Books-Fiction: 2010年5月アーカイブ
物語で読ませる作家と文体で読ませる作家がいると思いますが、村上春樹と言うのは両方を兼ね備えているタイプの希有な作家ですね。
ノーベル文学賞にノミネートされるなど海外で高く評価されている部分と言うのは、主に物語の部分なのじゃないかなと思うのですね。海外の読者は翻訳で読むでしょうから。複雑な構造の物語が内包する同時代性やメッセージ性も含めて物語の力が海外でも話題になった、と考えます。大江健三郎氏と同じでしょう。
でも、幸運なことに日本語で読むことのできる私たちは文体を味わうことができます。一言でいえば「1Q84は文体を味わう快楽の本」だったなあというのが感想です。第3巻は読み終わるまでに2週間もかかりました。わざとゆっくり読みました。毎日寝る前に数章ずつ(3人の登場人物を一巡ずつ)読むのが本当に楽しみでした。終わってしまうのが悲しいほどの、明解でうつくしい日本語で書かれた複雑で不思議な物語。
でも、私はこの第三巻は読む快楽体験の延長のメディアとしては嬉しかったのだけれども、物語としては蛇足だったんじゃないかな、第二巻で謎を残したまま終わりでもよかったんじゃないの?と思います。謎を明らかにして安直に終わらせてしまった感が否めません。海外ではどう最終評価されるのか気になります。
セールス的には第3巻も100万部達成で本当に読んでいる読者が100万人いるらしいことには驚きです。メディアの作りだす宣伝ブームだけでは、遅れて発売の第3巻目は買わないでしょうからね。文学の市場がまだ健在っていうのは素晴らしいことだなあと思いました。100万人が読んだらもはや神話だ。
で、個人的には
物語:80点
文体:100点
かなあ。
・1Q84 Book1 Book2
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/12/post-1140.html
・1Q84マップ
http://1q84.shinchosha.co.jp/map/
青豆と天吾の移動地図。この通りに散歩したら楽しそう。
この本は今年のベスト10に確実に入るなあ。面白い。傑作。
関東地方の山地にある樹齢千年のくすのきの巨樹。
1000年の間に巨樹の下で繰り広げられた人間たちの短い生のドラマを8つの連作短編で語る。時代も立場もまったく異なる登場人物たち数十人がいる。山に逃げた武士、自殺を考える中学生、女をさらった山賊、ドライブ中の家族、愛人と待ち合わせた娼妓...。よくここまで多様な設定下の登場人物たちを描き分けられるものだなあと著者の筆力に感嘆する。
器用なだけでなくて、8つの話がからみ合って群像劇としての深みがでているのも素晴らしい。
8編とも現代の登場人物と過去の人物の生き様が呼応する形で話が進む。死を考えて巨樹の下を訪れる動機は、昔と今では背景は異なる。一方では戦に負けて死ぬものがあり、もう一方ではいじめに耐えかねて自殺しようとしているものがいる。いろいろな生き方があるが、ひたむきに生きる人間の悲しみ、苦しみ、切なさが、時代を超えて共通するものとして浮かび上がってくる。
この連作短編は1000年に渡る長いスパンだが、巨樹を中心にした狭い地域の話なので、登場人物や設定が各話ですこしずつ重なっていて、ああ、あの話はこうつながったか、あの人はその後こういう人生を歩んでいたのか、とパズルを解くみたいな面白さもある。
先日倒れてしまった鎌倉八幡宮の大銀杏は、実朝暗殺の舞台ともなったと言われ、樹齢千年と言われるが、まさにこういう歴史を見てきた樹木だろう。この著者にぜひ鎌倉の大銀杏編も書いて欲しいなあ。
ゴールデンウィーク。横浜にできた新スポットTOCみなとみらいに行ってきた。
ショッピングモールやシネマコンプレックス、ホテル・ニューオータニイン横浜を含む大型商業施設だ。「TOC(テーオーシー)」という名前は「東京卸売りセンター」の略に由来し、TOCビル、TOC大崎ビル、浅草ROX、TOC有明、TOCみなとみらいなどの商業施設、 オフィスビルの運営をしている会社だ。
「1926年(大正15年)4月に、SF作家として有名な星新一の父・星一が、星製薬株式会社として創業。星新一も社長を務めたことがある。現在は、ニューオータニと同じ大谷家が経営を行っている。」
なんてことが書いてある。こんなところで星新一の名前が出てくるとはびっくりした。
星新一はたくさん読んだ。
数ある名作ショートショートであなたのベストは何かと問われたら、本書収録の
『処刑』
と答える。思春期に読んで以来、この話が強烈に記憶に焼きついている。
囚人が流刑の星に流されて、ボタン付きの銀の玉を渡されるという話だ。なにもない荒野の星。水に溶かせば食べられる食料はもたされているが肝心の水がない。銀の玉のボタンを押すたびに空気から抽出した水が玉から出てくる。だがある確率で銀の玉は大爆発して囚人を殺してしまうと告げられている。荒野にはそこらに爆発の跡が見られる。
囚人は最初のうちは決死の覚悟でボタンを押した。出てきたコップ一杯の水で渇いたのどを潤した。少ししてまた押してみた。意外にも大丈夫だ。何度目で爆発するかは誰にもわからない。やがて囚人の感覚は麻痺して、ボタンをどんどん押して風呂にまで入る。
何かをするたびに未知の確率で死ぬかもしれない。
これって地球の普通の生活と同じじゃないかと囚人は悟ったのだ。
中学生だった私は、この話に感動した。そういう考え方があったか。人生は未知の確率の連続だし、人類の死亡率は何をしたって最終的には100%だ。ボタンをどんどん押すべきだなあ、と。大人になって起業したのは、この話の影響も1%くらいはあるような気がしている。
日本的な情緒溢れる背徳小説。川端康成。
(筋がネタバレしますが)
主人公は今は亡き父親の愛人と深い仲になるが、その女が苦悩して自殺してしまう。そのなりゆきで今度はその娘と交際するが、うまくいかない。父親にはもうひとり愛人がいて、そのすすめで引き合わされた清純な女性と出会い結婚するが、主人公にはやはり心にひきずるものがあって真の夫婦になりきれない。
|「奥さんには父と僕との区別がついているんですか。」
|「残酷ねえ、いやよ。」
| 目を閉じたままあまい声で、夫人は言った。
| 夫人は別の世界から直ぐには帰ろうとしないようだった。
| 菊治は夫人に言うよりも、むしろ自分の心の底の不安に向かって言ったのだった。
乱れた男女の話だが、濡れ場の直接表現は一か所もなくて、川端は、遠まわしに婉曲に、そのエロスを見事に表現する。行間の淫靡さがこの作品の魅力。
鎌倉が舞台で茶道の家の話なので、茶器の名器がでてくる。「白い釉のなかにほのかな赤が浮き出て、冷たくて温かいように艶な肌に」などというように、名器は主人公が関係した女性の身体を思わせる。茶器の飲み口に残った淡い赤みを、死んだ女の口紅がしみこんだあととみなして「吐きそうな不潔と、よろめくような誘惑とを、同時に感じた」りする主人公。
川端康成は本質的にはフェティシズム官能小説家なのだよなあと再認識する作品。
・みずうみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1056.html
・名人
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-988.html
・愛する人達
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-961.html
・眠れる美女
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-847.html