Books-Philosophy: 2011年5月アーカイブ
アレクサンドロス大王の家庭教師だった哲学者アリストテレスは、プラトンの弟子で、プラトンはソクラテスの弟子だった。ソクラテスはギリシア哲学の源流だが、彼自身は著作を残しておらず、弟子のプラトンらが、その思想を後世に伝えている。
ソクラテスはちょっと空気の読めない人だったようだ。
同時代の賢者と呼ばれる人たちを訪ねては問答して、彼らが無知を暴いて回った。そして彼らが無知であることに無自覚であるのに対して、自分は無知であることを自覚しているから、自分の方が優越していると人々に説いた。その結果、怒った賢者たちによって「ソクラテスは善良な市民を惑わす教えを広めている」と告発され裁判にかけられる。自業自得な気がするが、死罪が求刑の法廷で被告人が答弁したのが『ソクラテスの弁明』である。
私は無知であることを知っているから賢者であるという思想や、自分は貧乏だがそのことこそ私が清く正しいことの証明だとか、死を逃れるよりも悪を逃れることの方が難しいぞなどと反論をするが、高所からの物言いが、裁判感や陪審員に気に入られるはずもなく、死刑が確定してしまう。
実はこの死刑はソクラテスが牢屋から逃亡すれば、容易に逃れることができるものだった。そこで親友クリトンが牢に行って脱獄しなさいと勧めると、国法を守って死ぬことの正しさを滔々と語った。それが併録されている『クリトン』だ。結局、死ななくてもよかったのに、頑固なソクラテスは信念に殉じて毒を飲んで最期を遂げたといわれている。
スピーチの天才100人 達人に学ぶ人を動かす話し方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/100-4.html
この本がきっかけで読んだわけだが、
"出発の時間になりました。これから私たちはそれぞれの道を行くことになります。私は死に、みなさんは生き続けます。どちらがよい道なのかは、神にしかわかりません ─── 「ソクラテスの弁明」紀元前399年、ギリシアのアテネで(プラトン著「ソクラテスの弁明」より)"
の文脈がよくわかった。