Books-Misc: 2007年7月アーカイブ
先天性全盲である著者が、聴覚、触覚、嗅覚をフル稼働させて、どのように世界を認識しているかを書いた本。この表現が適切かどうかわからないのだが、”目から鱗が落ちる”記述の連続である。そして面白い。
生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである。
著者の日常生活の記述は、視覚アリの人にとっては、非日常であり、驚きと気づきの連続である。たとえば「目が見える人が絵を描くとき、目で捉えられないものは描かないという話は私にとって大きな衝撃でした」という一文から、世界認識の大きな違いが見えてくる。
この本は、日々の生活や幼少時代を振り返った短いエッセイで構成されている。それぞれのエッセイには、読者を引き込むトピックが仕込まれているので、ぐいぐい引き込まれる。
「私は嗅覚で空模様がわかります」
「私は毎晩夢を見ます」
「最近料理をよく作るようになりました」
「卓球にも盲人用があります」
「怒り顔ができない」
「アザラシがイメージできない」
「自動販売機のスリル」
「え、それってどういうこと?」、「そういえば見えない人はそれどうやるのだろう?」という疑問に対して、明快な答えを書いている。視覚アリの人向けにデザインされた社会に、視覚ナシの著者が生きるのは苦労が多そうだが、その他の研ぎ澄まされた感覚を使って、上手にこなしていく。ときには自動販売機のランダム押しのようなことを楽しんでさえいる。
この本が素晴らしいなと思うのは著者が、実に楽しそうに持ちネタをしゃべっていることである。目が見えるから見えないことがあり、目が見えないから見えることがある。だから、ピアノを上手に弾くとか、英語がペラペラであるとか、円周率何万桁暗唱できるってどういう体験なのかを、それを得意な人がしゃべるのと同じように、著者は、視覚なしで世界を認識できるとはどういうことなのかを、能力の一つとして、しゃべっているのである。障がい者が健常者に向けて書いた本ではなく、達人が凡人に向けて書いた本なのだ。
だから、広く一般の読者が楽しめる面白い本になっている。
著者は、2004年のイラク邦人人質事件で、日本中から「自己責任」を問われた3人のうちの一人 郡山 総一郎氏。決してふらふらしていたわけではなく、命がけで取材していたジャーナリストだったことがわかる。
「2004年4月の「拘束事件」では、僕がフリーだったがゆえにいろいろと叩かれることになった気がしてならない。もし僕が大手新聞社のスタッフ・フォトグラファーだったなら、あんな状態にはならなかったであろう。」
乳製品を運ぶトラック運転手だった著者は、ある朝、テレビでパレスチナで投石を行う少年たちの映像にひきつけられ、仕事を辞めて、フォトジャーナリストになる。カメラは触ったこともなかったくらいの素人だった。そんな著者が世界を飛び回るプロのフォト・ジャーナリストになるまでの冒険を描く。もちろん写真も多数。
読みどころは、カメラ馬鹿の部分だ。なにも知らずに中古のニコンF2(現代なのに古すぎる!)に始まり、デジカメになってキヤノンに乗り換え、一方でライカに手を出す。道楽カメラではなく、徹底的に実用カメラ遍歴の話である点が面白い。少ない予算をやりくりして、現場で使える本体やレンズの組み合わせを探っている。
プロカメラマンの仕事の過酷さと醍醐味。等身大のフリーランスの生きざまがかっこいいなと思った。ただし、これはジャーナリズム論の本ではない。人質事件のことは、こちらの別の本に書いているようである。
あくまでこれはカメラ馬鹿の本なのであった。
オランダの風俗画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)についてのガイドブック。新潮社とんぼの本。作品と出身地の町デルフトの写真が美しい。
私は美術史について初心者でこれから詳しくなりたいと思っているのだけれども、この本は知識がなくても、作品の全部鑑賞と背景知識の勉強ができて、素晴らしいと思った。全部鑑賞というのは、フェルメールの作品は現在三十数作しか残っておらず、この本に全作品がカラーで収録されているからである。
フェルメールの代表作は、人物がいる部屋に、向かって左にある窓から光が差し込んでいる構図ばかりだ。これはどうやらフェルメールが絵を描いた家の配置と関係があるらしい。
・牛乳を注ぐ女 (ウィキペディア、パブリックドメインより)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg/180px-Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg
タイトルに「謎解き」と入っているのは、
・フェルメールは謎の画家とされているが実態はどうだったのか
・フェルメールが絵を描く際にカメラ・オブスキュラを使ったかどうか
・戦前戦後の美術テロリズムにフェルメール作品が何度も狙われてきた経緯
などを謎解き風に解説しているから。
・フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
http://milkmaid.jp/
国立新美術館で9月からフェルメール作品が展示される。よい予習になる本。
アラーキーは凄いのである、と、えらく感動してしまった写真集。
藤原新也や森山大道の写真集は、ハードボイルドな男の生きざまである。かっこよくて時代性や社会性を背負った劇画モノという感じである。ゴルゴ13みたいである。飾らない風でいてちゃんと飾っている作品だ。それに対して荒木経惟の人生の集大成みたいなこの作品は、男のめめしいセンチメンタリズムの歴史である。もちろん、かっこよさを求めた写真が数としては多いのだけれど、目立つのは、アラーキーが泣きながら撮ったような写真である。
1962年から最近までの200枚くらいの写真が、年代別に収録されている。写真芸術家としての各時代のベストショットの合間に、アラーキーが身内を撮影した作品が挟まれている。
たとえば駆け出し時代の、新婚の妻との幸福な写真は、あまりにふつうなスナップショットだ。どんな夫婦にもある、ありふれた蜜月を素直に写していて、観ている方が面映ゆくなってしまう。作品になろうがなるまいが、写真家は人生を写すのが生きがいなのであった。
この「東京人生」を読むきっかけになったのは、別の本「写真とことば―写真家二十五人、かく語りき」だった。25人の写真家が紹介されているが、ここに荒木経惟が身内の死を撮影したことについての思いを綴ったエッセイが収録されていた。心を打つ、凄い名文である。私はそれを読んで、荒木経惟に強い関心を持った。
・写真とことば―写真家二十五人、かく語りき
「写真家は、見事な写真作品だけでなく、自らの芸術を言葉でも表現している。土門拳、森山大道、荒木経惟、星野道夫他、代表的な二十五名の写真家達の言葉を収録しつつ、それぞれの芸術を解説する。」
「東京人生」にはそれらの身内の死の写真が含まれる。アラーキーは父親の死に際して遺体を撮影した。苦しそうな死に顔を撮れなくて腕の刺青を写した。母親の死の時には、それが少し残念だったので、今度はちゃんと顔を写した。そして先立たれた妻の死は、癌を知らされた日から、死の直前まで、カメラでたくさん記録して作品にした。
荒木の写真は年代を追うごとに、作為性が薄くなって、真正面から人の笑顔や幸福を写すようになっていく。いわば人生そのものを写すようになる。東京人生というタイトルは、東京で生きてきた著者の人生そのものという意味だ。
「死を感じてるから、ことさら生に向かえという。だからものすごくいい写真は照れとかなんとかが抜けちゃってる。だって最初は、たとえば「冷蔵庫、幸福」とか、バカなことやってるじゃない。それがストレートに、家族がいいんだ、その時の声が聞こえればいいんだ、笑顔がいいんだって、平気で撮れるしね。すごいもんですよ。だからどんどんピュアというかストレートになっていくんだね。」
10年ごとの年代で区切られた作品群を、順番に見ていくうちに、悲しくなって嬉しくなって、自分の人生の一部を重ね合わせてしまって、いつのまにかアラーキーという異人が身近に感じられてくる。それでいいのだ、そうでなくっちゃという気で写真を眺めるようになる。そういう体験は他の写真集で味わったことがなかった。名作だと思う。アラーキーはヌードじゃない方もすごい。
写真家 森山大道の1976年の作品の文庫版。
・森山大道オフィシャルサイト
http://www.moriyamadaido.com/top.html
モノクロで極端にローキーで、こってりと真っ黒で、粒子が粗い写真が並ぶ。眼をほそめて世界をぼんやり眺めているときの見え方だ。白くぼおっと浮き上がる景色は、柳田国男の遠野物語ではなくて、一昔前にどこかで見た日本のふるさとのイメージである。
「僕のように実際に帰るという意味での「ふるさと」などどこにもなく、ただただ恋を恋するがごとく、いい年をして甘ったれて、イメージの「ふるさと」を追い求めている者にとっては、「ふるさと」って、きっと幼時からの無数の記憶のなかから、さまざまな断片をつなぎあわせてふくらませた、あるユートピアというか、「原景」なんじゃないかって自分では思うわけです。そんな僕の「ふるさと」像の具現というか仮構の場所として、僕にはやはり遠野へのこだわりが抜きさしならずあったと言うほかないわけです。」
「だから僕がいまの遠野にカメラを持ってでかければ、たとえ架空のイメージにどんなに憧れていたところで、オシラサマや、ザシキワラシや、カッパたちに会うことはできませんが、そのかわりにアグネス・ラムや桜田淳子のポスターや、萩本欽一のペーパードールにあえるわけですよね。つまりそのことのほうが言うまでもなく大事なことだろうと僕は思うんです。」
ひたすら自らの故郷の原景を追い求めて、クリシェ(典型的なイメージ)を撮ろうとしても、実際に写るのは、クリシェの影としての現実の遠野だったということなのだろう。解説によるとこの作品を撮影中、写真家は長い内省を深めている時期だったらしく、どの写真も心象風景である。夢にでてきた世界をそのまま印画紙に焼き付けてしまったような、印象の強さがある。
・カラー写真を白黒写真に簡単キレイに変換するGekkoDI
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004969.html
・モノクローム写真の魅力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004940.html
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html
・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html
初心者向けのデジカメ撮影ガイド。すごくよくできていて驚いた。
難しい技術の説明はなし。こうするとこう撮れるよ、こんなときはこう撮るといい式の、美しい作例写真と絵本のようなシンプルな説明文だけで、写真上達のコツを教える内容。それでも撮影技術の基本は網羅されているので、めくっていくだけで、カメラやレンズの仕組みが理解できるように思った。少し技術を詳しく知りたい人向けには詳細な文章説明のある「おさらい」コーナーが用意されている。
これまでに読んだどの撮影術の本よりもわかりやすいと思った。アマゾン他で読者に絶賛されているのもうなずける。この絵本に学ぶことはふたつあって、ひとつめは、もちろん、よい写真の撮り方なのだが、ふたつめは、視覚的に教えるやり方である。
このハートアートシリーズは他にも数冊出ているが、どれもビジュアルで一目瞭然に教えることに優れている。わかりやすいプレゼンテーションとはなにかの研究材料にも使える。
デジカメのえほンには、マクロモードの面白さも紹介されていた。私はコンパクトデジカメのマクロモードでご飯を撮るのが以前から好きだった。数センチまで被写体に寄ることができるから、料理の質感をとらえて、おいしそうに見える。
・2006年のフード写真集
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