰]をふくんでいる。」
信念はあらゆる知の土台になるという論を展開している。アリストテレスやカントや野中郁次郎の、「知識」は信念であるという言葉と同じだ。
「そもそも信仰は───どのような種類であれ───選択の問題ではない。なにかを信じるにあたって人は意識してそう決めるのではなく、知らないあいだに信じているというのが一般的だろう。あるいは、かりに意識して決めるにしても、すでにその方向にかたむいていたからともいえる。」
科学合理主義か宗教かの選択というよりは、著者はあらゆる思想の問題に普遍化していく。信じる心を人間は生得的に持って生まれており、信仰は理性を超える、人間の内面の深さを示すものだという。
「理性だけが野蛮な非合理主義を屈服させることができるのだが、そうするためにも、理性は、理性そのものより深い部分に横たわる信仰の力や資源に頼らなければならない。」
高度にレトリックを使った議論が続くため、読むのがだんだんしんどくなるが、キリスト教世界の合理主義者が、内面においてどのように科学と宗教を調和させるべきかのビジョンが示されている。
最近読んだ新書で一番面白かった。名著だ。
日本書紀に盟神深湯(くかたち)という神判が出てくる。熱湯に手を入れたり、焼けた斧を握らせる神判である。古代史の話は実際に行われたのかわからないが、室町時代には、煮えたぎった熱湯の中に手を入れて火傷の具合で有罪無罪を判定する湯起請があった。そして、江戸時代には真っ赤に焼けた鉄片を握らせて判定する鉄火起請が、現実に行われていた。著者は記録に残っている湯起請87件、鉄火裁判45件の事例を、丁寧に分析して神判の実態を明らかにしていく。
土地の領有権や男女問題など解決が困難な問題がこじれて大ごとになると、湯起請・鉄火起請は行われた。当事者たちは決死の思いで神判に挑んだこと(負けたり逃げたりすると処刑されることもあった)、どんな思いで関係者はそれを見ていたか、事後どういうことになったか、などの顛末が多数語られる。細部が面白い。
熱湯に手を突っ込む。生身の人間なのだからそりゃあ絶対火傷するに決まっている、と思うわけだが、湯起請の記録上、被疑者が火傷した率を調べてみると50%なのだ。半分は無傷で無罪放免となっている。なんとも微妙な数字である。
そもそも人々は盟神深湯・湯起請・鉄火起請で、本当に神の真意を知ることができると考えていたのか?研究によると実は古代社会においてさえも盟神深湯は真実糾明法として問題があることが広く認識されていたようだ。
著者はこうまとめている。
「以上、紹介した事例からもわかるとおり、当時、共同体社会において行われていた湯起請には、人々の純粋な信仰心からだけでは説明できない要素が多々見受けられる。そもそも人々は湯起請によって真実を見きわめようということを第一義的に考えていたわけではなかった。彼等は真犯人をみつけることよりも、犯罪者が共同体内にいなかったということが証明されることを何より歓迎していたふしがある。また逆に、それにより結果的に共同体社会にとって有害な(可能性のある)者が除去されるなら、それはそれで好都合なことだとも考えていたようだ。」
為政者は神慮を持ちだすことで、自らの恣意的な政治判断に対する反対意見を封じることができた。恐怖政治の道具としても、それらは使われていた。湯起請・鉄火起請を持ち出せば係争の相手をびびらせることができるし、湯を炊く、火傷の程度を判断するのも人間だからある程度は操作もできただろう。かなり政治的なにおいのする儀式だったことがうかがえる。この国においては神判とは、神の名を借りた合理的判断のツールだったらしい。
記録上は古代に断絶していた熱湯裁判を、復活させたのは室町幕府第6代将軍足利義教だったという説が有力。義教はくじ引きで選ばれた将軍であったため、自分は神慮によって将軍職に就いたと信じて、その治世の間、神判に異常な執着をみせたという。湯起請を連発している。君主狂気とと民衆の集団ヒステリーが呼応して、ブームを盛り上げていたようだ。
残酷な神判の儀式の研究から、日本人の宗教意識、社会心理の歴史が見えてくる非常に面白い内容である。