Books-Psychology: 2005年3月アーカイブ
1923年ベルリン生まれでナチス迫害を逃れ米国に亡命し大学で教えた後、今はスイス在住の精神分析医が書いた本。
テロリズム、民族紛争、原理主義。人の憎しみという破壊的な感情とどう折り合いをつけるかは、今世紀前半の一大テーマだろう。憎しみを解消するために、経済格差の解決が課題だとか、政治イデオロギーを乗り越えるべきだとか、異文化相互理解が必要だ、などいろいろな意見がある。
この本では、こども時代の親との不幸な関係がうみだす「自分の中の他人」こそ、憎しみの根源であるという。小さなこどもは親に依存して生きるしか術がない。自然と親が無意識に求める要求を想像して、本来の自分を排除してでも、それを満たそうとする。その過程で排除された本当の自分は消えずにこころのどこかに「自分の中の他人」として残ってしまう。この自分の中の他人に対する憎しみが、外に向かってあふれだす、というのが著者の持論だ。
優しく育てればよいというわけではないらしい。こどもを怒ってはいけないと思う母親が、悪いことをしたこどもを叱らないとする。否定的な感情はこどもには見せたくないという気持ちで、外面的には優しく接してしまう。すると、こどもは、本当は母親が怒っていることを想像しているのに、実際にはそうではない母親と直面することになる。こどもは本当に感じたことを認めることができなくなってしまう。締め出された気持ちが「自分の中の他人」になり、ことあるごとに、こどもを苦しめる。この苦しみが外や内へ向かい、自分や他人を罰しようとする気持ちに変わっていくという。
無視、無関心も原因になる。「自分の存在が認めてもらえないと、自分を認めてくれない親の目で、自分自身を否定的に見るようになる」。そして「親が愛してくれないのは自分が悪いからだ。自分のせいだ、親は良い人たちなんだから」とこどもは考えるようになる。そしてやがて、権威に対して服従することで、こころの中の軋轢を解消しようとする。
権力者への服従や原理主義への傾倒も、根源はすべて自分の中の他人に発する憎しみが根源であるという本だ。第2次世界大戦のナチスのホロコーストにせよ、9.11の同時多発テロにせよ、真の問題はつまり、彼らの親が育て方を間違ったんだよ、という大胆な結論を言いたいようだ。
「憎しみは親の働きかけから生まれる」とはっきり書いている。論旨は明快。こうした憎しみの生まれるメカニズムを客観的に知ることで各自が自分を見つめなおし、自分の中の他人から解放された自分らしい生き方を見つけ出すことが、世界の問題の解決につながる、と結論している。
この、親の育て方が間違ったが諸悪の根源、というのは大胆すぎる結論のような気もするのだけれど、「三つ子の魂百まで」という諺が日本にもある。ひとりひとりが、自分の今の状態に満足し、権威への盲目的服従や強すぎる劣等感や優越意識で心の埋め合わせをせずとも幸せな状態であるならば、確かに戦争やテロリズムは、起きないかもしれない。
世界平和のためにはまずは子育てをちゃんとしましょうという論理、それなりに説得力があるようにも思えた。
一人っ子の長男は1歳8ヶ月。彼は果たしてこういう問題と無縁でスクスク育ってくれるだろうか。最近、性格がでてきた。私に似ておっとり型。研究熱心タイプ。アルファベット24文字を覚えて、街で英文字を見ては、得意げに教えてくれる。Wは発音が難しいらしく、声を小さくごまかしている。
とりあえずここ数日はロタウィルス(こどもがよくかかるらしい、はじめて知った)に感染してぶっ倒れている。ABCの次は平和主義者教育をするので、早く元気になってくれよっと。
ウケた。
面と向かってほめない、けなした後にほめる、シメだけ自分がやる、恩に着せるおごり方、など基本から高等テクまで、70以上のワルになるノウハウが「自分の株を上げる」「失敗を逆手に取る」「駆け引き」「嫌なやつとつきあう」「その人の心を手に入れる」「自分のペースに巻き込む」の6章にまとめられている。
個人的に面白かったベスト3を紹介するとこんなかんじ。
・絶対ばれないウソを使って持ち上げる
「昨夜、部長とゴルフをしている夢をみましたよ」
確かにばれない。
・「端数」を使う
端数の方が強力
「九千八百円貸してくれないか」 > 「一万円貸してくれないか」
「首都圏の81.2%の家庭で...」 > 「80%」
「では3時50分にロビーで」 > 「4時」
・反対意見を分断する
例えば20人中8人があなたの意見に反対だった場合、「賛成12、反対8」では、反対も結構居るので決定しにくい。そういうときは、こう言いなさいというノウハウ。「つまり、賛成意見が12、もっとテストしてからが2、改良の余地ありが1、○○が1、△△が1...」。反対意見をバラバラな少数意見としてしまう心理テクニック。
仕事のワルだけでなく、「女を泣かせたらもう一度(映画などで)泣かせれば最初の泣いた理由が薄れる」などの男女駆け引きのワルのノウハウも混ざっている。1つのノウハウが2ページ程度で読みやすい。
ビジネスシーンで多少のワルであることは大切なことかもしれないと最近思うようになった。
仕事の交渉や営業、問題解決の会議などでこうしたテクニックを使っている人はよく見かける。自分でもたまに仕掛ける。こうした技術は何冊か本を読んでいるとパターンが見えてしまうので「ああ、彼、仕掛けてきてるな」と気づいたりするものだが、30を超えたあたりから、そういう人の方がむしろ頼もしくて一緒に仕事をしたいと思うようになった。仕掛けが分かっていても、敢えて乗ってみるようにもなった。
ワルと悪は違うわけでしたたかさも必要なことは多いと思う。なんて言ってる私は、やっぱり汚いオトナになってしまったのだろうか。
関連書評:
・NYPD No.1ネゴシエーター最強の交渉術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003031.html
・トップに売り込む最強交渉術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000324.html
・心の動きが手にとるようにわかるNLP理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000609.html
・「できる人」の話し方、その見逃せない法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000445.html
・悪の対話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002109.html
・ハーバード流「話す力」の伸ばし方!―仕事で120%の成果を出す最強の会話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000228.html
・パワープレイ―気づかれずに相手を操る悪魔の心理術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000150.html
・ソリューション・セリング―賢い売り手になるための10の戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000145.html
■学習動機の二要因モデル
学校や企業組織の学習で「外発的動機」「内発的動機」ということがよく言われる。前者は外(上)からのアメとムチ、報酬や賞罰であり、後者は自己実現だとか本人の内側から湧き出るやる気のこと。
東大の教育心理学の教授である著者は、大学の新入生に「あなたは高校まで、なぜ勉強してきたのでしょう」「人は一般になぜ勉強しているんだと思いますか」という質問を行い回答結果群をグルーピングした。すると外発、内発というわけ方におさまらない回答が多かった。
そこで6つのグループに分類し、二つの軸を与えて次元化することで「学習動機の二要因モデル」として構造化した。
・二要因モデル
上段の3つ充実、訓練、実用は相関が高くなるらしい。下の段の関係、自尊、報酬も割合強い相関を持ち、上段と下段は無相関であるそうだ。上段は内容関与的動機(学習内容に関係が深い、英語の勉強は楽しい)、下段は内容分離的動機(学習内容に関係がない、英語ができると親にほめてもらえる)という名前が与えられた。
このモデルは学校でも企業でも活用できそうな有意義な図であると思った(それでパワーポイント化したのが上の画像)。
■論敵との対談2本で浮かび上がる現代教育の論点
この二要因モデルは上段が内発で下段が外発であると勘違いしやすいが、よく図を見ると、そうではなくて対角線にある要素が内発・外発の組になっていることが分かる。精神医で勉強法のベストセラー作家の和田秀樹もこの図を間違って解釈して、うっかり本の中で著者を批判していたらしい。
この本の第2章は、そこから始まった2人の徹底討論である。和田氏は徹底的に外発動機を重視しており、「教授になるとバカになる論」を主張している。一度、終身的な職業である教授になってしまうと、外発動機が働かないので学ばなくなる。だから、和田氏によれば、いっそ教授の上に大教授だとか超教授を作ってみたらどうか、などとユニークな意見。
これに対して、外発的動機は学習の入り口として有効性を認めながらも、それだけじゃないだろうという著者の反論。結局、ふたりは共通する思想を持っている点が多いことも判明するが、最後まで意見は噛み合っていない。現実の教育への言及数の多い和田氏が若干、説得力で優勢か。なかなか面白い口ゲンカ。
第3章もまたもや論敵の教育社会学者・苅谷剛彦氏との対談。「弱者の味方」と称する「強い個人のモデル」という著者の意見が面白い。みんなそれぞれ良いところがあるから個性を尊重しよう、が行き着く先は、一握りの強い個性を持つ成功者の世界になるのじゃないかとは私も思ったから。
現代日本では「ゆとり教育」、「総合的な学習」、「個性尊重」、「新しい学力観」「生きる力」がもてはやされる。逆にかつての「詰め込み教育」は悪で、熱意を持って教師が特別に教えようとすると「それは教え込みでしょう」「こどもの思いはどうなっていますか」などと批判の対象になる。
苅谷氏の語る英国教育事情は日本に通じる部分がありそうだ。「目に見える教育法」「目に見えない教育法」のふたつがあり、個性重視の「新学力観」「生きる力」などは後者である。目に見えない教育法は英国では新中産階級にとっては受け止められやすかったが、ミドルクラスには不評で、ワーキングクラスにとっては不利にさえなるという結論がでているという。
「世界に一つだけの花」が無数に咲くのはいいのだけれど、美しいのは一握りの花のような気がする。そして、個性の花を立派に咲かせるには相当のコストが必要だろう。このふたりの議論を読んでいると、もちろん詰め込み教育、偏差値教育に戻るべきではないけれど、公教育が行き場のない個性化、個別化に向かっている現在のあり方はどこか間違ってしまっているように思えた。
■二要因モデルを超えて
第4章では心理学的な考え方に沿いつつ「やる気を出す方法」が語られる。キーワードだけ抜き出してみた。とても興味深い最終章。
第1ステップ 内容分離的動機から入る
賞罰を自律的に使う
編集者に締め切り設定を自ら依頼する
対人的環境を整える
いいライバルをつくる
第2ステップ 内容関与的動機を高める
学習の楽しさを倍加する工夫
作品化、自分との競争、多重に支えられた動機
教訓の引き出しによって「何が賢くなったか」具体化する
学習の転移、使える応用場面、教訓として一般化
習ったことが役に立つ場面を設定する
学んだことが活きる、機能的学習環境
基礎に降りていく学び
何かやりたいことがあって基礎へ戻る
第3ステップ 二要因モデルを超えて
試練と使命がうむ「鉄の意志」
「なりたい自己」と「なれる自己」を広げる
刺激しあい啓発しあう場をつくる
読み終わった感想。
やはり勉強って普通に頑張ってやるべき部分、あるな、と。
私も頑張らねば。