Books-Philosophy: 2010年5月アーカイブ

・知識人として生きる ネガティヴ・シンキングのポジティヴ・パワー
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知識人であるために敢えて宗教色の強いインテリジェント・デザイン論を、裁判において支持する証言者をして物議を醸した(冒頭でなぜ支持したか釈明している)という、ユニークな経歴もある社会学者・哲学者が書いた知識人論。

そもそも現代において「知識人」と言う言葉はネガティブにもとらえられがちだが、本書が言うように、従来の知識人の果たしてきた役割に、「市場」がとってかわるようになったことと関係があるだろう。

「変わったのは、かつては責任を持った傲慢な一部の人たち(検閲者)によってなされていた「決定」が、今では多数の無邪気で無責任な人たち(消費者)の間に拡散してしまったということである。」

知識人に変わって「起業家」は市場に人々が求める商品を提示して革命を起こす。いまや知識人なんかより、グーグルやアップルの方がよほど革命的なのだ。では知識人なんてものは不要になってしまったのだろうか?。

「知識人とは、時勢における政治の実践者だ。彼等は後の世代をその支持者とする。彼等の本来の役割は、あらゆる優勢なものは常に一時的であり、覆されるものだということを示し、収支バランスを保つことである。つまり、知識人は、一般的な政治の問題において、その矛先を弱いものではなく、強いものに向けなければならないということだ。すなわち強いものを小さくするか、弱いものを大きくするかのどちらかだ。要するに、知識人は非神話化の実行者あるいはソフィストになることができる。」

著者の主張を、グーグルやアップルの神話を非神話化する役割としてこそ知識人は必要という意味に読んだ。起業家にはそれはできないことなのだ。

「...ある知識の正確な意味は、その創成の時点では、必ずしも完全には把握されていないので、知識生産に最も多く投資する人が、その主な受益者とはならないこともあり得る。それでも、これらの「労せずして稼ぐ」受益者を排除しようとすれば、なお高くつくことになろう。この逆説的な状況は、経済学者が知識を「公共財」と呼ぶ場合に意味されているものを捉えているわけだ。」

いかにも「知識人」らしく、言い回しが凝っていて、全体的に難解な書物だが、冒頭でこの本が言いたいことはやさしく要約されている。つまり、以下のようなメッセージだ。

知識人は、

1 自分自身で評価する能力はきちんと持ったままで、しかし、ものを多面的に読めることができるようにしよう
2 どんなメディアにおいても、どんな思想内容をも、自由に伝えることができるように、自らを鍛えよう
3 どんな論点も、完全に違っているとか、完全に無視できる、などとは考えないようにしよう
4 誰かの意見に対して、自らの意見を言うとき、それを強化するのではなく、むしろ、反対のバランスをとるように計らおう
5 公的な議論では、真実に対しては粘り強く論じ、しかし誤謬に関しては寛容に許容しよう

という志をもつ人であり、それは絶対的な真理を確定させる科学者や、世にでて意見を言うことがない哲学者などともスタンスが異なると定義する。

ネガティヴ・シンキングのポジティヴ・パワーという副題がついているが、実際にいると同時代的には「嫌な奴」であろう。戦争しようと皆が熱くなっているときに、一人冷静に反戦を主張できる人のことだ。だが派手なパフォーマンスはしないから目立たない。大変に損な役回りだろうし、どうやって生きていけばいいのだろうか?。著者は「知識人についてびよくある質問」として問答集でそうした疑問に対して答えている。

スペシャリストの時代から再びジェネラリストの時代へ。絶対的な一つの真実ではなく、社会における「真実全体」を追い求めよう、というメッセージは、グローバリズムとダイバシティがせめぎあう現代において、知の担い手のあるべき姿のひとつを提示している
ように思った。

・知識人とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/01/post-517.html
・知識の社会史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1069.html
・インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1210.html