Books-Misc: 2008年9月アーカイブ
のだめカンタービレの音楽監修で知られる指揮者兼オーボエ奏者の茂木大輔氏が語るクラシック音楽鑑賞術。最初から最後まで庶民的でわかりやすい解説がクラシック音楽体験のハードルをぐっと下げてくれる。
「Sというのはむしろ「あまりに早く売り切れてしまわないため」に設けてある、「値段が特に高い席」であって、見え方聴こえ方が特別に優れているという根拠ではないことが多い。」
と言ったり、素人にはわかりにくい「演奏のよしあし」についてプロとしてこんな正直な説明をしている。
「演奏が、本当によかったか?」については、特別な場合を除いては楽団員全員に共通の印象などはなく、感想は個人バラバラで、つまり、我々自身が解っていない。<中略>ま、試しに勇気をもってデカイ音で拍手してごらんなさい。「あ!いまの良かったのか......」という具合で、周りの人もつられて、あっというまに拍手が倍くらいの音量になる。アンタも一気に尊敬の目で見られて「通」になっから。そんなもんだ。」
とはいえ、クラシックにはマナーや慣例があって、うかつに拍手をしてはいけないときもある。拍手が好ましいタイミングや、楽曲がまだ終了していないのに終わったように聞こえる「フライング拍手要注意曲目リスト」などが紹介されている。
ちなみに題名にある拍手のルールだが、拍手には音量、音程、密度の3要素と3法則があるのだそうだ。クラシックコンサートに限らず汎用的に拍手に通じそうな納得の分析のように思った。この基準は機械で拍手の成分分析するのに使えるかもしれない。
法則1:拍手の音量は拍手者の対外的表現意欲に比例する (社会的)大←→小(個人的)
法則2:拍手の音程は拍手者の感動の表面性に比例する (表面的)高い←→低い(内面的)
法則3:拍手の密度は拍手者の興奮度に比例する
それから私にとっての最大の収穫は「指揮者は何をしているのか」という、子供の頃からの素朴な疑問に丁寧な答えがあったこと。指揮者がオケを演奏するのがコンサートだという意味がよくわかった。
まだ雑誌連載中の漫画。これは面白くて単行本で最新刊まで読破。早く次が出ないかな。
へうげる=剽げるとは「ふざけている」「おどけている」という意味。
「群雄割拠、下剋上の戦国時代。
立身出世を目指しながら、茶の湯と物欲に魂を奪われた男がいた。
織田信長の家臣・古田左介(ふるたさすけ)。
天才・信長から壮大な世界性を、茶聖・千宗易(利休)から深遠な精神性を学び、「へうげもの」への道をひた走る。
生か死か、武か数奇か。それが問題だ!! 」
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将で茶人として知られる古田織部正の人生を描いた歴史漫画。好事家の古田は群雄割拠サバイバルの戦場でも、趣味の茶道や美術のことが頭から離れない。武士の道にいきようと心に誓うが、戦火で焼失しそうな陶芸の逸品などをみると、戦いもそっちのけで手に入れようと身体が動いてしまう。
最近の流行語に「ワークライフバランス」という言葉があるが、仕事にせよ趣味にせよもバランスを取ろうとして取れるものならたいした問題じゃないのだと言える。それが好きで好きで仕方がなくて死ぬほど没頭してしまう人が問題なのである。
戦国時代が収束して中央集権体制が固まろうとしている時代。古田織部と千利休は数寄の世界に絶対的な自由を求めた表現者たちであった。その志向性は独裁者の意向と次第に対立し始める。二人とも芸術家なのに、最後は為政者から切腹を命じられて死んでいる。芸術表現の可能性とヤバさがテーマである。
戦国時代の歴史ものが好きな人におすすめ。本能寺の変の黒幕はあの人だったとか歴史の大胆な解釈もある。
・へうげもの official blog
http://hyouge.exblog.jp/
・「へうげもの」
http://e-morning.jp/flash/heuge.html
・お笑いで支店長になりまして―年間約二百回の講演をこなすユーモアコンサルタントがおくるビジネス対人術
お堅い雰囲気の信用金庫勤務時代に「お笑い研究会」を旗揚げし、地域への貢献が認められて支店長にまでなった「ユーモアコンサルタント」のお話。ビジネスにおける笑いの効用を研究した著者は「人を笑わせることは、特にビジネストークにおいては、性格の問題ではなく、技術の問題なのです。」と結論している。
「技術」といっても決して高度なものではない。その気になれば、誰にでもできそうな笑いへの取り組みや考え方を紹介している。たとえば「ユーモアトーク」の例は、
「この問題のラベルは、大変高いのです」(レベル...)
「私は、この分野ではエキスパンダーといわれています。」(エキスパート...)
「昔からよくいわれています、備えあれば・・・備えあれば嬉しいな」
という感じで、字面だけ見たらばただのオヤジギャグである。だが、表紙の写真の著者がニコニコしながらこれを喋れば、場が楽しい雰囲気になるだろうなというのは、容易に想像できる。
私の尊敬する先輩社長と似ているなあと思った。その社長は会社の中でしばしばベタなオヤジギャグを言っている。本人もそんなことを言えばベタでオヤジくさく見えることを意識している。でも、チームを和ませたいという意図が伝わってくるので、みんな半分お愛想で笑う。でも、そうやって笑っているうちに、場は本当に和んでいる。すごくいい社長だと思う。
ビジネスの現場では、お笑い芸人のような洗練されたショウが求められているわけではない。場を良い雰囲気にしたいと思って話していることが周りに伝わることが大切なのだろうと思う。
「ビジネスにおいては、人に優しい笑いを心掛けていただきたいのです。お客様を愉快にさせてあげたいとか部下や同僚を楽しませてあげたいとの気持ちで笑いを発信してください。」
「協調の笑い」「笑いの誘因作用」「リセットの笑い」「シーソー理論」「太鼓持ち理論」など笑いの効用がまとめられている。特に「シーソー理論」がよかった。誰かを貶めて笑うのではなく、自分を笑いのネタにせよというアドバイスだ。
「失敗談も自分の失敗談を面白おかしく話せばよいのです。お客様とあなたがシーソーをしているところをイメージしてください。あなたが下がっているときは、お客様は勝手に上がっていますね。あの感じです。」
落とすときには自分を下げて、相手を持ち上げる笑い話をしなさいと勧めている。これって、うまくやるには自分に相当の自信がないとできないものだと思う。自虐的に見えたりしたら失敗だ。やはりユーモアとは余裕の証なのである。
講演記録風の読みやすい本で、すらすらっと読めて楽しかった。ユーモア論というと、欧米人のユーモアを引き合いに出す本が多かったように思うが、日本人の社会には馴染まない部分もある。この本はその点、関西お笑い風だ。わかりやすい。日本人の普通のビジネスマンが笑いをどうビジネスに活用するか、実践的な方法論の本である。
・笑って元気
http://blog.livedoor.jp/yano5151/
著者のブログ。
・もっと笑うためのユーモア学入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000892.html
・「人志松本のすべらない話」と「必笑小咄のテクニック」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/08/post-425.html
大人なビジュアルブックを2冊紹介。
宇宙人?新種のアメーバ?ジュヌビエーブ・ゴクレールの描く、へんてこな生物たちの男女が出会い、恋に落ち、セックスし、子供を産み、そして死んでいく。何十世代にわたるへんてこな生物の系譜が起承転結なく延々と続く。そこには天才もいれば怠け者もいる。有名人も殺人犯もいる。一人として同じ人生はない。
何の脈絡もなく多様な人生模様の連続を見続けるうちに、結局、生きるっていうのは、最初に生と最後に死があってその間に愛がある。ただそれだけなんだなと気づかされる。ユニバーサルなメッセージとして響いてくる。へんてこな生物が自分自身のように思えてくる。
・Genevieve Gauckler
http://www.g2works.com/
ジュヌビエーブ・ゴクレールのサイト。
裁判所は人生の悲喜こもごもが集まる結節点である。罪を暴かれてうなだれる顔、怒りを投げかける顔、人生を諦める顔、恥ずかしさに顔を赤らめる顔、物思いにふける顔、計算をする顔。日常にはない強烈に感情的な顔が裁判所にはある。ベルギーの絵本作家ガブリエル・バンサンはブリュッセル裁判所に20年以上も通って繰り返しスケッチした。
被告や証人、検察や弁護士、裁判官のラフスケッチ集だ。絵には説明文が一切ない。しかし、どの絵からも背景にある深刻な物語の雰囲気が伝わってくる。高い窓から光が入る裁判所であるため人々の顔の陰影が深く絵の印象を強めている。
たまたま古本屋で入手したバンサンの「砂漠」もよかった。こちらも光と陰が美しい。
異世界漫画の天才 諸星大二郎による幻想SF連作の単行本化。神話や伝説をベースにする作品が多い人だが、今回はなんと未来のバイオテクノロジーがテーマだ。物語世界では人類は遺伝子操作を濫用した結果、生物の遺伝子が混成状態になってしまった。知性を持った動物や、動物化した人間たちがひきおこす恐怖とシュールな笑い。
諸星大二郎らしいのは、こんなテーマでも、まったく説教臭さがないこと。テクノロジーの暴走に警鐘を鳴らすとか、倫理的な問題提起をする気配はゼロで、飽くまで怪物を登場させる格好のネタのひとつと考えているようだ。
アーサー・C・クラークは「高度に発達した技術は魔法と見分けがつかない」と言ったが、最先端の技術は、いまや人類の願いを叶えてくれる魔法であると同時に、破滅させる呪いにもなりうる。ちょうど今日、スイスとフランスの国境付近で世界最大の素粒子加速実験装置「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」が稼働を開始した。この最先端科学の実験は小さなブラックホールを生み出す可能性が5000万分の1くらいあると噂されている。それが本当に発生すると地球は呑み込まれて人類も当然ジ・エンドである。
もちろん科学者達はそんなことにはならないと否定している。だが、このニュースを知って、インドの少女が本当に世界が終わると思い込んで自殺してしまった。科学は伝統的な迷信や呪術を消滅させたが、同時にそれ自体が新しい呪いを生み出しているといえるのじゃないだろうか。
子供の頃、この"運動神経"という言葉が苦手だった。私は鈍かったから。やせ形で筋肉がつきにくい体質だから、自分にはどうしようもないよなあと思っていた。運動神経とは鍛えられた筋肉だと理解していたわけだ。この本を読んで、もしかするとそうじゃないのかも?と今更気がつかされた。
「これまでトレーニングといえば、筋力やスタミナ向上を目指した、単調でつらいものだった。しかし、そんなことをしなくても、足は速くなったのだ。変わったのは筋力だけではなく、一言でいえば、身体の使い方である。ここにあらゆるスポーツの上達に通じる、秘訣がある。」
著者の理論は「身のこなし」「体の操作性」を向上させて運動不器用を運動器用に変身させるというものだ。たとえば腹筋運動が一回もできない人は、多くの場合、「腹筋がどこにあってどのように力を入れればよいのかわからない、という理由」によるのだそうだ。動きの「観念」(イメージ)を脳に明確にしてやるとできるようになるという。
「運動は脳の指令をうけて成り立つものである。しかし逆に、その動きに必要な新しい運動神経回路をイメージや動きのトレーニングによって形成することで、いわば脳の新しい機能を育てるという働きももっている。」
著者はそうした独自の理論を応用して、楕円軌道式自転車のような「足が速くなる」トレーニングマシンを開発した。有名選手達がこれを使って次々に記録の向上を達成している。この本は著者の理論と長年の実践を一般向けにまとめたものである。
脳と運動能力の関係についてスポーツ科学の領域で解明されてきた事実が面白い。運動部のように根性で無闇にきつい練習を積み上げるよりも、合理的な科学トレーニングを少しする方が、優れたスポーツ選手を育てることができるということのようだ。
学生時代の私は運動部の不合理な雰囲気が嫌いで文化系になっていたのだが、著者の研究が浸透すれば「科学的な体育会系」ができるのかもしれない。後半で近年の青少年の体力低下についても触れられていた。運動神経は子供の頃(2,3歳から)に発達させておくのがよいそうだ。
「つまり、近年の青少年の体力・運動能力の発達を総合的に見た場合、その平均値は中学三年生までにほとんどピークに達し、それ以後の発達はわずかであるか、ほとんど見られないということになる。十四歳以後、低下する項目さえある。」
私は運動神経が苦手なまま大人になり、どうでもよくなってしまったが(健康ではいたいですが)、子供には上手になって欲しいものである。著者の理論をベースにした体育玩具とか作って欲しいなあと思う。
・運動神経の科学
http://www.undoushinkei.jp/
岸本佐知子の講談社エッセイ賞受賞作。
私はテレビのノイズ画面を録画して、Youtubeで公開している。「なんの意味も面白みもない映像"のサンプルとしてアップしている。30秒間、正直に見ていると怖い顔がフラッシュするとか、ネット動画によくある悪戯も仕掛けていない(あれはほんとに怖いよね)。
・テレビのノイズ画面
http://jp.youtube.com/watch?v=86jud0vrH5o
これをオフィスに来た人に見せると20秒くらいで飽きてふーんという顔になる。そこで「宇宙背景放射」の話をする。「150億年くらい前に宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発を起こして膨張を始めたことはご存じですよね。その影響で放たれた強力な電磁波は今も宇宙に広がり続けています。テレビの砂嵐ノイズの5%はその宇宙背景放射が引き起こしていると調べた学者がいます。私たちはビッグバンをテレビの中で見ることが出来るんですねえ」。
そして、もう一度、この動画を再生してみせると、さきほどと違って、みんな食い入るように見つめてくれる。面白くないものを面白くする文脈が与えられたからだ。
岸本佐知子のエッセイのテーマは日常の経験や子供時代の追憶である。特別なことは起きない。何の変哲もない出来事ばかりだ。ひとつひとつは砂嵐の砂みたいなものである。それが彼女の妄想力ビッグバンによって、笑いのネタと化していく。
書き出しの2,3行でその文脈形成に成功している。どうでもよい話とわかりつつも、続きが読みたくなる興味関心喚起力がある。
「私の通った幼稚園には、幅二十センチほどの帯状の地獄があった。それは「お弁当室」と呼ばれる部屋の戸口の床の、なぜかそこだけタイルの色が変わっている部分のことで、そこを踏むと地獄に落ちると言われていた。」
「私はいま、目の前にあるこの英語の文章の意味について、一心に考えなければならない。だがそう思うそばから、ついついコアラの鼻について考えてしまうのである。あの鼻、材質は何でできているのだろう。何となく、昔の椅子の脚の先にかぶせてあった黒いゴムのカバーに似ている気がする。触ったらどんな感じだろう。カサカサしてほんのり暖かいだろうか。それとも案外ひんやり湿っているだろうか。」
「もしも誰かに、あなたを動物にたとえるなら何ですか、と訊かれたなら「ゴンズイ」と答える用意がある。さらに補足として「ゴンズイ玉の、中のほうにいるやつ」と説明する用意もある。」
雑念や煩悩っていうのは捨てるべきものではなくて、面白いエッセイを書くときのために、濃縮して取っておくもの、なのだな。この作家の雑念妄想ストックは相当に膨大な量があるようで、次から次へと文脈にはまりこむやつがほいほい出てくる。笑わせるだけでなく、しんみりさせたり、その通り!と共感させたり、四十数本のエッセイはバリエーションでも飽きさせない。
軽妙なエッセイはこう書くべしというお手本のような秀作。私もこういう文章でブログが書けたらいいんですけどね、雑念妄想埋蔵量が足りなくて、全然無理。
・第23回講談社エッセイ賞受賞 記念 単行本未収録エッセイ、大公開! ねにもつタイプ 岸本佐知子
http://www.chikumashobo.co.jp/special/nenimotu/
そろそろ髪を切りにいかなければと思う矢先に広告を見たので思わず読んでしまった。理容師・美容師で複数店舗の経営者でもある著者が書いたビジネスで成功する髪型の法則。どんな素敵な髪型があるの?いやいや内容は意表をつくものであった。
人は初対面の人に出会って3秒以内に相手に対する印象を決めるが、その大きな決め手が髪型であるという米国の心理学者の研究があるそうだ。髪型がビジネスに与える影響というのも案外に大きいのかも知れない。著者は多くのビジネスマンの髪型を観察して、成功している人に共通の「ビジ髪」法則を見出した。本書にはその詳細が書かれているわけだが...。
結局、究極のビジネスヘアとは何か。
答えはあまりにシンプル。
なんと 「7:3分け」 なのである。
日本の成功した社長は十中八九、シチサンだろう、と。
「世界各国の格式を重んじる人々が頑なに守り続けているため、公の場においては7:3分けが基準となっているのです。これこそがグローバルスタンダードというわけです。」
悪いことは言わないからあなたもとっととシチサン分けにしなさい、というストレートなメッセージの本である。
えり足、もみ上げ、耳、額、眉毛、つむじ、ヘアカラー、スタイリングの8つの黄金律が紹介されている。本気で実践したい場合、このページは床屋での注文の際に役立つ。巻末にはカラー写真でビジ髪の実物模範例が多数紹介されている。なるほど著者の理想はこういう方向かというのがよくわかる。
「ワルい要素を取り除くことが、品格のあるスタイルを生み出すのです。」
「年齢が髪型を決めるのではない。その人の立場が髪型を決めるのだ。」
「あなたは誰のために髪を切っているのですか?」
ビジネスならシチサンにしておきなさい、という結論は面白みがないけれど、妥当なアドバイスなのだろうなと思う。だって現代日本のビジネス社会でクリエイター以外の職種の人間が、茶髪や個性的なヘアスタイルを選ぶのはかなり損である。軽くて不真面目に思われるし、どこかしら「アンチ○○」な感じになってしまうのである。
逆に言うと、個性的な髪型で活躍している人というのは個人として余程の力ある人だろうと思う。要らぬハンデを追いながら社会的競争で十分にやっていける実力の持ち主だ。あの人は特別と周囲に認めさせる特別な存在感を持っているはずである。そこまでいけばクジャクの羽のようなものだ。生存競争の上ではハンデでも、異性や仲間を惹きつけるディスプレイ、輝かしいトレードマークとして機能する。その場合、実にかっこいい。
しかし実力や人気がないのに真似をすると苦しい戦いを強いられる。
だから、著者の言うように一人前になるまでは無難な髪型にしておくのが成功の秘訣だというのは実に妥当な結論だなと納得する。特にこれから就職活動の人はぜひ参考にするとよいと思う。男性の髪型は敢えて強く個性を主張しない方がよいのだ。
でも私、シチサン似合うかなあ.....。
(この本は、結局、シチサンオンリーというわけではなくて、短髪で清潔感のあるビジネス髪のすすめ+写真カタログ本であった。)