Books-Fiction: 2009年2月アーカイブ

花宵道中

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・花宵道中
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第5回R-18文学賞&大賞ダブル受賞。

それが何を意味するか?

新潮社のR-18文学賞というのは単なる官能系文学賞ではなくて「女による女のための R-18文学賞」である。応募者は女性作家に限定されているだけでなく、下読みレベルから審査員まで選考にかかわるスタッフすべて女性である。男の好みを入れずに、女が感じる官能小説の凄いのが大賞に選ばれる。大賞と別に読者賞があり、その投票も女性限定である。それで本作品は大賞と読者賞ダブル受賞している。女のエロティシズムの極みである。男が読んでもぐぐっときてしまう(ピュア)。

江戸の吉原を舞台にして遊女達の切なく悲しい生き様を描いている。彼女らの日常は性愛が中心となる。吉原という設定が際どい性描写を正当化する。状況設定によって単なるエロ話でなく文学作品として成立している。女優が脱ぐための芸術的理由があって脱いでいる感じ。そこらのアダルトビデオとは違うのである。だから多くの女性読者に支持されたのではないかと思う。

性交や性技に関する描写が満載だが、即物的に行われているコトがいやらしいだけでなくて、そのコトが行われている状況がエロ度を倍加させている。現代ではありえない人権無視の買われた女たちという設定を存分に活かしている。

仮に性描写がなくてもこの作品は極上の出来である。1976年生まれの新人作家と思えない完成度。オムニバス形式でひとつの遊郭に働く遊女達のそれぞれの視点で物語が語られていく。時間的にも重なる部分があり、そこで起きていることが読み進むにつれ立体的に見えてくる。見えれば見えるほど、遊郭人間模様の切なさが極まっていく。

とてもいやらしくて、とても切ない娯楽文学の傑作。あ、でも、おこさまは読んじゃダメですよ。

黄金旅風

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・黄金旅風
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歴史小説の大傑作。いや、面白い、面白い。

徳川秀忠から家光の治世、寛永年間に鎖国体制は完成し以後ペリー来航まで2世紀もの間、日本と海外の国交は厳しく制限されることになった。そのまさに日本が閉じようとしている時代に、長崎はわずかに残された海外貿易都市として栄華を誇っていた。史上最大の朱印船貿易家と呼ばれた末次平左衛門とその親友の町火消組頭の平尾才助。貿易利権を巡る内外の抗争と謀略から長崎を守ろうとした人たちの生き様を描いた長編小説である。

当時の長崎は幕府の貿易統制とキリシタン弾圧が進められる中、なお海外から渡ってくる自由な風を感じることができた。二人は体制の中に生きる日本人であると同時に、黄金旅風の中に育った型破りな発想と行動力で人々を魅了していく。

黄金旅風というタイトルだが海外を飛び回る海洋冒険小説ではない。たしかに海の冒険譚も冒頭はじめ何カ所かあるのだが、物語の大半は長崎の陸の上である。魅力的な政治小説なのだともいえる。長崎代官となった平左衛門は朱印船貿易の本質を見抜いていた。

「そう考えていけば、結局のところ朱印船の制度も、同じ図式であることに平左衛門は気づいた。一見国内商人による貿易振興策のように見えていながら、その実は家康による貿易統制策の一環でしかないものだった。父平蔵始め、朱印船貿易を許された者たちが、特権を与えられているように見えていながら、実は大名資本や、西国大名と結びつく危険性のある商人たちを排除する目的で開始されたと見るべきなのだ。」

莫大な富を得られる貿易利権を巡って、将軍家や幕臣、大名と奉行らが繰り広げる政治的な駆け引き。平左衛門は、策謀の犠牲になる長崎の人々の利益を守るべく、決死の覚悟で政敵に立ち向かう。冒険の前半に対して後半は読み応えのある政治小説といった感じ。

二人の主要人物以外にも魅力的な脇役のサイドストーリーもたっぷりある。本格歴史小説だが娯楽性も高い。『本の雑誌』2008年度の文庫ベストテン第1位に選ばれた。

・少将滋幹の母
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「今昔物語」のエピソードを題材に人間の業の深さを描いた谷崎潤一郎の時代小説。

80歳になる大納言 藤原国経には年若い絶世の美貌の妻がいた。国経の甥の左大臣藤原の時平は噂を聞き、その女を我が物にしたいと企む。そして国経の家を訪れて宴を開いた帰りに「引き出物が少ない」と言いがかりをつける。年齢は上だが官位は低い国経の立場は弱い。ついには時平は戯れのように美貌の妻をお持ち帰りしてしまい、そのまま返さない。嘆きながら国経は世を去っていく。続いて権力者の時平も、菅原道真の祟りだったのか、若くして病で亡くなる。

時平の友人の平中も世に知られた色男であった。美しい女とあれば口説いてまわる。時平の屋敷で出会った侍従の君にも思い焦がれる。平安貴族のプラトニックな男女のコミュニケーションが現代人からするととても可笑しい。

思いを込めた歌を詠んで送り、返歌を待つ。返事は来なかったりして「見たという返事だけでもください」と手紙を書けば女から「見た」とだけ2文字の返事がくる。もうたまらんと夜這いをかけたら、女の企みで部屋に閉じこめられ、朝まで一人女の枕を抱いて泣いている。

いっそ女を嫌いになれたらと思った平中は、彼女の使ったおまるを召使いの女から奪い取る。その中の汚物を見れば彼女も普通の人間に過ぎないと諦めが付くだろうと思ったのだ。ところが中身を開けてみると、かぐわしいにおいがする。不思議に思った平中はそれをなめてみる。

「で、よくよく舌で味わいながら考えると、尿のように見えた液体は、丁字を煮出した汁であるらしく、糞のように見えた固形物は、野老や合薫物を甘葛の汁で煉り固めて、大きな筆のつかに入れて押し出したものらしいのであったが、しかしそうと分かって見ても、いみじくもこちらの心を見抜いてお虎子にこれだけの趣向を凝らし、男を悩殺するようなことを工むとは、何と云う機智に長けた女か、矢張彼女は尋常の人ではあり得ない、という風に思えて、いよいよ諦めがつきにくく、恋しさはまさるのみであった。」

平安貴族達の尋常ならざるラブストーリーが延々と続くが、かわいそうなのは国経と平中の間に生まれた一人息子である。幼い頃に親戚のおじさんに母を奪われて以来、四十年間以上も会うことができない。「お母さま」。年齢を重ねるにつれて母への思いはつのるばかり。

盲目的に恋する男、見栄を張る男、母を慕う男など、執着する男の子供っぽさを、あらゆる側面から格調高く描いている。長い年月を経て母と息子の再会するラストシーンは美しい。

・私たちがやったこと
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受賞作「体の贈り物」で知られる現代アメリカ作家のレベッカ・ブラウン短編集。7本の中から以下に印象に残った作品を3つ概要紹介。

表題作「私たちがやったこと」

「安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。こうすれば私たちはいつも一緒にいるはずだ。二人ともそれぞれ、相手が持っていないもの、相手が必要としているものを持っているのであり、二人ともそれぞれ、相手に何が必要なのか、相手をどう世話したらいいかが完璧にわかっているのだ。」

この本に収められた連作はどれも満たされない愛、すれ違う愛、ほどけていく愛を幻想的に描いている。甘くはない愛のおとぎ話といった感じ。現代的。

レベッカ・ブラウンはレズビアン作家として知られている。作品には中性的なセクシュアリティの登場人物が多くて、読んでいて「この主人公は男かな、女かな」と明確な記述がでるまで落ち着かない気持ちにさせられる。おそらく作者にとってはそれはどうでもよいことなのだろう。男女を決めてくれないと落ち着かない読者のほうがセックスにとらわれているわけだ。「私たちがやったこと」でも二人が求めあうのは視覚と聴覚であり、男性性、女性性ではない。IとかYouとか一人称二人称に性別の区別がない英語の作家ならではの文体といえるかもしれないが。

新婚の夫婦の新婚旅行先に、ひっきりなしに友人知人が訪れて解放されずに困り果てる「結婚の悦び」。秘密と愛は密接な結びつきがある。男女の営みは隠さなければならないし、隠すからこそ悦びなのだ。秘め事というしね。何日たっても帰らないお客たちと連日連夜のパーティを繰り返す夫に辟易させられる花嫁。みんなに祝福されながらも満たされない。寓話的な話だが、男女の普遍的な何かを象徴しているように思える。

最後に配置された「悲しみ」も10ページの超短編だが味わい深い。去っていく人と送り出す人の本音と建前。遠くに行っても忘れないからね、毎日手紙を書くねといって別れた後、私たちはどうあるべきだろうか。

独特のタッチで7パターン、愛のスケッチがある。

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