Books-Fiction: 2012年12月アーカイブ
『血だるま剣法/おのれらに告ぐ』『薩摩義士伝』の平田弘史といえば臓物飛び散る過激で陰惨な時代漫画の作風で知られる人だが、この短編集は彼の作品群の中でも異色だ。江戸時代に無名でありながらも自らの命を賭して大義に殉じていったものたちの生きざまを描いたイイ話集なのだ。
いがみあう2つの村の争いを収めるために、村人たちの目の前で川に入って自らの首を斬った道慶根。癇症による短気が治らぬ主君を直すため自らの肉を献じた菅沼主水、崩御した天皇の土葬を命を懸けて主張して先例を変えさせた魚屋奥八兵衛など全11話。
史実を調べて、名もなき勇者たちをみつけて、すこし物語として膨らませて描いている。破滅的なオチが多い平田弘史作品だが、この作品は異質で、人は死ぬし、臓物が出るシーンもないわけではないが、最後は心温まるいい話として終わってくれるので、安心感がある。
薩摩義士伝
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/06/post-1656.html
2009年に1,2,3巻を読んだ。連合赤軍や浅間山荘事件をモチーフにした過激な学生運動家たちの青春群像劇。このたび4,5,6巻をKindleで読んだ。
1,2,3ではまだ不穏な空気に過ぎなかった。ついにこの巻のあたりから、頭でっかちな若者たちが、机上の空論から、仲間同士を処刑して殺し合う殺人集団へと変わっていく。怖いものみたさでページをめくる。盛り上がってきた。やっぱり、この作品は名作になってきたと確信。
ホラー映画でいえば、出るぞ出るぞといってなかなか出なかったモンスターの登場まではとてもうまく描けている。後半でモンスターがその異様を全部丸出しにしたうえで、どう凶暴な牙をむくのか、読者を圧倒するか、7巻以降が大注目になった。
オフラインで政治的思想に生きるということができた最後の世代。アジトや山岳ベースに集団で籠って自分たちの信念を強化していくことができた。インターネットやケータイの時代ではここまで組織の思想は煮詰まらないと感じる。あるとしたら別の形のテロリズムだろう。
各話で死人ナンバリングと運命カウントダウンが緊張感を演出するのだが、単行本だとちょっと回数が多すぎて食傷気味かも。
・レッド 1969~1972
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/-19691972.html
偏執的ストーカーの男が主人公のサスペンス。10年前、大学時代にたった一度だけお茶をしたことがある憧れの女性を思い出して、主人公の男は探偵事務所を使って居場所を調べる。彼女が結婚してある街で暮らしていることを知った男は、その家の近所に熱帯魚屋を開店して熱帯魚が好きなはずの彼女の来店を待つ。そして彼女と再会するがこれといった特徴のない男のことを彼女は忘れている。男は彼女の家に忍び込み、隠しマイクを仕掛ける。それだけでは我慢ができず侵入して夫婦の寝室のベッドの下に潜り込んで息をひそめていたりもする。
うわ、そこまでやるか、という偏執ストーカーなのだが、その侵入と盗聴によって、彼女の夫がひどい暴力夫で、妻を虐待していることが判明する。放っておけば彼女が殺されてしまうかもしれないが、ストーカーとしてはベッドの下から出てしまうわけにもいかない。妙な葛藤に苦しみながらも、一方的に愛する彼女を救う方法をストーカー男は考える。実は彼女もこの家に第三者が侵入している気配に気がついていて...。
この大石圭という作家は半分ホラー小説家で半分官能小説家という立ち位置の人で、その持ち味をうまく本作では活かしていて、サスペンスとエロスを絶妙にブレンドすることに成功している。ちょっと猟奇趣味、変態趣味入っているものの、娯楽小説として面白いと思った。
Kindleで読書。
読むのは3回目。中学時代、大学の頃、そして今、Kindle版で読んだ。若いときに読んだ二十四の瞳を、私は反戦や反貧困の社会的メッセージの本として受け止めていた。感想文を書く、教養のために読む古典という意識が強かったからかもしれない。なんだか硬い単語を交えて、真面目でつまらない感想文を書いた記憶がある。
いま四十を過ぎて、自由に読む二十四の瞳は、そういう社会的メッセージの印象が薄れて、人のつながりの素晴らしさの方が印象深かった。大石先生は足をけがして、12人の生徒と一旦は別れるがまた4年生で担任として再会する。そして大人になってからもまた生徒たちに呼ばれて旧交を温める。戦争や貧困で子供たちも先生も時代の波に翻弄されて大変だったけれども、こんな素晴らしいつながりは、恵まれた環境でもそうそう作れない。
ソーシャルネットワークができて、卒業生同士や教員が常につながり続けることができるようになった。これは良いことなのだけれども、二十四の瞳で描かれたような再会の重み、切ない思い出というのは、だいぶ薄れてしまう気がする。フェイスブックに投稿したデジタル写真はいつまでも色褪せない。原題にはないセピア色の美しさがこの小説にはあるなあと。
日本映画の傑作のひとつとして数えられることも多い名画。
1位 映画『二十四の瞳』(木下恵介監督、高峰秀子主演)。音楽の使い方が素晴らしすぎる。ちゃんと3番まで歌わせる。繰り返す。現代の映画にはない時間感覚が新鮮。1年生時代と6年生時代の子供たちがよく似ているのはオーディションで、よく似た兄弟を選んで出演させたからというのはトリビア。
全5巻で劇画忠臣蔵。これホントに素晴らしい。時代劇漫画が好きな人にイチオシ。
松の廊下で刃傷に及んだ主君が切腹、残された大石内蔵助筆頭の浪士たちが、敵討ちを見事に果たすという大筋は誰もが知るところだが、忠臣蔵には魅力的なサイドストーリーがたくさんある。47人全員とはいかないが、討ち入りにいたるまでの主要人物たちの個別のドラマを丁寧に描いている。その支流が合流して大義の奔流となっていく。厚みがものすごくある忠臣蔵である。歴史の解説もしっかりしている。
浅野内匠頭は少し短慮な人物として描かれている。吉良にも吉良なりの意地悪の理由があったという事情もちゃんと書かれている。松の廊下の刃傷の本当の理由はわかっていないわけだが、史実や史料をもとにして、かなり納得させる創作部分が見事。
12月14日は討ち入りの日。そして年末はテレビで忠臣蔵放映が続く。いまが旬。
というわけで先日、赤穂浪士の墓所、泉岳寺に初めて行った。
並ぶ47人の義士の墓。赤穂浪士たちの法名には切腹を意味する「刃」の字が使われているが、1人だけ使われていないのが寺坂吉右衛門。映画『最後の忠臣蔵』のモデルとなった。寺坂は討ち入り後に大石内蔵助から討ち入りの仔細を遺族に伝える密命を与えられ長く生きた。役目を終えて自首したら時効扱いで切腹に至らなかったのだという。泉岳寺には赤穂義士記念館もあり陣笠や連名書状など見たが、おまけ的な別館でズラッと並ぶ義士木像館がよかった。