Books-Religion: 2009年6月アーカイブ

・仏陀―その生涯と思想
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「この人を見よとわたしはいう。なんとなれば、ここにわたしどもが考えうるかぎりの、最高の人間像があるからである。」初期の経典や史実を紐解くことで、偶像としての虚飾を排し、一人の人間としての仏陀の実像に迫った、高名な仏教学者の傑作。

著者は人間の理想像としての仏陀を正確にとらえようとする。そのために阿含部と呼ばれる仏教の最初期の教典に重きを置いて、修飾されない仏陀本来の姿を再現する。たとえば仏陀は誕生したとき「天上天下唯我独尊」と言ったのは後生の作り話だし「生まれによりて聖者になるのではない」ことが仏陀の真の偉大さなのだと教える。

生誕から出家、最初の説法、有名な山上の説法、伝道の長い旅、祇園精舎、最後の説法、入滅まで、人間としての仏陀の生涯を代表的エピソード単位で追いかけながら、それぞれの教えの本来的な意味を著者が解説している。仏陀を偉大に見せるためのお化粧を、初期教典検証によって取り除き、その素顔が見えてくる。

相手を見て理を説くべきだという「対機の説法」はブッダが教えた伝道の方法論だが、それ故に仏教の基本知識のある者とない者向けには、説教の内容が変わる。日本の仏教はさらに神道や民俗信仰が融合して伝わっているので、多くの日本人にとって仏教はなんとなく知っている状態である。そういう状態はこの本が書かれた昭和20年代頃と大差がないかもしれない。著者は仏教本来の教えと、天国と地獄があるような伝道上の方便を区別して説明している。わかりやすさより"本物志向"で仏教を知りたい人向けだ。

後半にでてくる「中道の教え」は無宗教の私が仏教哲学に魅力を感じる部分だ。

琴を弾くのが上手なソーナという弟子との対話で、仏陀はいう。琴の糸があまりに強く張られていたらよい音がするだろうか?。次に、あまりに弱く張られていたらどうだろうか?。どちらにもソーナは否と答える。仏陀は「それでは強すぎず弱すぎず程よく張られていたら良い音がするであろう」、それこそが目指すべき究極の状態として中道の教えを説いた。

「その教えとは、いうまでもなく、中道の教えである。中道の教えは、釈尊の教説のあらゆる部分を貫いて存する。哲理について言えば、有無の二端をはなれることであり、実践に即して言えば、苦楽の二極におもむかざることであり、さらに修道の実際についていえば、いま釈尊がソーナのために説いたように、「諸根の平等をまもり、平等の精進に住し、かの中における相を取る」こととなるのである。」

ここで「中道度メーター」というものを設定してメーターの極端を目指せばいいなどと安直に考えるのは、たぶん間違いなのだろう。ブッダが言ったのは「良い音」という公理の異なる世界での価値だったのだから。

手塚治虫の漫画「ブッダ」やヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」で仏教に興味を持った読者に特におすすめ。

・シッダールタ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/post-708.html

・ブッダ 全12巻 漫画文庫
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/12-2.html

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