Books-Psychology: 2004年11月アーカイブ

・なぜ「少年」は犯罪に走ったのか
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少年少女による事件が発生するたびに、関連語句を検索すると、いつも行き着いてしまうのがこのサイト。

・心理学 総合案内 こころの散歩道
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/

このサイトの著者が、最近の実際の事件をケース分析して、少年犯罪について一般向けに解説した本。

■「都会で少年犯罪が増え凶悪化している」は完全なデタラメ

ところで少年凶悪犯罪事件が最近、多いような気がしているが、実はそんな事実はないそうである。むしろ、実際はその逆でこの数十年で急激に減っているのだ。この数字はメディアの報道内容と違い、意外に感じる。

まず少年犯罪。警視庁がまとめた犯罪白書。昭和41年からの「交通関係業過を除く少年刑法犯の検挙人員および人口比(1000人あたりの比率)」は昭和41年が18万2000人、人口比9.0人で、ピークは昭和56年(1981)の25万人、人口比14.3人。最新の平成10年(1998)では18万4000人、人口比12.5人。横ばいで少しずつ減っている。

凶悪犯罪(殺人、強盗、レイプ)の検挙数は戦後すぐから昭和40年まではずっと300人前後。昭和50年に初めて100人を割り、その後は二桁が続き、今に至るまで3回しか100人を超えた年はないそうである。凶悪化は進んでいないどころか、減少している。

若者による殺人者率については10代の殺人者は30年前の6分の1にまで減っているという。これらの数字を総合して言えるのは、警察の取り締まり強化で検挙数は若干増えているものの、この数十年は若者の凶悪犯罪は目立った減少を安定して続けているという、感覚とは逆の結論である。

事実を歪める解釈がメディアによってなされている。たとえば少年犯罪が「前年に比べて急増」という報道は、実は前年が特別に少ない年だったのである。低年齢化も嘘であるそうだ。年長犯罪が大幅に減少したため、見かけ上、少年犯罪の割合が増えたように見えるだけだそうである。

凶悪少年犯罪は都会の問題と考えがちだが、実際は田舎の方が発生率が高い事実もある。メディアが作り出そうとしている「都会で少年犯罪が増え凶悪化している」はまったくの捏造だと分かる。

そして歴史を掘り起こしてみると残忍な少年凶悪犯罪は過去にも多数あって、現在がひどいわけではないことも分かる。それにも関わらず、最近少年凶悪犯罪が増えた、大問題だと考えるのは、ワイドショウ的にメディアが犯罪を頻繁に取り上げ娯楽化しているからであろう。

本当は問題ではないのに、ありもしない問題が作り出されてしまっているようだ。(もちろん、少年凶悪犯罪は少数でも問題であるし対策はせねばならないが)。少年法を改正して厳罰化する必要がないのではないかと著者はこの本に書いている。

■犯罪の動機の変化、逃げ場のない閉鎖的な人間関係が動機へ

全体としては減っているものの、犯罪の原因については変化があるようだ。

人間関係が希薄化して人の気持ちが分からない都会の子供が凶悪犯罪を起こす。一見正しそうな、この見方も間違っているようだ。実際には田舎の人間関係のように逃げ場のない閉鎖的な人間関係のもつれが、最近の凶悪犯罪の動機となっている。

たとえば大分の一家6人殺傷事件は、小さな町で起きた。家族づきあいのある家から、風呂場をのぞいたことを疑われた少年が、変態と呼ばれて行き場がなくなるなら、皆殺しにしてやるというのが動機であった。都会であれば引越せば知り合いのいない場所へ引っ越すことで解決できたかもしれないと結論されている。愛知体験殺人事件では親の過度な期待が少年を暴走させている。人間関係が希薄だからではなく、煮詰まりすぎたところで犯罪が発生しているのである。

ドラエモンに出てくるジャイアンを問題児扱いしない地域コミュニティが必要だと著者は述べている。ガキ大将のジャイアンは粗暴であるが、確かに学校の先生や両親からしばしば怒られている。怒られるが不良、問題児として見放されることは決してない。のび太やしずかの親もジャイアンと遊ぶなとは言わない。ジャイアンはドラエモンの設定では、将来、経営者として成功するのだそうだ。

こうしたガキ大将を中心とした「ギャンググループ」が現代では形成されなくなったことで、人間関係や社会性を自主的に学ぶ場が失われたのが問題ではないかと著者は問題提起している。ギャンググループ内で濃い人間関係やトラブルに慣れていれば、殴ることはあっても殺すことはないだろうというわけである。

また子供の「甘え」が悪いことと認識されていることも少年犯罪を起こす心理を作り出しているらしい。少子化に伴い、厳しすぎるしつけや過度な期待に対して、子供たちが逃げ場を失っている。真正面から受け止めてよい子を演じることが求められている。「よい子」でなければならないという圧力が高くなりすぎると無軌道に暴発する。どんなにダメで悪さをしても許される「安全基地」あってこそ、子供は将来に向けての自立の冒険ができるのではないかと著者は書いている。

■犯罪を娯楽消費するメディアと社会

少年犯罪を娯楽消費する社会では、犯罪者の少年を異世界の「モンスター」として扱いがちであるが、この本を読むとそれぞれに比較的明確な動機があることが分かる。欧米に多いサイコパスの凶悪連続犯罪とは違って、少数の弱者の犯罪である。羊たちの沈黙に登場するレクター博士のようなモンスターはそれほど多くない。

今後も少年犯罪が減れば減るほど、少数の事件が物珍しくなり、メディアに大きく取り上げられることが続きそうだ。犯罪の娯楽化は、ドラマや映画でも中心に犯罪があることからもうかがえる。娯楽は消費者があるから生産者がいる。犯罪を好奇心の受け皿として楽しんでしまう私たち現代人の心理が、”少年凶悪犯罪増加”の本当の犯人だと分かったのが面白い一冊であった。

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人類はなぜUFOと遭遇するのか
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面白い。

20世紀前半から最近までの膨大なUFO目撃事件の資料をベースに、スミソニアン協会が本当は何が起きていたのかを解明した本。

まずは米国空軍やCIAといった政府機関と民間の(かなり怪しい)UFO研究グループとの半世紀に渡る情報戦はなんであったのか。CIAもUFO騒動の初期には、原因不明の諸現象に対して真面目に取り組んでいたことが分かる。民間研究グループがしばしば槍玉にあげてきた情報の隠蔽工作もあながち嘘ではなかった。こんなCIAの正式文書(1952年)が引用されている。


2 前述した事実にもかかわらず、多くの報告が「説明不能」のままとされている。(惑星間飛行をしている異星人のものという説は完全には除外されていない)。この問題について、さらに長期的に注意をする必要がある。

3 主な対策の遂行とその権限などに関しては、航空技術情報センターと調整を行ったうえで、この問題に関するCIAの監視をさらに継続することを推奨する。CIAが関心を持っているという素振りを、マスコミや大衆には見せないよう、強く要請する。関心事であるということは、未だ「公にされていない事実」が、合衆国政府の手中に存在するという「確証」である、などと安易に受け取る人騒がせな傾向が、大衆にはあるからである。

そして、その後数十年に渡って、UFO情報を収集する部署が政府には存在していた。初期には高官にもUFOを異星人の乗り物やソ連の秘密兵器と疑っている人もいたようだ。だが、多数のUFO目撃事例を調べていくと次第に、大半は科学的に解明できる事柄か、虚偽の報告であり、当初警戒していたような敵国の脅威とは無関係であることが分かり始め、次第に部門は縮小されていく。やがてはやっかいもの扱いされ、二人くらいで資料整理をするレベルになっていく。まるでXファイルのモルダーとスカリーみたいである。

目撃例の中には数千人が数千機のUFOが空を飛び交うのを目撃した例もある。1949年の「ファーミントンの侵略」と呼ばれるこの事件は、実は気象観測用気球が大量に近くの基地から放出されていたことが数年後に分かったりする。これなど現場に立ち会っていたら宇宙人の襲来かと信じてしまうだろう。

アダムスキーら著名なUFO研究者たちの怪しい実態も明らかにされる。初期のUFO研究者たちは確信犯が多かったようだ。UFO信奉者たちの信じたいことに調子を合わせて機関紙購読者を増やしていく。彼らも会員ビジネスの一種であるから、熾烈な会員獲得競争の中、さまざまな話を捏造していく。そして1970年代になると著名なグループの倒産や著名研究者の実態暴露などに伴い、一度は異星人の訪問としてのUFOブームは終焉を迎える。

だが、UFO神話は形を変えてその後も続いていく。ロズウェル事件に象徴されるようなUFO墜落とコンタクトの報告だとか、目撃するだけだったUFOに乗り込んだり、誘拐されたり、ついには宇宙人とセックスしてきましたと証言するコンタクティの時代が幕を開ける。彼らの特徴は確信犯ではなくて、本当に信じていること。だが、証言内容を調べていくと、その時代のフィクションに強く影響されて見た夢であることが分かる。

やがて、異星人はもう社会に溶け込んでいるだとか、大統領は異星人と契約を結び、地下基地に数百万人を住まわせているだとか、いう話になっていく。近年のSFドラマのストーリーはまさにそんな感じだ。UFO目撃談の内容は社会を移す鏡なのだ。

社会の出来事とUFO目撃事件の数や内容は相関があるのだという。輪郭がはっきりしないようなあいまいな危機感が社会に蔓延している時期に目撃事件が増える。特に行く末が流動的になる大統領選挙の年に多いという事実がオットービリグという学者によって解明されている。


空飛ぶ円盤と異星人の神話は人類が自分の世界をどのように組み立てようとしているのか、という問題と関わっている。「丸い形をした異星人の宇宙船」という考え方は、世界についての希望のシンボルと見なすことも、恐怖のシンボルと見なすこともできるのだ。

というのが、この本の結論である。いたって真面目であるが、さまざまな事件のUFO報道のいいかげんさを綿密に検証して暴きだしており、大変読み応えのある本だった。子供の頃より、疑問に思っていた「あの事件は?」の真相が次々に明らかになるのも面白い。宇宙人がいないと言っているわけではなく、有名なUFO騒ぎは一部の人が意図的に作りこんだ、でっちあげだということを、著者は多くの人に伝えたいようだ。かなり、納得できた。

ただ、逆に政府機関は情報を組織的に隠蔽する可能性があることが立証されてしまった側面もある。実際問題、もし地球外生命体から密約オファーが大統領に持ち込まれた場合、政府はどう対応するのであろうか。ここに描かれた政府高官の動きから見ると、もしかすると一般には伏せられたままにされるかもしれない。私たちは、神話も政府もどちらも疑ってみる必要があるなあと思った。