Books-Fiction: 2009年10月アーカイブ

デンデラ

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・デンデラ
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これは抜群に面白い。年間ベスト上位に入る。

姥捨て山に捨てられた老婆たちが50人、村の反対側の"デンデラ"で何十年も密かに生き延びて、自分たちを捨てた村への復讐の機会を虎視眈々と狙っていた。新参者の斉藤カユ(70)は、"お山参り"で死に切れなかった自分を情けなく思うのだが、三ツ屋メイ(100)を頂点とする超高齢者コミュニティは、山奥の厳しい生存環境と戦いながら、仲間を増やし、懸命に生き続けることを考えていた。

登場人物50人のうち75歳以上の後期高齢者が30人以上を占めるという、前代未聞の超高齢化社会小説だ。デンデラは男は助けないから女ばかりの集団でもある。老女だけで慢性的な食糧不足を生き抜くためには組織的に働かねばならない。自分たちを捨てた村社会を否定するつもりが、老婆たちもまた、生きるために、もうひとつの村を作らざるを得ないという矛盾。権力が生まれれば、そこには派閥や陰謀が渦巻くし憎しみも生まれる。デンデラは決してこの世の果てのユートピアではなかった。

老婆たちは長い苦難の人生を背負っている。危機到来によって修羅場と化したデンデラで、一人一人が内に秘めてきた情念が噴き出していく。何のために闘い、何のために死ぬのか。凄惨で壮絶な往生際で見えるそれぞれの生き様、雄叫びが重なって、厚みのあるドラマを形作っている。

デンデラはこの世の縮図である。たまたま生き残ってしまった老婆たちと、たまたま生きている我々は同じだ。そして、生き方と死に方を自分で決めることができる人は稀である。そういう人たちのドラマこそが、歴史を紡いでいくわけだが、幸福で満足した人生とそれとはまた別物なのである、なんてことを考えさせられる、深い小説である。

テンポよく読ませる娯楽性もたっぷりな大傑作。おすすめ。

重力の都

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・重力の都
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中上健次が谷崎潤一郎に捧げた短編集。6編は背景も登場人物も異なるが、谷崎の『春琴抄』の如く、針で目を突く行為がでてくる、文字通り盲目的な愛の連作。重力とは物語のこと。物語に引き寄せられて、深い闇に落ち込んでいく男と女の情景を描く。

表題作『重力の都』は、山中の工事現場を旅して働く男が、山を降りてきて、何かに憑かれたような不思議な女と出会う話。誘われるままに女の家に泊る。一夜限りの交わりのはずが、官能的な女の身体に魅せられて、ずるずると居ついてしまう。山の仕事や仲間のことなど忘れてしまう。男はこんな生活もまたいいか、と女の求めるがままに無為な二人だけの暮らしに埋没する。

『ふたかみ』は、荒くれ者の男が、身寄りのなくなった幼い姉弟を引き取って、育てることになる。雄雛、雌雛のような可憐な二人は、男の寝床にはいってきて、その身体に無邪気な悪戯をする。穢れのない子供に、性的な昂りを感じてはいけないと思う男だったが、やがて危うい倒錯の世界へ落ち込んでいく。

こうしたどうしようもない話の中で、針の一突きにより、登場人物たちは危うい一線を越えて、引き返せない闇の世界へと渡っていく。谷崎と違うのは、盲目になるのは男ではなくて、女の方であること。この作品では男は刺青という因果を背負う役が多い。一度やってしまったら戻せないという点では同じことでもあるが。

盲目と刺青という際どさと、男女の性的な官能がねっとり描かれた秀作。

魔羅節

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・魔羅節
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なんだか凄いタイトルだが中身もまた淫靡。

最近続けて読んでいる岩井志麻子の短編集。

「それは百年ほど前の、岡山でのこと。腐臭たちこめる茅屋に、行き場のない者たちが吹き溜まり、夜昼なくまぐわい続ける、禍々しい世界。男と女はもちろん、人とけだものから、死者と生者まで、相手かまわぬ嬲り合いの果て、幻想が現実を侵食し、すべては地獄へなだれこむ―。血の巫女・岩井志麻子が、呪力を尽くして甦らせた、蕩けるほど淫靡で、痺れるほど恐ろしい、岡山土俗絵巻。 」

表題作の魔羅節は、日照りの飢饉の村に雨を降らせるために、男性自身を露出させて神に捧げる風習とそれにまつわる陰湿な人間関係の話なのだが、この原始的に思われる性器信仰っていうのは現代でも結構生きているわけである。結構な確率で、神社やほこらのご神体は男性女性のアレをかたどったものだったりするし、

各地のお祭りだって

・ひょっとこが巨大な男根で踊りまくる祭り
・男が女をつねり放題、たたき放題の祭り
・男根に女の子を乗せてゆっさゆさの祭り
・暗闇の中でお尻を触る祭り
・天狗とお多福がセックスショウをする祭り
・ひげを撫でながら酒を飲む祭り

などいろいろあるのである。詳しくはこの記事を参照。

・日本トンデモ祭―珍祭・奇祭きてれつガイド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003898.html

で、こうした祭りを考えてみるに、原始は生殖力を聖なるものと考えていたのだろうけれど、おそらくは相当初期段階から、人々のストレス発散の場として利用されてきたのでもあったのだろう。動機が純粋でないから、なおさら淫猥なムードが醸し出される。

岩井志麻子作品は、性描写自体は結構あっさりと短かったりするのだが、そこに至る人間関係や状況の描写が強烈で卑猥である。そういう作品ばかりが読めるかなまら祭りみたいな短編集である。

・ぼっけえ、きょうてえ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1066.html

・瞽女の啼く家
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1061.html

・べっぴんじごく
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-843.html

太陽を曳く馬

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・太陽を曳く馬〈上〉
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・太陽を曳く馬〈下〉
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この作家 高村 薫を全部読もう、と思った。凄いよこれは。

私は言ったことを要約されるのが本当は嫌いだ。「つまり、それはこういうことでしょ」と言われると内心「違うよ」と思ってしまう。一生懸命に伝えたいことほど細部に思い入れがあるのであって、大意要約されてしまうと、途端につまらなくなる気がするのだ。情報化で失うものが確実にある。

だが、それをいうと本を紹介する私のブログだって日々同じ過ちをおかしている。これはこういう本です、と要約せざるを得ない。時間の関係で、紙面の関係で、需要の関係で。現代の情報化社会では、常に情報は圧縮されて扱われる運命にある。情報流通に必要な機能的な骨組だけを残して、ばっさりと血肉が切り落とされてしまう。小説の"あらすじ本"がベストセラーになる時代だ。

信仰や哲学もまた。

私は9.11同時多発テロの真の原因は宗教ではなかったと思っている。情報化とか対象化ということが悪かったのではないか。同じ人間なのだから話せばわかるというユマニスム、言葉=情報で他者を理解できるという誤解がいけないのだと思う。普通の人間関係にだって、話せば話すほど噛み合わなくなる場合がある。異質であるものを、自分のフレームで対象化し、情報化することは、相手の血肉を切り捨てることだ。だから争いが起きるのだと思う。

解決法?。徹底的に棲み分けるか、男女が交配するか、どちらかだろう。話し合いではない気がする。そして対象Aに対して到達し得ないことを知ること、知った上でせいぜい近づけるところまで行ってみること、で満足しておくべきだ。その対象Aは、宗教「神」「仏」だけでなく、「自由」や「死」であったりもする。

主人公の刑事 合田雄一郎は、光のビジョンに狂った青年画家の奇妙な殺人事件と、てんかん発作で寺を飛び出し車にひかれた僧侶の死亡事件の不合理を追究していくうちに、裁判過程では決して取り上げられない真理を見出す。事件の調査の枠を超えて僧侶達との禅問答に深入りしていく。

「しかし待て。個人にとって死が欠如そのものであるなら、あらゆる縁起から逃れてただ行為のために行為するような行為によって決定されると言われる自由も、また永遠の欠如であり続けるか。とすれば、死はなんと仏なるものに似ていることだろう!仏なるものは、謂わば死刑囚の足があと少しで着きそうで着かない床であり、最終的に着いたか否かを本人が知ることは原理的にないという意味で、死と同じ程度に不確実であり、死と同じように個人にとってはけっして存在しないものだということだ。」

ミステリ要素の旋律部分に対して、対象Aの問題はこの物語の通奏低音となる主題だ。現代における宗教とは何か、芸術とは何か、意味と価値を問い直す心身問題、9.11事件、オウム事件以後の日本と世界の変容。キーワードは多彩だが、やがてその重い主題に収斂していく。死刑囚にあてた父親の書簡と、僧侶と刑事の禅問答が哲学的探究に深みを与えている。

読むのに時間のかかる本だが、圧倒的な手応え。とてもおすすめ。

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