Books-Fiction: 2012年10月アーカイブ

光圀伝

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・光圀伝
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この小説を読まないのは大損。NHKは大河ドラマの原作にすべき。120点。

「「大義なり、紋太夫」
光圀は優しく囁きかけると、膝下に捕らえた男を、ぶつりと脇差の刃で刺した。」

1500枚の長編は67歳の光圀が少年時代から可愛がってきた家老を自らの手で刺し殺すシーンから始まる。天下の副将軍が生涯を賭けた大義とは何だったのか。水戸光圀といえば好々爺の水戸黄門がお供を連れて諸国漫遊するイメージがあるが、あれは史実とは異なる。常陸国水戸藩の第2代藩主として名君と呼ばれ、その財力で「大日本史」の編纂という大事業の創始した人物。実際には関東をほぼ出なかったといわれる。

若い頃は血気盛んな傾奇者で辻斬りで人を殺めることもあった。跡取りの器かどうか試す過酷な試練を与えてくる父との確執、文事(詩歌、学問)で天下を取りたいという熱い思い。好々爺などではなく猛虎を内に秘めたような男であったという新しい光圀イメージを確立させた。

宮本武蔵、山鹿素行、保科正行など歴史上の有名人たちが次々に登場して光圀の人生に絡む。「天地明察」の主人公安井算哲も、もちろんでてくる。光圀の立場から算哲と面談するシーンがあって楽しい。日本人としてラーメンをはじめて食べるシーンも。史実を重視していながらも、ドラマチックだ。よくこれだけのピースを破綻なく収められるなと小説家の手腕に驚かされる。光圀が文事の師として仰いだ後水尾院は、7つ×7つの詩歌を縦横に並べて、どこから読んでも意味が通る作品(蜘蛛手の歌)を作ったというが、まさにこの作品自体が蜘蛛手の歌と讃えていいのではないか。素晴らしい完成度。

個人的には左近萌えである。光圀は妻に先立たれ後妻をとらなかったが侍女の左近というツンデレ美女が、光圀を支える。たぶん、この左近はライトノベル出身の著者ならではのキャラクター創作だと思うが、映画化、ドラマ化された際の私の一番の注目は、この左近を誰が演じるかだというくらい、左近がいい(笑)。

光圀伝オフィシャルサイト
http://www.kadokawa.co.jp/mitsukuniden/

天地明察
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/06/post-1240.html
先日天地明察の映画を観てきた。あれだけ長い話を2時間にまとめるのは大変なわけでずいぶんはしょられていた。特に最初の妻とのエピソードを省いてしまったから、算哲とえんの二人がやっと結ばれました感が少し弱まっちゃったのが残念ではないかな。しかし一般向けにこの時代の天文ロマンを紹介する作品としてはよくできていたと思う。宮崎あおいは映画でまくりだが常に良妻賢母。別の役割も見てみたいものだが。

映画天地明察
http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html

・息がとまるほど
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面白い、面白い、とても性根がいやらしくて(笑)。

年上の上司との不倫。別れるつもりの最後のデートを同性の同僚に見つかってしまったOLの気苦労を描いた「無邪気な悪魔」。生き馬の目を抜くような銀座の夜の世界。独立して店を開きたいと思っている中堅ホステスが新人に教える生き残りの心得「ささやかな誤算」。だいたい妙齢の女子が主人公で、若さを失う焦りから生じる落とし穴にはまっていく。

女性の虚栄心、嫉妬、優越感、劣等感、愛憎、欲望が直接的に出てくる話ばかりで、それらが煮詰まって破綻する修羅場シーンは「息がとまるほど」怖い。状況設定はちょっとバブル的だし(著者の唯川 恵氏がその世代だからか)、人物描写が単純過ぎるのだが、その分、ドラマチックになっており、短編集としてスリル感を楽しめた。

これKoboで読んだのだが、Kindle版も出ている。短編1本あたりが15分くらいで読めるはずなので、電車内読書にちょうどいい。もっとでてないか同じ著者で調べる。

・怪物はささやく
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ヤングアダルト向けの大傑作小説。大人が読んでもひきこまれる。

母親と暮らす13歳の少年コナーの前に、毎晩12時7分になると、近所の大きなイチイの木が巨大な怪物の姿で部屋に訪れる。怪物は少年にいう。「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す...そのためにこのわたしを呼んだのだから」と。

怪物が話す3つの幻想世界の物語はどれも一般的な物語としては落ち着きが悪いものばかり。予定調和に終わらない筋書。最後に正義や善が勝つとは限らないし、善人だと思っていた人が別の観点では悪人に思えたりする。怪物はいう。

「物語にかならず善玉がいるとはかぎらん。悪玉についても同じだ。たいがいの人間は、善と悪のあいだのどこかに位置しているものだ。

コナーは首を振った。「退屈な話だ。それにずるすぎる」

これは実話だ。真実というものはたいがい、ごまかしのように聞こえるものだ。」

この作品は中盤まで主題が見えない。奇怪な怪物や不思議な物語はいったい何を意味しているのか?が宙ぶらりんで置かれる。後半ではそれらの断片的なメッセージが重なり合って、少年の置かれた残酷な現実、受け入れがたい真実が明らかにされていく。

私は少年時代に『モモ』(ミヒャエル・エンデ)という児童文学の傑作を読んで、小説物語が好きになったのだが、この作品と小中学生の頃と出会っていたら、たぶんまた違ったきっかけとなって大きな影響を受けていただろう。特にこの結末にはぞくっときた。

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