Books-Management: 2007年9月アーカイブ
「「情報」の力が意思決定させるものであるとするならば、はたして、携帯やパソコンを使って意思決定のために大量の情報を受け取っている人々は、情報の力を享受していると言えるのだろうか。誤解を恐れずに言えば、それは情報の力を利用することではなく、実は情報を受け取る側が、情報の力の対象になっているにしかすぎないと筆者は考える。
「情報の力を利用すること」、それは「情報により個人や組織が意思決定する」ことではなく、「情報に基づき個人や組織に意思決定させること」である。つまり、情報は人々に意思決定を「させる」ことによってこそ、世界を変えてしまう力を持つのである。」
受動的な情報分析ノウハウではなく、人を動かすための能動的な「情報スタイリング」についての本である。情報が伝達される時間的、空間的な範囲「情報ステージ」に応じて、最も影響力のある情報発信は何かを、認知心理学や社会学などの研究成果に触れながら、ポイントを解説している。
ブログなどで情報発信を始めた多くの人が経験から学ぶこととして、著者がいう「大衆は理解できる情報の量が少ないということではなく、本質的に多くの人間が共通して理解できる部分は、人が増えれば増えるほど少なくなるということなのである。」ということがあるなと思う。読者が増えれば増えるほど、読者と共有する前提が少なくなる。読者が少なかったうちは書いても問題にならなかった表現が、しだいに問題になったりもする。
情報発信のスタイリングというのは、個人の情報発信者にとっても大切なノウハウになりつつある。言わば戦略的な情報操作といえるかもしれない。「歪んだ基準を与える」「不確実性を利用する」「レモン一個分というレトリック」「明るい名前、暗い名前」「耳に残るCMソング」など、集団という対象に対する表現法が紹介されている。
他にも読みどころが満載の本である。マクルーハンのメディア論、シャノンの情報理論などの古典から、ここ数十年のメディアの歴史の総括、最新のブログ、ミクシイ、2ちゃんねる論など、とても幅広く現代における情報について話題を網羅している。3冊くらいにわけてもよかったくらい話題がたっぷりである。
「情報社会で確実に増加しているのは、情報そのものではなく、あくまでも情報の表現なのである。決して、情報の意味が増加しているというわけではない」という。情報の表現(たとえばブログの数)が増えれば増えるほど、受け手は混乱する。少数の情報発信者と多数の受信者というモデルから、発信受信ともに多数という状況で、発信者が取るべき戦略とは何かを考える材料が、この本にはいくつかみつかった。
言葉の合気道の本。
言われっぱなしはゴメンだが相手と争うのも賢くはない。
「大事なことは、相手の期待どおりに反応しないことです。とくに「相手が失礼な態度をとったのだから、ただじゃおかないわ」といった、ありきたりの復讐気分にひきずられるのは最悪です。そうではなくて、この出来事をひとまず距離をおいて冷静にながめてみましょう。たとえば「相手が私に対して失礼な態度をとったわ。これはなにか新しいことを試してみる絶好のチャンスなんだわ」といったように。好奇心をもつことが、あなたの精神衛生にとってはベストなのです。奇妙な人間を相手にするという新鮮さを発見してください。世界はあなたが実験をするためにあるのです。」
挑発に乗らず、相手を空回りさせることが、よい対処であるという。真正面から言い返してしまっては、相手の思うつぼであるし、心理的にも縛られてしまう。「あなたはちょうど太陽のまわりを回る惑星のように相手を軸にしてぐるぐると振り回されているだけなのです。相手の態度をかえてやろうとすればするほど、あなたはますます敵にしばりつけられていきます。」と著者はその状態を説明している。
そこで、この本では、アタマにくる人ことへの対応術として、
・相手の攻撃に対して黙ったまま身振りだけで対応する。
・相手の攻撃に答えず、まったく別の話題を切り出す。
・相手の攻撃をひとことでやり返す。
・相手の攻撃にまったく当てはまらないことわざで受け答えする
・あなたを傷つけた言葉の意味を聞き返す
・褒め殺しで返す
など12の手法が紹介されている。翻訳書なので日本でそのまま使うと怪しいものもある気がするが、大半がかなり有効なのではないかと思った。いや、こういう方法論を知っておくこと、本を読んでおくこと自体が余裕につながるのだと思う。
学生時代に電話受付けのアルバイトをしていた頃、お客からのクレーム電話でいきなり怒鳴られることは日常的だった。罵られることも珍しくなかった。「私は電話受け付けのプロである」と思うことで、これは研修で学んだワザの見せどころだとか、コミュニケーションスキル向上のよい練習だと思えて、むしろ、クレーム処理はやりがいがあったりもした。ある種のゲームとおもえば、心は傷つかず、冷静に対処することができた。
アタマにきたときどうするかの準備をしておくことって、天災に備えるのと同じくらい大切で、それ以上に有効なことなのではないだろうか。