Books-Philosophy: 2012年5月アーカイブ
まず私がいつも感じていた弱者の味方とか一部社会運動家の胡散臭さについて
「たとえ百姓であれ労働者であれ、思想が構築される過程の端緒に立つとき、彼は必然的に普遍性へ向けての上昇を強いられるのである。これこそ知識人と民衆との断絶の原因であり、それは民衆に精通したり、民衆の習慣になじんだりすることではこんりんざい解決されえない。ドストエフスキイのいうように、そういうことは旦那の道楽にすぎないのである。」
と書かれていて深く同意。民衆の代表も、弱者の代弁者も、もはや思想を語ってしまった段階で、民衆でも弱者でもない。似非である、と思うわけです。
で、これはドストエフスキイの不評な著作『作家の日記』における民衆賛美調の政治評論を肯定評価する内容です。ドストエススキイの民衆論は、そういう薄っぺらいものではなくて、もっと複雑で意味のあるものだというのです。
ドストエスフキイは、
「誰の目にも入らぬ生活をして誰の目にも入らぬように死んでいくもの」
「この地球上に誰ひとり覚えているものもなく覚えている必要もないもの」
に対する好奇心や想像力、そして深い共感をする夢見る人であり、その民衆の政治意識に関する語りは、民衆の根源的な性質をとらえた意義のあるものだと再評価する渡辺京二がいます。
移送される罪人に民衆が小銭を投げるロシアの伝統に触れた後で、
「日本の場合もロシアの場合も、近代的な法の観念、とくに契約にもとずく義務と権利の観念は、ヨーロッパ近代文明を構成する諸要素のうち民衆にとってことになじみにくいものであったが、そのことの根底には、このような罪人に対する反応に示されるような人間観、現世的な法や規範は人間を仮にしかさばき拘束しうるものではないという或る種のアナーキーな感覚、罪人を聖なるものと感じて心情的にそれと同化するような、彼岸的ともいうべき同胞感覚が存在したのではなかろうか。」
近代市民社会と合理主義の文脈において当時の知識人に稚拙である、辟易するとされたドストエフスキイですが、実はもっと人間の深い理解に根差した想像力をはたらかせて民衆を語っていたといいたいらしいと理解しました。夢想家であり同時に政治思想家であることは可能だと。
1880年ごろドストエフスキイが書いた『作家の日記』について、その100年後に渡辺京二が再評価した本を、その出版37年後にこうして読んで、議論する。3つの時代の文脈が相当に違うわけで、我々は考古学的に知識を整理して読んで理解するというより、同時代の文脈で恣意的に読み解いて、自分たちなりの面白さを発見するのがいいのでは?と思いました。