Books-Management: 2010年2月アーカイブ
価値があるから消費者に選ばれてブランドになるいう「ブランド自然選択説」。ブランド自体の世界観やビジョンが価値を創造するという「ブランドパワー説」。ブランドに対しては対照的なとらえかたがあるが、消費欲望や権威に還元するだけでは説明できない「何か」こそブランドのブランドの本質であると説くブランドの本質論と、有名ブランドをケースにしたブランドマネジメント論。
「ブランドと製品群とはまさに相互に支えあって、ひとつの世界をつくりだしている。それはいわば、どちらかがどちらかを支えているという一方的な関係に還元して理解できず、お互いがお互いを前提とすることで根拠づけられるという自己言及的な関係だといえる。それは、ひとつの社会的実在としての意味世界を形成するきっかけでもある。」
アップルが価値があるのはアップルだから、ソニーがいいのはソニーだからでもある。ブランド価値の定義は無限循環の自己言及プロセスになる。メディアはメッセージであるというマクルーハンの思想が、ブランドという概念にもあてはまる。ブランドパワーは制作者や経営者がこめる思いや夢が想像する意味世界が、実体の世界を動かす力になる。
この本ではブランド・パワーの構成要素として以下のようなものが挙げられている。
「そのブランドは、どれだけ消費者に知られているか」(ブランド知名度)
「その内容を、消費者はどれだけ理解しているか」(ブランド理解度)
「それは、どれだけの試行購入を喚起するか」(トライアル喚起力)
「それは、どれほどの再購入意図を生みだしているか」(リピート喚起力)
「消費者は、それに、どれほどの新しさや驚きを感じているか」(情緒尺度)
「それは、価格面で、他のブランドにひけをとらないか」(相対価格)
こうした要素ではかられたブランドパワーアメリカの上位ブランドは、半世紀以上続いたものがほとんどだ。そこでは一度作られたブランドに対して常に絶えざるブランド価値の再構成が行われてきた。認知されたブランドを企業はどう拡張していくべきか、成功例と失敗例、経営におけるブランドのマネジメント論が語られている。
1999年初版の本なので目新しい事例はないが、ブランドってなんだろうと改めて本質を振り返ってみたいときに役立つ教科書的な内容。
プロが教えるアート批評の書き方。美術、音楽、絵画、映画をどう言葉で表現するか。
「そもそもすぐれた芸術作品は、本質的にその芸術固有の媒体(音楽なら音、絵画なら色彩)によってしか表現できないことを表現しています。それを言葉で写し取ることは根本的に不可能なのです。この意味で批評の言葉は本質的な無力をうちに抱え込んでいます。ボードレールは、批評の言葉が理性的な言葉であることはできず、批評自体がひとつの芸術作品となるほかはないというようなことを書いています。」
メディウム・スペシフィックな性質を乗り越えて、言葉にできない感動を敢えて言葉で伝えようとするのがアートの評論行為だ。そこでは普通は悪文とされるものがアートの批評としては名文とされたりする。映画評論家としてのジャン=リュック・ゴダールの華麗なレトリックの例が紹介されていた。これ。
「イングマール・ベルイマンは瞬間の映像作家である。......イングマール・ベルイマンの一本の映画は、こう言ってよければ、一時間半にわたって自らを変貌させ、引きのばし続ける二十四分の一秒である。まばたきとまばたきの間の世界であり、心臓の鼓動と鼓動の間の悲しみであり、拍手のひと打ちとひと打ちの間の生きる喜びなのだ。」
私はこの映画を知らないが、この一説を読むと何かイメージが伝わってくる。引きのばし続ける二十四分の一秒や、心臓の鼓動と鼓動の間の悲しみとは何なのか、実は語っていない不明瞭な文章なのだが、批評対象の魅力は伝わってくる。ある程度は支離滅裂な構成もありなのだ。
「ことは美術に限った話ではないが、批評とは個人の主張を前面に押し出した言説であり、しかも多くの場合、その習慣は客観的な根拠に乏しく、個人の勝手な思い込みに由来している。」
まずこれを認めてしまった上で、さあ、どう書こうかと始める。それが結局、言葉にできないものを言葉で伝える挑戦の第一歩ということらしい。ロジカルさを追究するだけでは感動を呼ぶ文章にならない。そして最終的にはその書き手なりの文体を獲得することが大切だと教えている。
この本はプロのアート系ライターが、いくつものノウハウや試行錯誤、悩み所を解説する小論集。本来は、評論ライターのプロを目指す人向けの本だ。だが、こういう技術はいまや少数の評論家だけの問題ではない。ブログでアートを紹介したり、食べログや価格コムみたいな掲示板に書き込みをするときだって使える"百万人の"技術でもあると思う。