Books-Fiction: 2013年4月アーカイブ
伊藤潤二の漫画は気持ちが悪いのに、何年かに一回無性に読みたくなる中毒性がある。
朝日コミックスから傑作集として短編が集められている8巻目。伊藤潤二作品集は複数の出版社からでているが、これはコミックサイズで文庫サイズよりも大きいのがよいところ。
収録作品は、
超自然転校生
うめく配水管
血玉樹
首吊り気球
あやつり屋敷
肉色の怪
異常接近
土の中
の8編。最初と最後の2つが好きだな。
「超自然転校生」
超自然研究会に入ってきた転校生が「この町にはすごい滝があるんだね」と学校の裏道にあるはずのない滝の話をする。実際に行ってみると昨日までなかった滝が存在している。そして次は不思議な湖を発見したというので行ってみると...。
「土の中」
二十年前中学の卒業記念に校庭に埋めたタイムカプセル。旧友たちが集まって遂に掘り出す日がやってきた。ひとりだけこない生徒がいる。当時、過去のことをうじうじいうので嫌われて村八分にされていた女生徒だ。そういえばこの20年間誰も彼女と会っていないという。
表題作は映像化されている。予告編がYoutubeでみつかった。これがものすごくB級作品っぽくて笑えた。普通に考えて、水道管に人間が引き込まれていくとか、映像化は無理だろう...。
これはかなりグロい...漫画。
東京では連続猟奇殺人の死体が話題になっている。人間の皮膚が脱ぎ捨てられた服みたいに裏返しにされていたのだ。内にこもった抑圧感情が限度を超えたとき、人間の身体が裂けて内臓が露出して、裏返るのだという都市伝説が、若者の間で広まっている。ウラガエリを放っておくと、一見元の姿に戻って、普通の人間に混ざってしまうという。
「山科刑事の捜査ファイル」によるとウラガエリは「身体が裂け、そこから内蔵が飛び出し、流れ出していく。次第に流れ出した内臓が裏返った身体に引き寄せられ、粘膜質が人間の形を形成し始める。半透明の人形の繭の中に、内臓や血管が透けている。数時間後~数日後には表面が肌色に近くなり、元の姿に近づく。最後には裏返った目玉がもとに戻る。」というプロセスになる。
爪が反っているのが通常の人間とウラガエリの見分け方になるのだが、かなり無理のある設定だとは思う。想像するだけでも相当に気持ちが悪いし、内臓爆発が満載の絵も相当にグロテスク。しかし、ためこまれた抑圧が限界を超えて人間を内側から爆発させるというコンセプトは、抑圧の多い現代社会のホラーのコンセプトとしては秀逸だった。
ウラガエリを自分の意識で止めた女子高生ダークヒロインの復讐劇。
古典を漫画文庫で知る「まんがで読破」シリーズ。創刊の頃は、古典は原典にあたるべきであって、漫画であらすじを知るなんて邪道だと思っていたのだが、刊行が進み、何十冊も本棚に並ぶ壮観な様子にちょっと手に取ってみた。あれ、これよくできているじゃん...。見直しました。
古代インドでは人生の目的をダルマ(法)、アルタ(利)、カーマ(愛)の3つにわけて特にカーマについて論じた愛の経典がカーマ・スートラ。異性を誘い夢中にさせる性愛の技術が体系的に論じられている、というのは知っていたが、具体的に何が書いてあるのかまでは知らなかったわけで、いやあ、これは凄い(笑)。
古代エジプトでは紀元前1500年頃から死者を埋葬する際に「死者の書」を棺に入れるようになった。そこには死者が冥界で道に迷ったり、悪霊に襲われたときに、身を守る呪文が書かれていた。古代のある男の冥界への旅立ちを例にとって、当時の死生観と死者の書の役割を明らかにしていく。
これもいつか読まなくてはと思いながら後回しになっているヒトラーの著。早くに両親を亡くした生い立ちから、ナチスを立ち上げ独裁者への道を歩む過程を、ヒトラー自身が語っている。ヒトラーの第一回の革命の失敗、ミュンヘン一揆のプロセスがよくわかった。
とりあえずシリーズから3冊読んでみたが、あらすじ漫画といっても、結構長編なので、しっかり内容や背景説明に触れていて、学習教材といってもいいくらい、よくできた作品群だということを理解した。
高校時代の親友4人に突然絶縁された過去をずっとひきずって大人になった主人公多崎つくる。4人の名字は赤松、青海、白根、黒埜。つくるにだけ名前が色彩をもたない。過去の自分と向き合う巡礼の旅のように、裏切られた旧友たちをひとりずつ訪問しにいく設定がさすがに巧みだと思った。それだけで緊張感ある見せ場が何度か担保される。再会するごとに謎が明らかになっていくミステリの面白さが基本。
少しずつ時間をかけて過去の傷から回復していく再生の物語でもあるが、村上春樹という天才をしても、最新テクノロジーと共存する人間的なドラマを描くのって、難しいんだなと思った。オフライン環境をつくって物語をスローダウンさせようとする工夫が目立って感じた。
ケータイがなかった昔、待ち合わせは今よりもずっとドラマチックだった。思い人と会えるかどうかわからない。約束を信じるしかない。待ち合わせに行かないというメッセージの伝え方もありえた。だから、会えなかったら一生会えないかもしれないみたいなロマンがあった。この作品はある意味ではまだ、ポケベル時代くらいの、古き良き時代設定を使っている。クライマックスも通信事情が悪そうな異国の辺境の地を選んでいる。
グーグルやフェイスブックはこの作品にちゃんと登場する。昔の仲間たちの現状を調べるツールとして重要な役割を果たしさえする。だが、主人公自身はネットを使わない。恋人に任せて調べてもらうばかりだ。スローライフ、スローニュース指向、メンタリティが古いのだ。絶縁の理由を16年間も知らずに過ごすなんてネットワーク社会の現代っ子ではありえないだろう。
そろそろ小説読者のITリテラシーがあがってきていて、村上春樹の読者たちも普通にスマホやフェイスブックを使っているわけだから、今回はうまく回避しているが、次回作あたりは、ノーベル賞候の文学者も真正面から取り組まざるをえなくなるのではないかと思う。
これは驚いた。コンビニで売られているような安いホラーかと思ったら、そうではなく、すごくいいじゃないか。八つ墓村のモデルとなった津山三十人殺しを描いた長編漫画作品。描写が直截的で強烈なので猟奇系が苦手な人にはおすすめできないが。
村人たちの冷たい仕打ちに怒りを貯めこんできた青年がブチ切れて、村人たちを次々に惨殺して回る。鬱憤を貯めこむまでの緊張感と、それが破裂するときの高揚感。どちらも完璧に描いた。村人の"躾"と称する主人公へのいじめは陰惨極まりなく、またその復讐を何倍返しにもして返す。最後の晩は圧倒的な怒りの前に社会とか道徳とかは完全に消滅してしまう。
津山三十人殺しは資料がいっぱいあるから、リアリティ重視でそのまま描くこともできたはずだが、かなり著者ならではの創作を入れている。その創作がとてもうまく活きていて、村八分にされた若者が大量殺人者へと変わっていく狂気のプロセスが説得力を持っている。
この作家は別のをもっと読みたい。
津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-853.html
3部作の第2作目。ディズニーが映画化するのでもうすぐ大きな話題になるはず。ヤングアダルト向けだが大人が読んでも十分に面白い。
未来の地球。完璧な医療と社会サービスが実現されている。市民は決められたルールに従っている限り、適当な伴侶を割り当てられ、決められた数の子供を産み育てて、ぴったり80歳まで平穏に生きられることが約束されている。完全予定調和の社会で、完璧な秩序を維持するため政府は逸脱者を許さない。
制度に縛られた理想社会を抜け出した少女カッシアは、政府ではなく自分自身が選んだ運命の人カイを追って、逸脱者たちが追いやられた辺境地域で働くシーンから始まる。前回は完璧な政府の監視下で静かな展開だったが、今回はその外側の無法地帯へ逃げて行ってからの話が多くて動的な展開。少しずつ世界の謎が解けていく。
このシリーズのテーマは自由の追求。アメリカの若者たちにこれが受けるというのが面白い。
自由の国でありながら、若者たちは閉塞感の中に生きているということなのか。そして体制からの逸脱と自由への逃走の動機となるのが男女の恋愛である。実は尾崎豊ワールドなのだ?BGMでI Love Youとか流れてきておかしくない気もしてくる。青い情熱のSFファンタジーなのだった。
・カッシアの物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1586.html
"地球温暖化で一度滅びた人類は、同じ過ちを繰り返さないように、すべてをコンピュータと官僚機構が決定する完璧な管理社会をつくりあげている。人々は人生のすべてを決められた通りに生きる代わりに、予期せぬ不幸、病気や事故はなくなった。この世界では人は定められた日に生まれて、定められた相手と結婚し、定められた職業に就いて、やがて子を生み、そして80歳の誕生日に死んでいくのだ。あらゆる行動は監視され過度な自由意志と一切の私有は法律で禁じられている。"
ジョージ 秋山の傑作。
何の取り柄もなく、無職で醜男子で、生きるのがつまらないと感じている狸穴勇介。ある日、弁当屋で働く京子と出会う。顔は悪いがが体つきだけはよい女だ。「神我の湖」という新興宗教にはまっている。性欲が強い勇介は、京子につきあいたいと思い近づくが、やがて口説くのも面倒になってストーキングしてレイプするに至る。そこから二人は互いの醜さを嫌いながらもひとつ屋根の下で暮らし始める。
レイプから始まる男女関係に象徴されているが、人間のだらしなさ、どうしようもなさをこれでもかといわんばかりに強調した作品だ。煩悩を抱えた登場人物が煩悩のままにうごめいている。それは読者の心の中にもいくらかはある煩悩であり、読み進めると、自分がどんどん堕落していく気持ちになる。その堕落感がいい。
作品名にある「捨てがたき」という形容詞の説明は作中にないのだけれど、
執着(愛)を捨てられない人々
あるいは神の視点から
世界から捨てられるべきではない人々
という意味でとらえるといいのだろうか。
小説のようなしっかりした読後感をもらえる大人向けの傑作漫画だ。子供は読んじゃダメ。
莫 言(モー・イエン)は2012年のノーベル文学賞を受賞した中国人作家。
清朝末期の山東省で、鉄道を敷設しにきた横柄なドイツ軍兵士に妻を凌辱されそうになった孫丙は、ドイツ人の技師を殺害してしまう。これに怒ったドイツ軍は町を攻撃して住民を大量虐殺する。伝統大衆芸能の演者だった孫丙は持ち前の演技力でシンパを集めて反乱軍を組織する。事態を重く見た袁世凱大統領は、孫丙をとらえさせ、見せしめのために最高の極刑に処することを高密県知事に命じる。
その知事と孫丙の娘が裏では愛人関係にあったり、かつて朝廷で伝説の処刑人として名をはせた孫丙の父親が息子の処刑を請け負ったりと、複雑な人間関係のドラマもあるのだが、何よりも印象的なのは残酷な処刑法の丁寧な解説の部分。
確かに中国史には残虐な刑がいくつもあるというのは有名だ。
たとえば腰斬刑は腰のところで受刑者を真っ二つにする刑だ。受刑者は切られてもすぐには死なないらしくて、数分から数十分の間、のたうちまわり、大変な苦しみを味わうことになる。凌遅刑は小刀で受刑者の身体を少しずつ削ぎ取っていく刑だ。肉を削ぐ回数が決まっていて、最後の一刀で絶命させるのが、執行者の技だった。この小説にも凌遅刑の執行場面がでてくる。描写が生々しくて気持ち悪くなってしまうほど。
だが凌遅刑では、そう長くは受刑者の命がもたない。みせしめ効果を期待した袁世凱は受刑者に5日間以上、生きたまま地獄の苦痛を味あわせることを要求した。5日持たずに受刑者が死んでしまえば、次は処刑人の命が危うい。天才処刑人が提案した、受刑者の阿鼻叫喚が延々と続く究極の「白檀の刑」とは?嗚呼惨い。
列強に蹂躙される中国。内部が、権力との癒着や官僚主義、権力闘争、迷信迷妄、不倫といった汚濁にまみれて腐りきっており、出口が見えない。架空の伝統演劇「猫腔」の絶唱に乗せて、民衆の絶望の叫びが響く。壮大なドラマだが、極刑描写、不倫ドラマ、抵抗運動、動乱の中国史、清朝末期の朝廷の様子など、読者をひきつける要素がちりばめられていて、長編だが短く感じた。