Books-Fiction: 2012年5月アーカイブ
井上靖の現代ミステリというのははじめて読んだ。
主人公の魚津は山登りの親友の小坂と二人で、冬の前穂高初登攀に挑戦する。雪がへばりつき岩が屏風のように前面にそそり立つ難所で、突然、ザイルが切れ、小坂は転落死する。ひとり助かった魚津は懸命の捜索を行うが、遺体はみつからない。
東京へ戻ってきた失意の魚津は新聞の報道を読んで愕然とする。ナイロン製ザイルが自然に切れるはずがないと専門家たちが発言をしているのだ。記事は、まるで魚津が助かりたくて小坂を切り捨てた、とか、小坂が自殺したくて切った、あるいは二人の登山技術が未熟だったから、とも読めるような含みを持たせた論調であった。
なぜ切れないはずのザイルが切れたのか。非がなかったことを証明しようと魚津は走り回るが、状況はどんどん不利な方へと変わっていく。小坂の元愛人で、魚津も心惹かれていた美貌の人妻 美那子の夫は、ザイルの素材をつくる企業の経営者であった。そして小坂の勤務する企業の親会社でもあった。魚津がザイルが切れたことを証明することは会社の不利益となる。
かなりの長編だが、構成が完璧で、飽きさせない。
舞台は昭和30年。社会のしがらみとマスコミに翻弄されながら、自分と友人の名誉のために必死に戦う魚津の姿は実に昭和的。ネット時代の今だったら魚津はブログを立ち上げて主張するのだろうな。登山家コミュニティに原因究明のための実験費用寄付をよびかけて話題になるが、SNS上での美那子との個人的つながりが、2ちゃんねるで暴露されて大炎上。クライマックスではustreamで証拠探しの登山を生中継して潔白を証明してみせるみたいな。平成的にはたぶんぜんぜん違った展開になってしまう、だろう。
井上靖の作品。
・後白河院
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1645.html
・おろしや国酔夢譚
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1644.html
・しろばんば
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/02/post-1381.html
・孔子
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/11/post-168.html
今年の大河ドラマ『平清盛』の主要登場人物である後白河院を井上靖が書いた。
源頼朝に「日本第一の大天狗」といわしめた権謀術数の男であった後白河院。源平や摂関家の政治に翻弄されているだけのようにも見えるし、逆にすべての黒幕として彼らを翻弄した人物にも見える。
そういう一筋縄ではいかない複雑な人物像を、複雑なまま描くために、井上靖は本人をほとんど登場させない。第一部は平信範、第二部は建春門院中納言、第三部は吉田経房、第四部は九条兼実が語り手となり、それぞれの視点から、後白河院をとりまく状況を綴っている。
「白いふくよかなお顔立ちで、お体も大柄でありますし、立居振る舞いも万事おっとりして、他の競争者を排して、即位遊ばすことになったお人柄のようには到底お見受けできませんでした。ただ高貴の血は争われないもので、ご装束をお着けになるとご立派であるというのが、帝のお姿を排した人みなが口にしたことでございます。畏れ多い言い方ではございますが、はっきりと申し上げると、平生は到底天子の器にはお見受けできないが、然るべき場所いお据え申し上げさえすれば、さすがに自ずから御血筋が物を言い、何をお考えになっているか判らないおっとりしたご風貌も却って威厳となって、なかなかどうして立派なものである。」(第一部、側近から見た院についての記述)
本当は後白河院は何を考えていたのか、については書かない。4人の語り手も院との関係や距離が違うから、少しずつずれた像を描く。こうすることで後白河院の得体の知れなさ、ミステリアスな人物の魅力がうまく表現されている。
保元の乱、平治の乱、源平の興亡のあたりの史実を予備知識としてもっていないと楽しめない作品なのだが、ちょうど大河ドラマが放映中なので、いまなら理解可能な読者が多そうなので、旬な一冊といえそう。
よーし、ゴールデンウィークは井上靖の未読本を読むぞ~と思って『おろしや国酔夢譚』『後白河院』『氷壁』の3冊頑張りました。あらためて大作家の筆力とバリエーションに魅了されました。
鎖国が続く江戸末期、伊勢の船頭 大黒屋光太夫の乗る船は暴風雨によって遭難、8か月後にアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着する。原住民とロシアの毛皮商人らに発見されて、命を永らえるが、17人いた仲間は寒さや飢え、病気が原因で次々に亡くなっていく。
ロシアの力を借りて帰国すべく、生き残りたちはオホーツク、ヤクーツク、イルクーツクと極寒の中を決死の移動をする。バタバタ倒れる仲間たち。しかし努力の甲斐あって学者ラックスマンら有力者の助力で首都へ到達し、女王エカチョリーナ2世に謁見、帰国の許可をもらう。
漂流から10年。帰国寸前にも仲間を失い、なんとか生きて帰国することができたのは、光太夫と磯吉のたったふたりだけだった。しかも彼らは鎖国国家の当時の日本では罪人に準ずる扱いを受けその後も長期間、幽閉状態だったといわれる。
「俺たちは、な、磯吉、いま流刑地に居るんだ。そう思えばいい。長いこと方々さまよい歩き、やっとのことで流刑地に辿り着いた。そう思えばいい。な、そうだろう。流刑地に着いた以上、もう何も考えてはいけない。ロシアのことは考えまいぞ、考えまいぞ。」という光太夫。望郷の念の罠。光太夫はロシアにとどまり通訳学校の教師として生きたほうが、ずっと幸せだったのではないかとさえ思える故郷の日本の対応。
今いる場所を故郷と思って生きることができるのが真の国際人ということなのかもしれない。我々日本人のメンタリティというのもいまだ大して変わってはおらず、海外に出ても、いずれは凱旋、故郷に錦を飾る式の思いを抱く人が多い。根底の価値観が変わらない。これが日本人の海外進出のうまくいかない原因であるのだったりして。
大黒屋光太夫の漂流は究極的なノマドライフだ。ノマドがノマドのまま生きることができることの難しさと可能性を描いた大作。
面白いので最新巻がでるたびに紹介してしまっている。星野之宣が、あのジェイムズ・P・ホーガンの名作を漫画化した作品の第3巻発売。ヒツジみたいなガニメアンと人類が本格的に対話を始めるが、裏に渦巻く陰謀もだんだんと緊張感を高めていく。
人類の好戦性の起源が大きなテーマになっている。ネアンデルタールとホモサピエンス。この2種類がもし共存していたら、世界のあり方は大きく違ったのだろうなと思った。人類は併走する種を失い、単独の種となってしまったから、ヘンな方向に進化しているのだ。思いっきり異質、でも知的レベル同じという相方がいたら、互いから学ぶところ大きかったんではないかと思ったりした。
原作的にはいつの間にか続編の『ガニメデの優しい巨人』に突入しているわけであるが、これどこまで描くつもりなのだろうか。『巨人たちの星』、『内なる宇宙』へと原作は続く。私はガニメデまでしか読んでいないので未知の領域へ入っていくことになるが、それはそれで楽しみ。
1,2,3巻と5か月おきペースで単行本化している。次は10月か11月か、待ち遠しい。
・星を継ぐもの 2
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/12/-2-4.html
・星を継ぐもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/07/post-1470.html