Books-Fiction: 2012年6月アーカイブ
丸尾末広が夢野久作の代表作『瓶詰の地獄』を漫画化した。
原作は本当に短い掌作。
・青空文庫『瓶詰の地獄』夢野久作の原作が全文読める
http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2381_13352.html
これを中編の漫画に仕上げている。
乗っていた客船が難破して思春期を迎える美しい兄妹が無人島に漂着する。二人は神に祈りながら、助け合って暮らすが、自然の中で半裸で過ごしていくうちに、互いに邪な気持ちが芽生えてくる。信仰心厚い二人にとってそれは生き地獄となる。その無人島から瓶に詰めて流された3通の父母宛の手紙というスタイルをとる3話連作。
丸尾末広お得意の退廃的耽美的な絵が、夢野の原作にぴったりはまっている。熱病に浮かされる感覚が漫画で、原作以上に生々しく再現されている。漫画化大成功である。
他に3篇が収録されている。古典落語が原作の『黄金餅』も秀逸。
人間の因業を漫画に描かせたら、丸尾末広と花輪和一の二人は別格クラスで凄いと思う。実に変態的だよなあと思いながら、結局、新刊がでるたび買ってしまうのであった。
・パノラマ島綺譚
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-984.html
丸尾末広×江戸川乱歩
古事記成立1300年ということで今年はとにかく古事記ものが多いのだが、これは『夕凪の街桜の国』などで知られる漫画家こうの史代がボールペン画という手法で挑んだ異色作。
冒頭に古事記全文を写経の如く小さな字でびっしりとボールペンで書き写したページからはじまる。巻物のように見えるように敢えて裁断していない装丁が意表をついている。著者はとにかくこの原文にこだわる。現代語訳を一切使わないつもりのようだ。コマには常に原文が書かれていて、脚注でのみ現代語の解説がつく。
オフィシャルサイト
http://webheibon.jp/kojiki/
漫画の絵柄はこのサイトで見ることができる。
長いマラソンが始まった。この1巻では天地創生、国生み、天の岩戸、黄泉の国、ヤマタノオロチといった物語が描かれる。古事記の序盤というのは、神様が次々に生まれてくるだけの記述が多いので、どうしてもドラマチックにはなりにくい部分だが、淡々とした絵でドラマチックな物語をつくるのがうまい人なので、2巻以降の展開に大いに期待してしまう。
2人のスペイン人のコラボによるグラフィックノベル(わかりやすくいえば漫画)作品。チェルノブイリ原発事故に巻き込まれた家族3世代の人生をシリアスに描く。よくできた一本の映像ドキュメンタリ番組を観るような、しかし日本の映像とは異なる独特のメディア体験ができる。
50ページの第一部はほとんどセリフがない。避難区域の家に自主的に戻った老夫婦が、放射線で汚染された土地で静かに暮らす日々が淡々と描かれている。避難地域には人がいない、音をたてるものが何もない。夫婦が話す話題もない。不気味な静けさに覆われたページが続く。
放射線は見た目には土地を破壊をしていない。草木が生い茂り、動物が徘徊するのどかな風景が広がっている。何も起きない日々だが、妻はときに防護服をつけた男たちの姿を夢に見てうなされる。厳しい現実に戻される。
中盤では原発が爆発したXデーが緊張感を持って描かれる。現地住民は事故の状況や危険性について何も知らされることがなかった。知らされないままに燃え上がる原発を消火したり、除染したりした80万人のロシア人たちの多くが病気になったり命を落とした理不尽。反原発のメッセージを直接打ち出すのではなく、ドキュメンタリタッチでそこに生きる市井の人々の日常を描くことで、読むものに自然な憤りを喚起させる手法をとっている。詩情豊かだ。
物語の舞台で、原発に最も近い町プリピャチ(人口4.7万人)では5月から遊園地が開演する予定だった。4月末に起きた事故によって、それが実現することはなかった。誰も乗ることのない観覧車が廃墟なっていく街に暗い影を落とす。無残に日常生活を断ち切られた人々の苦悩と再生の物語は、悲しいことに日本でも数十年後に同じように描かれるのだろう。フクシマに向けた著者らのメッセージも収録されている。
『100,000年後の安全』『チェルノブイリ・ハート』
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/03/100000.html
チェルノブイリの森―事故後20年の自然誌
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/05/20-6.html
梶原一騎 原作、上村一夫 絵という二大巨匠のコラボ。昭和の劇画の傑作。
昭和18年。反骨の新人評論家と柳橋の名妓の間に生まれた鷹野翔子。戦争の時代は反国家的な言論を許さず父親は特高警察に追われる身となる。逃げた夫をかばった母は、憲兵に陰惨な拷問にかけられて身体を壊し、空襲の夜、翔子の目の前で血を吐いて死ぬ。ひとりぼっちとなった少女は終戦の混迷を生き抜くため汚濁の奈落に身を落としていく。
特高警察による拷問や、娼婦仲間の制裁、女子教護院でのリンチ.....女を裸に剥いての過激なバイオレンスシーンが多いのは、梶原一騎のノリなのだろう。上村一夫の陰影の深い絵がそうしたシーンに妖しいエロティシズムを醸し出す。この組み合わせはの相乗効果がかなり強烈。
しかし、物語がしっかりしているので暴力とエロの低俗漫画には堕ちず、良質の文学作品のような厚みのあるドラマに仕上がっている。汚れた泥の中でも清廉に咲く蓮の花のように、翔子はどんな底辺不遇に身を落としても、任侠的に一本筋を通して、自分を見失わないで生きていく。何度も何度も繰り返される試練をくぐりぬけて、翔子が凛とした大人の女に成長していくプロセスが感動的。
最近の漫画では絶対に体験できない昭和ロマンの世界にどっぷり浸れる。
明治時代、米国から日本にやってきたジャーナリスト小泉八雲の書いた『怪談』。オリジナルは日本の民話や中国の説話をもとに『KWAIDAN』として海外の読者のために英語で書かれたものだった。『耳なし芳一』『ろくろ首』『雪女』など私たちが知る怪談の多くの傑作バージョンが19本読める。ただの怖い話、不思議な話というだけでなく、独特の詩情を漂わせている八雲の文章は、翻訳を通しても味わい深い。
八雲を読んだのは、現代作家が書いたこちらの『怪談』を読むための予習だった。雪女、ろくろ首、むじな、食人鬼、鏡と鐘、耳なし芳一の6本が、現代の話として、おもいっきり大胆に換骨奪胎されて、語りなおされている。
たとえば現代の耳なし芳一は、インディーズバンド「鬼火」のボーカリストだ。琵琶法師がシンガーで、琵琶がギターで、身体中に書いたお経が、顔に塗るペイントという対応になっている。ほかに雪女はコンパニオンのゆきちゃんで、食人鬼は人肉食の噂のあるシェフというように現代の都市における怪談に置き換えられている。
八雲の詩情というものはないのだが、フジテレビの『世にも奇妙な物語』を観ているような楽しさがある。
『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』がモチーフの青春群像劇。表紙のようにさわやか。
女子部員しかいなかった五島列島の中学校合唱部。産休に入った顧問の交代要員として、美しい音楽の女先生がやってくる。先生目当てでそれまでひとりもいなかった男子部員が加わり、にわかに活気づいた合唱部は、はじめての混声合唱に戸惑いながら、NHKの合唱コンクールの地区予選を目指す。課題曲は『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』。
女先生は、練習を始める部員たちに、本当に15年後の自分に向けて手紙を書いてみなさいと課題をだす。でも書いた手紙は提出はしなくていいからという条件付きで。部員たちは思い思いに未来の自分にあてた秘密の手紙を綴る。その内容が物語に挿入される。
10人くらいの主要人物の一人称視点が頻繁に入れ替わる文体が混声合唱をイメージさせる。少しずつ部員たちの抱える葛藤や秘密の過去、ひそかな恋心が明らかになっていく。全貌が明らかになるころに、コンクールの本番舞台がやってくる。
少年少女の成長をまっすぐに描いていて、NHK合唱コンクールの如く健やかで、安心して読める良作。現代の小説としては毒がなさすぎともいえるが、汚れた心を浄化する清涼剤としておすすめ。
「やはり大和政権が成立する前には出雲王朝があったに違いないッ!」
水木しげる曰く、30年位前から、古代出雲族の青年がちょくちょく夢にでてきて描け描けと頼まれていたのだそうで、それをやっと作品化にすることができたという構想30年の渾身の漫画傑作。大和中心の歴史観とは微妙に異なる出雲王朝オオクニヌシの視点で日本神話を解釈していく。大胆な歴史解釈をするのではなく、古事記や日本書紀には描かれなかった『出雲国風土記』系神話を取り上げたり、国譲りについて「しかし実際にこんなキレイ事じゃなかったんだろう」というコメントをつけたりして、記紀の相対化を試みる。
天孫族の正体や国譲りの真実など水木しげるの推測を語る部分もあるが(そしてその部分もなかなか面白いが)、基本的には史実とされていることや最近の発掘成果も盛り込んで、歴史と神話の両側面から出雲地方の古代史を無理なく描いていて、学習漫画としてもよさそう。
『血だるま剣法/おのれらに告ぐ』の平田弘史が島津藩の宝暦治水を描いた劇画。幕府に虐げられた島津藩士たちの、上士にいじめぬかれた下士たちの、理不尽に耐えがたきを耐える姿を描いた全5巻。トラウマになりそうな激烈作。
関ヶ原で西軍についた薩摩藩に対して、徳川幕府は常に疑いの目を持ち、その力をそぐために、無理難題をふっかけた。特に有名なのが宝暦治水工事。幕府は歴史的に洪水に悩まされてきた木曽三川の治水工事をするように島津に命じた。工事をするには藩政が立ち行かなくなる莫大な費用の一切を島津藩がもたねばならない。島津藩をつぶすための策略ともとれる理不尽な幕命だったが、家老の平田靱負は「民に尽くすもまた武士の本分」といって藩をまとめ、工事の総奉行として藩士800名以上を連れて遠い任地に赴いた。
総予算40万両、1年半にわたる難工事だが、専門の職人を使うことを幕府が許さない。藩士たちは人夫となって自ら工事にあたった。粗さがしやわいろを求めてくる幕府の役人たちのいやらしい監督下のもと、誇り高い島津藩士たちはひたすら忍耐を重ねて、治水工事を続けるが、やがて堪忍袋の緒が切れるものもあらわれて...。
史実的には、50人以上の藩士が、あまりの理不尽な要求をする幕府や藩上層部に対して抗議の切腹をし、総奉行平田靱負も、幕府高官による屈辱的な工事検収が完了した後で、予算超過の責任を取って自害した。幕府から派遣されてきた監督役の中にも島津藩に同情して、抗議の切腹をしたものもいたというほど、壮絶な工事現場であったそうだ。
宝暦治水と平田靱負の話は、同じ出版社からでているみなもと太郎の漫画『風雲児たち』で知って興味を持っていた。『風雲児たち』の少年漫画風の絵柄ではなくて、鬼気迫る平田弘史の劇画になったことで、藩士たちの血を吐くような悲壮感、悲惨感は数百パーセント増しでびしびし伝わってくる。血を見ない回はない。特に上士にいびられる下士たちの救いのなさはカムイ伝に通じるものがある。
武士道を超えた薩摩道の極みを感じるトラウマ漫画である。
幕末の風雲児を語るために関ヶ原からじっくり語るという、相当無謀な取り組みを成功させた長編時代劇漫画。長いけれどもおすすめ。島津藩がなぜ徳川幕府を倒すに至ったかの本質を知ることができる。この漫画は読んで本当に勉強になった。