Books-Presentation: 2009年2月アーカイブ
ネタかとおもったら本気の本だった。本を語るのに読む必要はなく、むしろ読まない方が創造的になれて、うまく語れるものだという内容。著者はまず本を読んでいない状態がいかに普遍的なものかをうったえる。パリ第八大学教授の著者の哲学的な考察が深い。
「「読まない」にもいろいろある。もっともラディカルなのは、本を一冊も開かないことだろう。ただこの完璧な非読状態というのは、全出版物を対象として考える場合、じつは近似的にはすべての読者が置かれた状態であって、その意味では書物にたいするわれわれの基本スタンスだといえる。たしかに、どれほど熱心な読書家であっても、存在するすべての書物のほんの一部しか読むことはできない。したがって、話すことも書くことも一切しないというのでないかぎり、つねに読んだことのない本について語らされる可能性があるのである。」
日本では毎年7万冊超の出版物が刊行される。いくら熱心な読書家といっても新刊の1%も読むことはできない。だから本を読んでいないことはまったく恥ずべきことではないのだ。そして読書という行為には文化的に強力な3つの規範がはたらいていると著者は指摘する。
1 本を読まねばならない読書義務
2 読むなら全部読まねばならない通読義務
3 語るためには読んでいなければいけないという規範
凄くよくわかる。私はこのブログでこれまで1000冊以上を書評している。本によっては半分くらい読んだところで全容が把握できてしまうことがある。だが、全部読まない限りブログに書いたらイケナイじゃないかと自制がはたらいて絶対に書けない。なにがイケナイのかの正体がまさにこの3つの理由、3つの強迫観念のせいなのだ。
そして、未読といってもいろいろある。著者は4つの状況を挙げている。
・ぜんぜん読んだことがない本
・ざっと読んだことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本
ぜんぜん読んだことがなくても、その本の位置づけを正確に把握することは可能だ。たとえばプルーストやジョイスの難解な作品は、どういう内容なのか、あらすじや作風は広く知られているが、本当に読んだ人は少ないだろう。そして実際に全部読んだからといって、なにか深いことがいえるかというと、それは別問題なのだと著者は指摘する。むしろその本をめぐる全体の見晴らしを得るには読まないほうがよく、読まずに本を語ることは創造行為なのだと賛美する。
本書では、未読本へのコメントを求められる状況が、「大勢の人の前で」、「教師の面前で」、「作家を前にして」、「愛する人の前で」などパターン別で分析されている。有名な本(著者はそれらの作品を読んでいなかったりするのだが...)を題材にして、いかに読まないでも有益な話を語れるかを著者は熱心に語る。
ちなみに未読本へのコメントのコツは
1 気後れしない
2 自分の考えを押しつける
3 本をでっち上げる
4 自分自身について語る
だそうである。
一般に、義務感で読んだ学生の読書感想文はつまらないものである。一方、自分語りに終始してちっとも内容について触れないプロの書評が面白いということがある。著者は「読んでいない本についてのコメントが一種の創造行為であるとしたら、逆に創造も、書物にあまり拘泥しないということを前提としているのである」と書いている。
この本の書評を読まずに書けたらかっこいいのだろうなあと思うが、もう全部読んでしまった私の負けである。ま、面白かったからいいや。