Books-Fiction: 2010年8月アーカイブ
読み終わってページを閉じたとき、思わず本を抱きしめたくなる、いい本です。
現在40歳前後で80年代後半に東京で大学生だった人に特におすすめです。
横道世之介はこれといった取り柄のない普通の大学生(おそらく法政大学)。長崎から上京して一人暮らしを始めた1年生の12カ月が毎月1章で語られ、計12章でこの小説は構成されています。
一人暮らし(東久留米)、アルバイト(高級ホテル)、サークル活動(サンバ愛好会)、夏休み、旅行、学園祭、自動車教習所...。友情と恋愛もいくつも経験します。世之介の大学生活はそれなりにユニークなものですが、当時の大学生ならどこか自分の体験に似た懐かしさを感じさせるシーンの連続でもあります。
大人になって学生時代の思い出を振り返るとき、あいつはいい奴だったなあ、でも今どうしているだろうかと、みんなに思われるのが、世之介です。草食系のおひとよし。周りに人は集まってくるし、女の子だって寄ってくるのですが、淡い交わりでよしとしてしまうから、記憶に薄くしか残らない。
横道世之介は、20年前の思い出の中に、忘れものを取りに行くような体験ができる小説です。多くの初体験の不安や期待を思い出させてくれて、懐かしさがこみ上げてきます。そして、当時は自分のことばかりに必死で見逃していた細部にも、きっと多くのドラマがあったのだということを教えてくれる作品です。
いい本読んだなあとしみじみ。
・学問
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/12/post-1130.html
感動青春小説としてはこの作品が好きな人におすすめ。
古き良き昭和モダンの設定+メタレベルの仕掛けがよく効いている。面白かった。
「わたしが奉公に上がった時代、昭和の初めになれば、東京山の手のサラリーマン家庭では、女中払底の時代になっていたのだから、「タキや」と呼びつけにされるようなことは一切なく、かならず「タキ」さん」と、「さん」づけで呼ばれ、重宝がられていたものだ。東京のいいご家庭なら、だいたいそうであろう。わたしがその仕事についた時代は、「よい女中なくしてよい家庭はない」と、どの奥様だって知っておられたものだ。」
昭和初期、赤い三角屋根の小さなおうちで住み込み女中をしていたタキが、60年後に遠い昔を振り返る回想録がこの作品の大半を占める。とてもお上品な「家政婦は見た」。この家の女中であることに満足し、終の棲家とまで考えていたタキは奉公先で大切にされて、家族同様に暮らす。
だが、美しい奥様、玩具会社常務の旦那様、手のかからないおぼっちゃまと4人で過ごした幸せな日々に、やがて戦争の暗い影が忍び寄る。小さなおうちの一家にも激動の時代が訪れ、そのうねりの中で、やがてタキは、幸せそうな家族が内に秘めていた感情を知ることになる。
女中タキの長い昔話。よく再現された昭和モダンの懐古作品としても非常に味わい深いものがあるのだが、最終章でこの語りの本当の意味が明かされる。最終章がなくても80点の小説だが、メタレベルのラストが作品に奥行きを与えて、見事100点となる。納得の直木賞受賞作。
怪談と挿し絵で、「怪、刺す」。
『新耳袋』で有名な怪異蒐集家・木原浩勝と、ホラー漫画の伊藤潤二がタッグを組んだ怪談絵噺。テキスト6,7ページ、数枚の挿し絵があって一話という独特のスタイルで九話。短いがどれもクライマックスがゾクっと怖い。
この二人の組み合わせは相性がいいと思う。伊藤潤二単独のホラー漫画は『うずまき』みたいに、現実離れしていてファンタジーだ。自分の身におきるんじゃないかというリアルな怖さがうすい。この作品では実話を怪談作品に仕立てる名手、木原浩勝の原作を描くことで、本物の怪談になった。
私は怪談が大好きだ。子供の頃、夏休みにお昼のワイドショーで放送していた「あなたの知らない世界」をかかさずに見ていた。身近に起きそうな心霊や呪いの話にびびりながら、絶対安全な自宅の茶の間で、これまた怪談好きだった祖母と一緒に、かき氷なんかを食べながら見ていた。原体験が、そういう実体験ベースの再現映像にあるせいか、実話のクレジットがないと興味がわかない。創作だと全然怖くないし、聴く価値さえ感じないのである。
そういう実話怪談へのこだわりの人におすすめである。新耳袋に視覚要素が加わって一層よいかんじ。静かな深夜にひとりで読もう。騒がしい電車とか、おしゃれなカフェで読むべきではない。もったいない。ふと目をあげたとき暗い窓の向こうになにか見えそうで怖くなる、そんな本だから。
この二人には続編を毎年夏に出してほしい。
スペシャルとして、巻末に伊藤潤二の読切り漫画もついている。
・実話怪談「新耳袋」一ノ章
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/10/post-298.html
「『通話』―スペインに亡命中のアルゼンチン人作家と"僕"の奇妙な友情を描く『センシニ』、第二次世界大戦を生き延びた売れないフランス人作家の物語『アンリ・シモン・ルプランス』ほか3編。『刑事たち』―メキシコ市の公園のベンチからこの世を凝視する男の思い出を描く『芋虫』、1973年のチリ・クーデターに関わった二人組の会話から成る『刑事たち』ほか3編。『アン・ムーアの人生』―病床から人生最良の日々を振り返るポルノ女優の告白『ジョアンナ・シルヴェストリ』、ヒッピー世代に生まれたあるアメリカ人女性の半生を綴る『アン・ムーアの人生』ほか2編。 」
ラテン・アメリカの知る人ぞ知る小説家ロベルト・ボラーニョの短編集。
ボラーニョという作家を知りたくて読んだが読んだ後の方が、果たしてどういう作家だったのかわからなくなった。作風がバリエーションに富んでいて、どれも濃密。「ウディ・アレンとタランティーノとボルヘスとロートレアモンを合わせたような奇才」と評されたいたそうだが異能の複合体である。
ボラーニョは1949年にチリのサンティアゴで生まれて、メキシコへ移住、その後エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪して過ごした後、1984年小説家デビュー。90年代後半になって文学賞をいくつか受賞して、作家として注目を集めたが、2003年に50歳の若さで亡くなった。
この短編集は作風が雑多な印象があるが、敢えて言えば常にマイノリティの側に立った描き方をするのが特徴だ。無名の売れない作家や迫害される亡命者など、主人公たちはメジャーに対するマイナーの視点ででてくる。だが、彼らは不遇や権力に抵抗するというわけでもなくて、境遇を受け入れたうえで、そこに生きる意味を見出そうとする。マイノリティのしたたかな生きざまの文学である。
色モノだけど大傑作。面白い娯楽小説をお探しならぜひ読むべきです。
それにしてもなタイトルなのでカバーをつけないと外で読めませんが、横着な私はカバーはつけないで、帯をずらすことで背のタイトルを隠しながら(日本の、だけ見える状態にする)、電車で読んでいました。でも、それだとやっぱり、前の人に「のセックス」を読まれちゃうかもしれないですし、卑猥な言葉ばかりの本文が隣からのぞかれちゃうんじゃないかとドキドキで、落ち着きませんから、やっぱりカバーをつけてゆっくり読むしかないですね。あ、ちなみにこれは小説です。
美人の妻を他人に抱かせることに無上の喜びを感じる佐藤と、そんな変態の夫に従って300人以上に抱かれ、マニアの雑誌への投稿にも同意する妻の容子(東大卒)。夫につきあわされているようなそぶりでいながら、実は容子も決してキライではないのだ。二人は週末にはスワッピングマニアのコミュニティに参加して、きわどい複数プレイを楽しんでいる。だが、爛れた複雑な人間関係が、やがてこの夫婦を悪夢のような事件に巻き込んでいく。
前半が強烈な官能小説で、後半がシリアスな法廷サスペンスで、最後は純文学もしているというバラエティ豊かな文体複合作品である。前半の官能部はマニア投稿雑誌の体験記のノリで淫猥描写の連続で読者の劣情を煽る。裁判が中心となる後半では、乱交プレイでオスとメスとして性に溺れた男女が、一転して社会生活を営むしらふの顔で登場する。その大きな落差がこの作品の魅力であり、日本のセックスの抑圧度の強さをあらわすものでもある。
むき出しの欲望が全裸になってリビドーを解き放てば、一瞬のカタルシスはあっても、その後には社会的カタストロフしかないという、滑稽で悲劇的なマニアの愛の宿命小説である。
やられたー。少々読者を選ぶ気もしますがこれは面白いです。
世にも奇妙な"口頭試問"小説。
2075年、世界は戦争と疫病で壊滅している。世界の片隅にある富豪プラトンがつくった楽園の島には、幸運な生存者たちが集まっていた。彼らは海上にバリアを張り巡らし、武力でよそ者の侵入を拒み、内部には厳格な階級制度を持って秩序ある"共和国"を維持している。滅亡した人類が、再び文明をやり直す、第2の創世の島だ。
あるとき、島の少女アナクシマンドロス、通称アナックスは、島を統治するエリート養成機関"アカデミー"に入学するために、4時間にわたる口頭試問に挑戦する。島の支配階級への登竜門だ。最難関の試験で彼女が選んだテーマは歴史学、島の歴史に大きな影響を与えた人物「アダム・フォード」についての研究だ。アダムフォードは島に漂着した外の世界の少女を助けて、共和国社会にカオスをもたらした事件で知られる。
アナックスは試験官から、共和国の歴史、社会の在り方、アダム・フォードの評価、文明論、存在論など、幅広い知識や思想を試される。この小説は最初から最後までひたすらに、アナックスと3人の試験官との対話だ。緊張感のあるやりとりから、次第に"共和国"や登場人物たちの驚異の背景が明らかになっていく。
明るい表紙だが、中身はかなりハードSF設定。プラトン、アリストテレス、アナクシマンドロスなど登場人物の名前からもわかるように、この本は全体がギリシア哲学のパロディである。そしてテーマは人工知能と存在論であり、マーヴィン・ミンスキー、リチャード・ドーキンスが好きな人におすすめしたい。
ニュージーランドの作家バーナード ベケットは本書でエスター・グレン賞を受賞。
1987年にベストセラーとなった紀行文学の名著の復刊。
ソングラインとはアボリジニに伝わる、オーストラリア大陸にはりめぐらされた天地創造の道のこと。彼らの先祖たちは、ドリームタイム(神話の時間)になにもない大地を歩きながら、出会ったあらゆるものに名前を与え、歌に歌うことで世界を創造していった。その道は私たちには見えないが、アボリジニたちにとっては何万年も前から、世界の境界線を引く重要な役割を果たしている。
著者のブルース・チャトウィンは、実際のソングラインの放浪体験をもとにして、フィクションとしてこの紀行作品を書いた。オーストラリアの広大な大地とゆったりと流れる時間の中では、自然と人間にとって本質的なものに思索が向かう。アボリジニの神話や生き方に啓発される内容は多い。
作中には世界中を旅したチャトウィンが残した旅のノートの記述が大量に引用されている。そこには哲学者や作家の名言、旅先の人々の会話、見聞きしたことの考察、各地の伝承が、とりとめもなく集められている。
「人生は橋である。それは渡るべきものであって、家を建てるべきところではない。」インドのことわざ
「我々の本性は動くことにある─全き平静は死である」パスカル
「俺はここで何をしているのだろう」ランボー
流浪の人生に意味を見出そうとする言葉が目立つ。
チャトウィンはこの本を執筆中にエイズを発病しており、死の覚悟を持って書いた遺作だそうだ。文字通り、魂の放浪の記録といっていい大作である。放浪してきた気分になる。
最新の芥川賞受賞作。
こんなに娯楽性たっぷりの芥川賞って珍しい。面白い。
京都にある外国語大学のドイツ語の授業。バッハマン教授はバラを口にくわえ人形を抱いて通勤するエキセントリックなドイツ人。教材が『アンネの日記』なので受講する学生は純真な乙女ばかり。
乙女たちはスピーチコンテストに向けて、『アンネの日記』の「1944年4月9日、日曜日の夜」をドイツ語で暗唱するという難しい課題に必死に取り組んでいる。教授は「乙女の皆さん、血を吐いてください」と努力と根性で死ぬ気で頑張れと檄を飛ばす。
乙女たちは「すみれ組」「黒ばら組」の2大派閥に分かれている。主人公のみか子はすみれ組だが、黒ばら組リーダーの麗子様(スピーチの女王で、「おほほほほ」と高笑いする)に密かに憧れている。
女の園は噂の園であり、囁きや密告が人間関係に危機的な影響を及ぼす微妙な緊張関係にあったのだが、コンテストを前に乙女たちの平和を脅かす、ある「黒い噂」が広まっていく。
表面的にはコミカルな表現の連続でテンポよく展開するので娯楽性が高い小説だ。同時に、ユダヤ人アンネ・フランクが生きた疑心暗鬼の隠れ家生活と、現代の乙女たちの閉鎖社会の心理が、ひねった形で重ねられており、悲劇と喜劇が同居する、実に独特な、わけのわからない深さが魅力である。