Books-Misc: 2007年4月アーカイブ

・光の神話 心の扉を開くピンホール・アートフォト
41ZBQPBNZQL__AA240_.jpg

スピリチュアル系の本を冷やかな疑いの眼差しで見ている私であるが、この写真集にはうっかり癒されてしまった。ピンホールカメラで写真を撮すという行為をセラピー療法として売り出した女性カメラマンによるアートフォト。撮影技法の解説やセラピーのガイドもある。

ピンホールカメラにはレンズがないから、本来はピントという概念がない。普通の写真と比べたら、シャープに撮れたものでもかなりピンボケの部類に入る。光の反射や現像処理の手違いで意外な光の効果が出たりもする。撮りたいようには撮れないのである。だから、偶然の効果で得られたピンボケ写像が自分の心の反映みたいに思えることがある。

「しかし、「撮りたい」という「思い」で写真を撮ること自体が主体的な行為なのです。その上、アングルを見ることができないということは、結果が予測できないため、一枚撮るのに通常のカメラに比べてはるかに勇気がいります。それによって予想できないことに対して自分を信じて思い切って行動する「チャレンジ」を楽しみながら学べます。」

著者は、プロのカメラマンからピンホールフォトのセラピストへ転身した人なので、ポラロイドだがいい写真ばかりだ。くっきりとは写さず、わざとぶらしたりして、抽象的な絵を撮っている。ポラロイドフィルムならではの色合いと粒子の粗さもいいなと思った。

心象風景みたいなピンホール写真で独特なものを私も撮れないかなと思って方法を考えた。使ったのは例のソニプラ入手のピンホールカメラ

まず絵を抽象化するためにフィルムはモノクロでいくことにした。本来は真黒なモノクロが好きなのだが、独創性を狙って逆に真っ白なピンホール写真ってどうだろうかと考えた。敢えて露光過多にしてみよう。そこで、フィルム売り場へ行ってとんでもない高感度のフィルムを探したところ、あった。ISO 3200のモノクロフィルムがあるのだ。

・ILFORD 3200 DELTA
ilforddelta32003200.gif

そして屋外、晴天で露光時間10秒から20秒で撮影してきた。30秒にしたコマもある。このピンホールのスペックが不明だが、適正露出は1秒以下だろう。100分の1以下かもしれない。普通に考えたら真っ白になる。だが現像ラボは粘ってくれるかもしれないと期待。どうなるんだ、いったい。

普通の街のDPEに出したところ、モノクロはラボ送りになるので3日位待ってとのこと。ところが、数時間後に電話がかかってきた。「これは感度がいくつですか?」。「3200です」と答えたら「ちょっとお渡しまでにお時間かかります」との答え。一週間後に受け取りに行ったら、やはり妙なことになっていた。「コマずれがある上に全部真っ白で何か写っているように現像するのが大変でした」とのこと。

フィルムを普通に切れないのでネガは変な返却容器に入っていた。いやあ、困らせて悪いことをしたと一瞬反省、でも相手はプロだから気にしないでもいいか。受付の人も興味がありそうな眼をしていたので「理科の実験みたいなものです」と答えておいた。

できてきたのはこんな感じ。超高感度のざらつきとかろうじて結んだ像。カメラの歴史の始まりのダゲレオタイプ写真みたいである。独特なのは間違いないが、何が映っているのか、よくわからない。心象風景っぽい、かな(笑)。









さて次はどんな実験をしようか。

・WORLD of PINHOLE
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004933.html

・ピンホールカメラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004930.html

・The Photography Book
0714844888_01__BO2,204,203,200_PIsitb-dp-500-arrow,TopRight,45,-64_OU09_SCLZZZZZZZ_AA240_SH20_.jpg

古今東西500人の有名写真家の写真を、1枚ずつ500枚集めた写真集。一作に写真家を代表させるというのは難しいと思うのだが、ピンとくる一枚と出会えたら深追いしていくきっかけになる。写真芸術の世界の見通しを作るのによさそうな大判サイズの本。洋書。

それぞれの作品には英語で数行の解説がつけられている。作品を見て解説を読むと1枚当たり、2,3分かかるので、写真集とはいえ読み通すのにはかなりの時間がかかる。毎晩、寝る前に少しずつ味わいながら見ていった。好きな作品に付箋を貼ったら20枚にもなった。

・気になった写真家リスト
Allard William Albert
Burri Rene
Carroll Lewis
Dijkstra Rineke
Erwitt Elliot
Evans Frederick H
Ghirri Luigi
Goldblatt David
Goldin Nan
Gowin Emmet
Groover Jan
Gursky Andreas
Hockney David
Hofer Candida
Knight Nick
Krims Les
Levy & Sons
Lichfield Patrick
McCurry Steve
Parkinson Norman

500人の写真家の個人的なベストを一人挙げるとしたら、エリオット・アーウィットである。ウィットとユーモアに富んだ決定的瞬間を撮り続けている。作品は白黒ばかりだが、強烈な個性があって、アーウィットの作品であることが一目瞭然といっていい。私が利き酒ならぬ利き写真で、かなりの確率で作家を言い当てられる数少ない写真家だ。

私がアーウィットの作品を初めて見たのは、学生時代に聴いたフェアグラウンド・アトラクションというバンドの、アルバム 「The First Kiss of Million kisses」のジャケットだった。バックミラーの中で男女がキスしている印象的な一枚。音楽と同じくらいこの写真が気に入って衝動買いした。それがアーウィットの作品の一部を切り取ったものだと知ったのは数年前のこと。

・Personal Best
3832791620_01__SCLZZZZZZZ_V45880588_AA240_.jpg

代表作。

エリオット・アーウィットの作品はポートレートでも風景でもない。彼の被写体は物語であり、まさに「情景」という言葉がふさわしい。見るものの感情を動かすドラマチックな場面の連続なのである。

アーウィットの撮影技法について詳しくないが、おそらく一部または多くが作為の演出で作った写真なのではないかと思われる。偶然にスナップしたにしては道具立てや構図が整いすぎている。しかし、その作為は高度に洗練されており、映画のワンシーン以上に背景を物語ってくる。長々と見惚れてしまう。

なお、5月6日まで銀座のシャネル ネクサスホールでエリオット・アーウィットの代表作の無料展覧会が開催されている。ここでは無料でパンフレットと呼ぶにはもったいないくらいの立派な、多数の写真入り冊子が配布されている。この冊子なら1000円でも払うのだが、タダで配るシャネルはえらいえらい、よくやった。

・エリオット・アーウィット写真展
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/elliott/

また恵比寿の写真美術館でも5月まで、世界最強の写真家集団マグナム・フォトスの東京写真展が開かれている。エリオット・アーウィットもマグナムの一員であり、こちらでも傑作が展示されていた。どちらもおすすめである。

・”TOKYO” マグナムが撮った東京
http://www.syabi.com/details/magnam.html

・土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
4773371684_09__SCLZZZZZZZ_AA240_.jpg

近代写真のパイオニア 土門拳はリアリズムを徹底的に追求する写真家だ。「絶対非演出の絶対スナップ」を信条に、戦前戦後の貧困にあえぐ市井の人々や、原爆の後遺症に苦しむ広島の人々にファインダーを向けた。写真集「筑豊のこどもたち」「ヒロシマ」がその代表作だ。

「少しでも演出的な作為的なものが加わるならば、その写真がどんなに構成的に、説明的にまとまりを示していようとも、長い時間の、くりかえしでの鑑賞に堪えないものとして、つまり底の浅い、飽きる写真になってしまうのである」

「モチーフを発見した時は、もうシャッターを切っておった、というのでなくては、スナップの醍醐味はない」

「ボケていようがブレていようが、いい写真はいい写真なのである。そんな末梢的な説明描写にスナップの境地はないのである。スナップはスリのようなものだ」

土門は禁欲的な求道者であり、自らの肉体をカメラと一体化させるための訓練に熱心であった。愛用する135ミリレンズの距離感をつかむため、すべてを7フィート(人物の全身が入る距離)で撮影して、百発百中になるフレーミング技術をまず身につけた。

そしてピント合わせは夜の窓からみえるライオン歯磨きの看板を使って修行する。

「ぼくはそのために、ライオン歯磨のラの字を目標にして、カメラ保持、ファインダーのぞき、シャッター切りという一連の操作を一組にしたトレーニングを横位置五百回、縦位置五百回、合計千回ずつを毎日晩御飯の食休みにやった。本当に撮影しているときの気分を出して、毎日千回シャッターを切った。それも二ヶ月ほどで完全にものにできた」

絶対スナップで世に出た土門拳だったが、脂の乗った時期に、二度の脳梗塞の発作で半身不随、車椅子生活を余儀なくされる。スナップ写真家にとって大切なフットワークを失った。しかし不屈の精神力と肉体修行で復活し、今度は大型カメラと弟子を引き連れた「大名行列」の撮影スタイルで、全国の寺社と仏像を撮影し、代表作のシリーズ「古寺巡礼」を撮り続けた。

・古寺巡礼
4096811513_09__SCLZZZZZZZ_V44534889_AA240_.jpg

古寺巡礼の写真は画面のすべてにピントを合わせるために、極限まで絞った写真である。絞るということはレンズから光が入る穴を小さくするということである。寺社はもともと暗いから、絞り込んだら普通はちゃんと写らない。

弟子が「暗くて撮影になりません」というと「写る、写ると思って写せば写るのだ」と怒鳴り返す土門。「念力で写すのだ」とまでいう。じゃあ、どう撮りますかと聞かれて、F64からF45というとんでもない高い絞り値でやれと命令する。(一般的に普通のカメラの撮影は1.4から16くらいのはず、しかも当時は高感度フィルムはない)。逆らうとゲンコと怒号が飛んでくる。弟子たちは寒い撮影現場で長時間、ガタガタ震えながら、写るかもわからぬ写真を気合いで撮った、撮らされた。

30分という長時間露光で仏像を撮影し、光不足を補うために何十回もあらゆる角度からフラッシュを焚いた。こうすることで、仏像の質感がはっきりと作品に浮かび上がった。非現実的な光線状態の中で、仏像に魂が宿っているようにさえ見える。土門が撮影技法をどこまで考えていたのかはわからないのだが、結果的には歴史的傑作となった。

リアリズムの土門と、軽妙洒脱の木村伊兵衛は、近代写真の双璧であるが、性格も作風も対極にあった。旦那衆の道楽的な粋を極める木村伊兵衛に対して、貧しい少年時代を送った土門は強烈なライバル意識を持っていたようだ。二人の名前を冠した二つの写真賞が戦後の日本のカメラマンを育てたが、今も両賞の受賞作品はその二つの作風を反映しているようにみえる。

「マチエール」(質感、存在感)を写すために徹底的に絞り込む、肉眼をカメラと一体化する訓練を行う、演出と作為を完全に排除する。それが土門の撮影技法であった。タイトルは撮影技法の本であるが、カメラの操作方法の記述はほとんどない。そのかわり写真芸術とは何かの本質に迫る本である。迫力のある精神論と人生論が読み応えのある名著である。

・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html

大ファンの諸星大二郎の漫画。

・私家版鳥類図譜
4063346943_09__SCMZZZZZZZ_V45091559_AA140_.jpg

・私家版魚類図譜
4063722783_01__SCLZZZZZZZ_V24310340_AA240_.jpg

諸星大二郎の作品は、大きくオドロオドロしい系と、シュールな喜劇系がある。前者は「暗黒神話」、「マッドメン」、「妖怪ハンター」シリーズなど日本と海外の神話をモチーフにした作品群であり、後者は「しおりとしみこの」などの創作物語の作品群である。
私は前者が圧倒的に好きだ。

・妖怪ハンター最新作
4063720608_01__SCLZZZZZZZ_V45362242_AA240_.jpg


諸星大二郎の作品に携帯が出てくるのが古いファンとしては衝撃だった。

「魚類」と「鳥類」はともにどちらかといえば後者寄りなのだが、両者が混在した短編集でもあり、魚類が若干前者に近いように感じた。日本神話には海寄りの話が多いから自然とそうしたイメージになるのかもしれない。鳥類の方が哲学的思索的な印象がある。

2冊を通じてのベストは「鮫人」。中国の宋の将軍がひとり謎の漁村に漂着して出会う不思議譚。絵のタッチや物語の雰囲気が諸星大二郎の真骨頂であるドロドロ神話系のイメージに染まっている。

6作収録の鳥類編は、各作のバリエーションが楽しい。諸星大二郎の作品の幅の広さがこの短編集で味わえる。ホラー、ファンタジー、ミステリー、ギャグ、なんだそりゃ、など、次はどう出てくるのか意表を突かれる。

諸星大二郎が、あとがきに文章を書いている(漫画の天才だが文章はなぜか下手)。いつも興味しんしんでこの人の文章を読むのだが、今回もまた拍子ぬけさせられる。「鳥類図譜」と「魚類図譜」が書棚に二冊並べて置いたら気持ちいいなと思ったから、鳥類に続けて魚類を描いただけ、だそうである。作品から深い哲学を感じるのだが、作家は結構、思いつきで描いているようだ。天然の才能はすごいな。