Books-Fiction: 2011年8月アーカイブ
日常と非日常の切断がテーマの漫画作品。
作者も版元も、よくこの難しい作品を出版したなと感心しながら読んだ。漫画というのはかなり商業色の強い表現形態であって、普通は一般の読者が容易に理解でき、そして楽しめることを前提に描かれているものだ。なのにこの二巻組の大作はまったく読者の理解を突き放し、娯楽性も投げ捨てて、わかるひとにわかればいいを貫いてしまっている。娯楽のエログロナンセンス作品が勢い余って前衛的になってしまったというパターンではなくて、最初からこの方向性で描いたらしいから、相当にキレている取り組みだ。
登場人物たちを取り巻く日常の中に少しずつ非日常の異質さが現れる。それは最初は妙に手や首が長くて、狂ったデッサンみたいな人物だったり、スパッと鋭利な刃物で切られた物だったり、何度も同じことが繰り返される錯覚だったりする。そうした非日常がやがて日常を決定的に侵し始めて世界は破綻して行く。
わかるひとにはわかる漫画が好きというひとにはおすすめの奇書だ。作者にも少しは良識が残っていたのか、前衛とは言っても一応、オチはあるので、ある程度安心して読んでいいのだが、根本的には理解を拒む、狂気に満ちた禍々しい作品。
いがらしみきおは不気味だ。『ぼのぼの』の人なのに。こんなのもかけるのか。
・【アイ】 第1集
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/08/i-1-1.html
いがらしみきおを見直すきっかけの一冊。
ショーン・タンという作家が書いた文字のない長編物語の絵本『アライバル』。同氏はこの本で世界各国29の賞を受賞、ショート・アニメーション『The Lost Thing』が、第83回アカデミー賞短編アニメーション賞受賞。
これは20分ほどで読めてしまう大型絵本ですが、読み返すのが3回目です。移民を決意した一家の父親が、単身で船に乗って、異国に入っていく。異文化と格闘しながら、自らの場所を築いていく。モチーフは第二次世界大戦の頃のアメリカ移民ですが、実は結婚にせよ就職にせよ、新しい文化に入っていく、そこで新たな価値観を受容して生きていくっていうことは、社会を生きる人間にとって普遍的な体験だと思うのですね。その普遍を幻想的な寓話として、本当にうまく描いているな、天才だなと感じて何度も読み返す、魅力的な本です。
まったく文字を使わない表現でメッセージを表現する。移り変わる雲のかたちを何十コマも続けて描いて長い時間の経過を表したり、地球にはいない動物を登場させて異国を表す。そういう表現の工夫も素晴らしいし、なにより丁寧に描かれた見開きの絵のページなんかは額縁に入れて飾っておきたいほどのアートのクオリティをもっています。見惚れてしまったページが何枚もありました。
アニメ『つみきのいえ』が好きな人なんかに特におすすめですよ。
以下は大人の絵本系のおすすめ
・ぼくがラーメンたべてるとき
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/03/post-1407.html
・どんなかんじかなあ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/01/post-1364.html
・『終わらない夜』と『真昼の夢』
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1049.html
・なおみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/12/post-895.html
・大人な絵本 「天才の家系図」「裁判所にて」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-812.html
・「平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い」と「繪本 平家物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-823.html
・ちいさなちいさな王様
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/01/eel.html
・「百頭女」「慈善週間または七大元素」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-771.html
・アウトサイダー・アート
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-739.html
これは大傑作、たいへんおすすめ。
舞台は新宿にある大衆中華食堂 翡翠飯店。昭和、平成三代に渡る家族の歴史がミステリ風に語られる。
ぱっとしないこの店は、戦後、満州から引き揚げてきた祖父母が、空いている土地を勝手に使って、見よう見まねで立ち上げた店であった。平成の現在は祖母、店を切り盛りする父母、息子の良嗣、万年居候の叔父 大二郎らが、店に一緒に住んでいる。叔母が近くで水商売店を経営しているが、その他の親戚と言うのをみたことがない。
良嗣は、いきあたりばったりで、困難から逃げるような一族の生き方に、内心疑問を持ちつつも、自身も流されるような生き方を始めようとしている。祖父の葬式後、高齢の祖母が突然、かつて生活していた中国の街に行きたいと言い出す。大二郎と良嗣はその旅行につきあって、祖母の思い出の地をめぐりながら、自分たちの家族の生き方のルーツを知る。
第二次世界大戦、満州引き揚げ、学生運動、浅間山荘、オウム真理教事件と、激動の昭和平成を生きる家族の姿。戦争に翻弄されて必死に生きた祖父母、戦後の高度成長に弱いものどうしが助け合いながら生きた父母、迷いながらいきる子供の世代。祖母からはじめて語られるルーツ。死にそうになったら逃げろ、逃げて生きていいんだという一族の人生の指針の本当の意味を知る。
"根なし草"の人生なんてない、必死に生きる人はみんな主人公だという力強いメッセージが、根を張りにくい現代都市生活者にはすごく響く。各世代のキャラクターの描き方が秀逸で、ミステリーとしてもひきこまれる。
第22回伊藤整文学賞。
宮崎駿の隠れた名作。『風の谷のナウシカ』と同時期に描かれた初期作品。ナウシカはアニメになったが、シュナはマンガである。チベットの民話をベースにした地味な企画ということで、アニメ化を断念することになったが、宮崎自身は相当思い入れがあった作品だそうだ。たしかに地味だが、ドタバタや奇抜が少ないから、しっかりメッセージや世界観が伝わってきてすごくよかった。
貧しい国の状況を憂う辺境の国の王子シュナは、畑に実りをもたらす「金色の種」を求めて、豊かな西へ旅にでる。だが、シュナが訪れた世界の人間は、作物を育てることをやめてしまっていた。支配者層の人々は、人間狩りで捕まえた奴隷を「神人」に売り飛ばし、麦と交換する。もはや自ら作物を育てようとせず、金色の種さえ持ってはいなかった。シュナは奴隷の姉妹を救い出した後、奴隷を買い集める謎の「神人」の国へと向かう。
神人の国は『ナウシカ』などでみられる宮崎ファンタジーの独特な異界。文明批判のメッセージ性や、少年少女の成長物語など、その後のジブリのファンタジーの源流をみるような展開。『もののけ姫』や『ゲド戦記』の原点と評価されているそうだ。
そういえば『コクリコ坂から』なかなか観に行けないな。
先週は夏休みをとって滋賀県へ家族旅行。長浜市で開催されている『江・浅井三姉妹博覧会』のバスツアーや、浅井家と縁の深い琵琶湖の竹生島に行ったり、彦根城にのぼったり、近江八幡で近江牛を食べたり、淀君が増築したという石山寺を訪れたり、した。
それで、この旅の移動中に読んだ本が、直木賞作家 永井路子が浅井三姉妹を書いたこの小説。NHK大河ドラマ原作の『江(ごう) 姫たちの戦国』(田渕 久美子)とはかなり違った設定が楽しめる。茶々と初は美人で勝気で嫉妬深い女性、江は無表情でおとなしく、愚鈍にさえ思われる女性として描かれる。
江に限らず戦国時代の姫たちの実態は史料が不足していて、よくわかっていないのが現実らしい。NHK大河ドラマではアクティブな狂言回し的な扱いになっているが、本作では江には沈黙させ、ミステリアスなキャラクターに設定しておくという描き方をしている。茶々、初との軋轢と葛藤は、この小説の方がリアルな気もする。大河ドラマは姉妹の仲が良すぎる。
無表情で無口な主人公では話が進まないので、主に江の侍女おちかの視点で語られていく。おちかは、静かな江の心情を推し量って代わりにやきもきしたり、商人でスパイかもしれない「ちくぜん」と恋仲になったり、ドタバタと忙しい。タイトルと上下巻のボリュームからは、もうすこし重厚な長編を期待させるが、軽いノリで進行する長編ドラマである。大河ドラマに影響されて、もうひとつの三姉妹の話を読みたい人は、楽しめる内容。
以下旅行記。
家族や家を津波に奪われながらも、海に生きることを決して諦めない日本の漁民の生き方を、ノーベル賞作家のパールバックが力強く描いた傑作。1947年初版。新版からついた黒井健のイラストもいい。
丘の上に住む農家の少年キノの家に、津波で家も家族も失った友人のジヤが身を寄せる。キノの両親も村人も孤児になったジヤを温かく見守り、同年代のジヤとキノを兄弟のように育てた。復興していく村で同じように生きていた二人だが、大人になってもジヤは海の民としての生き方を忘れることができない。
なぜ人は津波があった場所に戻るのか。
効率や安全だけを考えるなら、戻らない方が合理的なはずだ。三陸海岸も歴史的に何度も津波にすべてを奪われた土地だ。今回の津波でまた対策を立てるのだろうが、これまでも高い堤防や避難訓練など、充分といえる備えがあった。でも駄目だった。これから、どんなに堤防を築いても、また想像を絶する高さの津波がきて、間に合わない可能性がある、だろう。
しかし、それでも人々はその場所に戻って再建を続けるのだろう。私は漁民ではないが、パールバックのこの短編を読んで、理屈ではなく、情緒的に、よくわかった気がする。危険があろうと、自分の人生があると思う場所へ、人が戻るのは当たり前のことなのだ。ジヤは結婚して構えた新居で海に向かって窓を開く。すべてを奪った、そして、多くを与えてくれる海をじっくりと見るために。
殺人や強盗のような犯罪発生率が高い都市に住むのとなにが違うのだろう。警察官や消防士のように危険を伴う職業に就くのとなにが違うのだろう。100年に一度死ぬかもしれないリスクがある?だからなんだ?、大切なものがある場所に人が住むことは人間的で、合理的で当たり前のことだと思わせる、そんな作品である。