Books-Internet: 2009年9月アーカイブ
「人間とは終わりのない情報ループを進むメッセンジャーである」というサイバネティクスの視点で、現代のデジタルコミュニケーションの生態系を眺める内容。サイバービア(電脳郊外)という言葉ははじめて聞いた。人々がネットワーク上で長時間を過ごす"巨大な電子情報ループ"を著者はサイバービアと名づけた。ソーシャルネットワークやブログや動画投稿サイト、あるいはセカンドライフのような電脳コミュニケーション空間のことだ。
「サイバービアでは電子的な弱いつながりによって、かつての直接的な関係という強いつながりよりもはるかに素早く情報を世界中に伝えられる。だがどのような情報が伝わるのだろうか?。より強い関係ではもみ消されていたはずの悪い噂も、弱いつながりのネットワークでは簡単に流される。サイバービアでは人々同士の関係が確かに弱く、後述するように、さまざまなつながりが生まれたことによってそれが強くなるわけでもない。むしろその反対だ。より強大になるのはサイバービアそのものである。」
こうした情報ループの囚人して鎖でつながれてしまう危険性も指摘されている。イギリスのユーザーの3人に2人がネットを閲覧しながら「自分は何を探しているのだろう?」と疑問に思っているだとか、4人に1人がネット利用の30%を電子的な空想に耽って過ごすという興味深いデータが挙げられている。インターネットはもはや人間関係ネットワークなので、みんなが何をしているか覗きたくなったり、自分のしていることを見せたくなったり、あるいは仲間の圧力によって一緒に行動をすることになったり、する。
本書の探究の軸には、ノーバート・ウィーナー、スチュアート・ブランド、マーシャル・マクルーハンという3人のサイバネティクス系の思想がある。コミュニケーションによるフィードバック機構が系を制御するのだから、問題はテクノロジーではなく、人間がそれをどう利用するかであるという考え方だ。サイバービアを有益な共創空間にするのも、過激な暴走システムにするのも、そこで行われるコミュニケーションの質にかかっている。
マクルーハンは、人間が道具を作るのではなく、道具が人間を作るという逆転の発想をした。デジタルコミュニケーションのツールは、人間が作ったものだが、それを使った情報ループに慣れ親しむうちに、人間の考え方の方が変わっていく。郵便と電子メール、電話とチャットでは用途も作法も内容も変わっていく。
本書で取り上げられたような
「多重性=複数の出来気が常に同時進行する」
「非線形=物語の進行もなければ最終的な目的もない」
「フィードバック=一部のコンテンツが過剰に注目される」
「ネットワーク効果=ネットワークの力が個人を凌駕する」
といった"非人間的"な性質も、当初はオールドタイプに批判されるが、やがては万人にとって当たり前のものとして常態化する。本書副題の「電脳郊外が"あなた"を変える」が表しているように、住み処はそこに棲む住人の意識を自然に変えてしまうからだ。
個人的にはクラウドコンピューティングよりクラウドソーシングのほうがずっと凄いと思う。コンピュータネットワークの上に実現されるヒューマンネットワークにこそ、インターネットの可能性があるのだ。世界中で使われていない才能や知識を、ネット上で集約し、活用する。オープンソースやウィキペディアは、そうした社会的生産の先鞭を付けた。世界最大のソフト開発と世界最大の辞典編集はオンラインのコミュニティが行っている。さらに世界には1日に20~60億時間もの潜在的な労働力が眠っているそうだ。あらゆる不可能を可能にできそうなパワーである。
近年のアマチュアのルネサンスは唐突に起きたのではなくて、高等教育を受ける人々が急増したこと、知識分配メカニズムとしてのインターネットの登場、複数の能力を身につけた労働力が専門性の高い労働市場で能力や教養を生かし切れず充実感を得られないでいること、などの現代社会の複合要因の必然的な結果であると著者は分析している。
この本では、群衆の持つ能力や適性を成功例をベースに検討している。ビジネス化という点では、コミュニティとコマースという一見対立するものを、いかに融合させて経済的価値を生み出す仕組みにしていくか、が最大の課題であろう。
そもそもコミュニティに何を任せたらよいのか。クラウドソーシングと単純労働の積み上げである従来の「人海戦術」はまったく異なるものだ。単純作業の割り当てでは、群衆のボランタリな参加を望めない。
「簡潔に答えれば、コミュニティは能力のある人々を見分け、彼らの作ったものを評価することに長けているのである。コミュニティのもつこの作用は、いまや情報経済の核心になりつつある。情報経済での原材料は鉄や鋼などではなく。ベンクラーの言によれば、「人間の創造的な労働」である。」
人間の創造性を生み出すにはモチベーションが必要だ。たとえばあるテーマでサイトに記事を書くことを頼んでもなかなか引き受けてもらえないが、尊敬する誰かと話をする"インタビューウィーク"を仕掛けると、人々は参加して記事が投稿されるようになったなどという事例が紹介されている。
本書では「クラウドソーシングのルール」が10個挙げられている。
1 正しい方式を選ぶ
1 集団的知性 2 群衆の創造 3 群衆の投票 4 群衆の投資
2 正しい群衆を選ぶ
3 正しい動機を与える
4 早まってリストラしてはいけない
5 ものいわぬ群衆、あるいは慈悲深い独裁者の原則
6 ことを単純にし、小さく分ける
7 スタージョンの法則(90%はカスである)を忘れない
8 スタージョンの法則を逆手にとって、10%の存在を忘れない
9 コミュニティはつねに正しい
10 自分のために群衆に何ができるかではなく、群衆のために自分に何ができるかを問う
見ず知らずの人たちから参加や協力を引き出す方法を熟知したヒューマンネットーク専門のシステムエンジニアが求められているといえる。それはもはや従来のネットワーク技術者の範疇を超える。社会的技術、政治的技術が機械的技術と融合してこそヒューマンネットワークが花開くのだと思う。
この本はハヤカワ新書juice創刊の最初のラインナップ(2冊)のうちの1冊。「知的な渇きを癒す「新鮮で濃厚な」作品をお届けする」がコンセプトだそうだが、新書としてボリュームも内容もよくて大満足。