Books-Fiction: 2011年10月アーカイブ
東北の大震災と原発事故があってからしばらくして、フィクションを落ち着いて読めるようになった頃、私は古川日出男の『聖家族』という作品のことを思った。なんということだ、あの東北の怨念の物語、中央に対する抑圧と抵抗の物語が一層の真実味を帯びてしまったではないか、著者は残酷な現実を受けて続編を書くことはあるだろうか、と。そしてやはり作者はそれを書いた。絶望と怒り、そして再生への祈りが深く刻み込まれた強烈な作品になった。
「私は福島県の浜通りに生まれた。私は浜通りに行かなければならない。」
震災から一カ月して作者は福島へ入る。小説家としての使命感に駆られて。そして自らのつくりだしたキャラクターである狗塚家三兄弟の長男 牛一郎の魂が、彼に乗り移り鬼気迫る言葉を語り始める。
「そこへ行け。
ここへ来い。
見ろ、現実を。
書け、小説を。」
この小説にドラマはなにもない。ただ作者である古川が、被災地を車で視察し、ときどき降りて、3.11の地獄を回想する。避難区域で置き去りにされた馬たちの姿を見る。放射能に静かに汚染された自然を見る。悲しさと怒りによって連想する事柄が断続的につづられていく。魂の叫びを思いっきり原稿用紙にぶつけた。
「私たちはどうすればいのか。
私たちは誰も憎めない。
だとしたら、そこにしか希望はない。
私たちは憎まず、ひたすら歩くしかない。
復讐を考えずに歩く。
報復を考えずに歩く。
私の脳裏にふいに言葉が浮かび、それが声になる。
それが声になる。声はこう言った。
生まれてきたっていいんだろ?」
物語は連続しておらず、続編とは言えないが、生まれてきたっていいんだろ?はまぎれもなく『聖家族』だ。作者が書かずにはいられずに書いた作品であり、読まずにはいられない読者がそれを読む。作者とともに東北の不幸を嘆く鎮魂歌みたいな作品である。血みどろの傷を見るみたいな作品である。あの傑作の続きがこんな悲惨な現実になるなんて、ただただ悲しく、くやしい。
・聖家族
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-905.html
・ベルカ、吠えないのか?
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/01/post-341.html
古川 日出男のもうひとつの傑作。
坂東 眞砂子の民俗ホラー。
東京の放射能汚染を逃れて、四国の村へ移住した定年夫婦。
高知の山奥にある白縫は、老人ばかりの過疎の小さな村だ。そこには朽縄=くちぬいさまという神様がいて、白い糸で人の口を縫うので白縫という地名があるのだと村人は言う。夫婦は、村の奥まった場所に真新しいログハウスを建てて越してくる。夫の俊亮は夢だった田舎生活を満喫し、麻由子もまた安心な生活を得た。
だが幸福な田舎生活は長くは続かない。俊亮が敷地につくった陶芸の窯が、村の古道「赤線」の上にかかっていたことに、老人たちがけちをつける。たいしたことではないと放置していると、誰の仕業かわからない執拗な嫌がらせが始まる。
「瀬戸さん、あんた、そんな我が儘いうたら、この白縫では生き辛うなりますで」
口が災いするというが、呪いの本質は言葉である。狭い村社会では言葉の呪縛が恐ろしい。正体不明のなにかが村人たちを操る。夫婦を精神的に追い詰めていく。
「この国にいる限り、逃れられない呪いがある。」。
恐ろしいのは放射能ではなく村の掟なのだった。
この世界観はもっと大きな物語のプロローグにするといいと思う、続編期待。
・異国の迷路
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/post-394.html
『朗読者』のベルンハルト シュリンク 最新邦訳。
テーマが重ためだが読みやすいミステリー中編。
ドイツ。二十数年前に赤軍派テロリストとして重い罪を犯した男イェルクが、恩赦を受けて出所する。服役中もずっと面倒を見続けた男の姉は、週末にかつての友人知人たちを、郊外の家に呼び集める。男が捕まったきっかけは誰かの密告だった。裏切りったのは誰だったか?。昔の仲間たちとの会話の中で、テロ事件の闇の部分がしだいに明らかにされていく。狭い空間での3日間を少数の登場人物の会話中心で描くので、まるで部舞台劇のようだ。登場人物たちが隠している秘密や、心の葛藤が最後まで緊張感を失わず続いていく。
ミステリではあるものの、消せない過去と折り合いをつけて生きていく人生がテーマの純文学作品である。許されはしないのだけれども生きていかねばならない人間の現実。出所したイェルクに対して、さらなる闘争参加を求める人もいれば、自己批判や弁明を求める登場人物たちが、さまざまな思惑で絡んでくる。
郊外の庭付きの家は、妙にさわやかで明るい。集まった男と女の間に恋が芽生えたりもする。3日間に10人くらいの人物像を丁寧に描いている。本物のテロリストだったら、こんな展開にはならない気もするが、演劇作品として読むと、かなりよくできているなあと思う。また映画になりそうな内容。
・朗読者
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-818.html
これは意外にもとても面白かった。大人の恋愛小説。おすすめ。
意外にと書いたのは著者のプロフィールが異色だから。
「コラス,リシャール
フランス生まれ。パリ大学東洋語学部卒業。在日フランス大使館勤務、ジバンシィ日本法人代表取締役社長を経て、1985年にシャネル入社、1995年、シャネル日本法人代表取締役社長に就任。フランス商工会議所会頭、欧州ビジネス協会(EBC)会長を務める。国家功労章シュバリエ章受章、レジオン・ドヌール勲章受章。2009年にフランスで発表された『SAYA』で、フランスの文学賞「みんなのための文化図書館賞」を受賞」
生粋のフランス人であるシャネル社長が、なんと自ら日本語で書いた小説である。本人をモデルにしたような経営者も物語に重要な人物として登場する。
主人公は日本の老舗デパートのベテラン社員。仕事もできてほどほどに遊びも知る。ファッションブランドを扱うためにフランスに転勤していた時期があり、フランス語に堪能でクラシック音楽など教養も豊かな中年男性が主人公。鎌倉の一軒家に住んでいて、ちゃんと妻子もいる。
そんな主人公が青天の霹靂であるリストラにあい、絶望しているときに、紗綾というミステリアスな長身黒髪の女子高生と恋に落ちる。ちょっとありないことに紗綾もフランス語が話せて、クラシック音楽を愛好していた。高尚な話を楽しみながら、女は別れ際に脱いだ下着を渡す。二人の関係は明らかに不倫で援助交際だが、当人同士では一途な純愛でもある。
専業主婦である主人公の妻の視点も加わって、登場人物たちの家族生活、会社生活が残酷に破たんしていく様子が描かれる。
フランス人ということで気になる日本語だが、これが完璧というか普通の日本人でも書けないプロの作家の文体である。読者の心をつかみ、読ませる、驚きの言語能力だ。この人なら官能小説だって書けそうだ。大物経営者で小説家というと、日本では小林一三(阪急創業者)、辻井喬(セゾングループ代表)がいるが、文学創作と経営能力という普通は両立しなさそうな資質に加えて外国語。天は二物も三物も与えるのだなあ。
・ヴァレンタインズ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/07/post-1484.html
アイスランド文学でも大物経営者で小説家がいる。これはアメリカのタイムワーナー副社長オラフ オラフソンが書いた傑作小説。