Books-Fiction: 2009年8月アーカイブ
川端康成のいやらしい小説。
「嫌みな感じ」「好色な感じ」
日本語のいやらしいには二つの意味があるわけだが、どちらの意味でも、いやらしいのがこの本の読み所。
かつての教え子を執拗に追いかけるストーカー男と複数の若い愛人(でも女嫌い)を囲う変態老人の歪んだ意識の物語。
「銀平が後をつけているあいだ、宮子はおびえていたにちがいないが、自身ではそうと気がつかなくても、うずくようなよろこびがあったのかもしれない。能動者があって受動者がない快楽は人間にあるだろうか。美しい女は町に多く歩いているのに、銀平が特に宮子をえらんで後をつけたのは、麻薬の中毒者が同病者を見つけたようなものだろうか。」
ストーカーも、追わせる女も一般の通念に照らすとなにか狂っている。その独りよがりな意識の流れを、そのままに描写する。場面はしばしば記憶の中の過去に飛ぶ。意識の流れを追体験するような文体が特徴である。
痴態の描写がたっぷりあるにも関わらず、よく読むと実は一度も男女は交わっていないのである。女は下着を一度も脱いでさえいないようである。それなのに官能小説張りの艶っぽさが漂う。老人が密室で若い女の裸を愛でるという設定は「眠れる美女」に通じる、オヤジ的嫌らしさである。
ノーベル文学賞作家のちょっと暴走気味の作品。
・名人
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-988.html
・愛する人達
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-961.html
・眠れる美女
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/10/post-847.html
1965年に発表されたニュージャーナリズムの源流とされる有名作。もはや古典。
・ニュージャーナリズムとは?Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
「ニュー・ジャーナリズム(New Journalism)は、1960年代後半のアメリカで生まれた新たなジャーナリズムのスタイル。従来のジャーナリズムにおいては何よりも客観性が重視されていたが、ニュー・ジャーナリズムでは、敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする。」
『冷血』は当時カンザス州で起きた一家4人惨殺事件を題材にしたノンフィクション。被害者と加害者、近隣住民、警察関係者、裁判関係者らを執拗に追いかけて、大長編を書き下ろした。カポーティは執筆前に3年かけて6000ページに及ぶ資料を収集し、さらに3年間それを整理してからこれを書いたという。
まず驚くべきはノンフィクションですと教えられなければ気づかないくらい物語として完成していることだ。本作品は事件の発生から犯人が死刑台に消えるまでをほぼ時系列で描いている。だが取材者が関係者を追いかけるタイプのドキュメンタリではない。
カメラは当事者達の目線でおいかけて再現映像のような働きをする。裁判における証言や現場検証のデータなど、事実の羅列から構成、再現されているのにも関わらず、息をのむほどドラマチックな映画のような展開になる。取材して集めた資料をまとめあげる著者の能力は神業である。
二人の犯人はなぜ一家皆殺しという残酷な殺人行為に及んだのか。その殺人はどのように行われたのか。時系列で書かれているのに、最後まで読まないと動機や事実がわからない。序盤より伏せたままにされたカードが、少しずつ裏返されていくように構成されている。基本はミステリーなのだな。
現代の日本人にとっても非常に読み応えのある物語だが、当時の記憶が生々しい60年代のアメリカの読者は、さぞかし圧倒されたのだろうなあ。