Books-Fiction: 2008年10月アーカイブ
スペインの平原に住む羊飼いの少年が、夢のお告げを信じてエジプトのピラミッドに旅立つ。お告げはピラミッドの近くに宝物が埋まっているから掘りに行け、というのだ。少年は羊を売り払って海を渡り、遠い遠いエジプトの地を目指す。
これは人生の教訓がたくさん散りばめられた寓話の玉手箱みたいな作品だ。羊飼いの旅というメインストーリーは「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」とか「前兆に従え」というDream Comes Trueなポジティブ指向のメッセージだ。
これに加えてサブストーリーや脇役が持ち込む寓話が多数ある。その数多ある中の挿話の一つに過ぎないのだけれど、賢者から幸福の秘密を盗んでくることになった若者の話が、私には一番印象的だった。
それを要約してみると...
若者は長旅の末、賢者の宮殿にたどりついた。賢者は若者に、今私は忙しくて幸福の秘密を話している時間がないので、美しい宮殿内部を2時間ほど見てきなさいと命じた。そして二滴の油が入ったティースプーンを渡して「歩き回る間、このスプーンの油をこぼさないようにしなさい」と言った。
だから若者は2時間ほどスプーンに目を釘付けにして宮殿の中を歩いた。そして賢者の元に戻った。賢者は宮殿の素晴らしい織物や庭園や書物を見たかと若者に尋ねた。若者は油をこぼさぬことばかり考えていたから何も見ていなかったと答えた。
賢者は、では戻ってもう一度見てくるがいいと言った。若者は今度はしっかりと素晴らしい美術品や庭園を鑑賞して感動した。そして賢者の元に戻り報告した。賢者は言った。「しかし、わしがおまえにあずけた油はどこにあるのかね?」。スプーンの油はどこかに消えてなくなっていた。
『幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ』と賢者は教えた。
という話。
いやあ、この部分だけでもかなり深いと思った。
・目先の利益追求ばかり考えていると本質を見失う。(企業経営も同じ)
・ワークライフバランスを大切に
・自分の初心や原点を忘れてはならない
・旅は目的地だけでなく途中の車窓の景色も楽しめ
・なぜスプーンの油は二滴なんだろうか?
解釈や展開はいろいろできる。読者が多義的に教訓を引き出せるのが寓話の良さ。
羊飼いの少年は旅の途中で幾多の苦難に見舞われる。出会いと別れ。成功と失敗。そのたびに印象的なエピソードから人生の教訓を学んでいく。そしてとうとう、宝の埋まるピラミッドにたどりつく。彼がそこで見つけた真実の宝とは?。
川端康成の官能小説3編収録。それぞれが書き出しから大いにひきつける(下記にそれぞれの作品冒頭部を引用)。
■「眠れる美女」
「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」
江口老人(65歳)は若い娘が一晩裸で添い寝してくれる館に通う。女は薬で昏睡させられている。その身体は男の思うままであるが、客は枯れ果てた老人ばかりで、飽くまで添い寝を楽しむのが趣旨である。一線は越えないことになっている。ところがこの江口老人には男の部分がまだ少し残っているのであった。眠れる美女の身体を見るたびに若い頃に抱いた女達のことを思い出す。
6人の昏睡した女がでてくる。江口老人と女の間に会話はない(寝言はあるが)にも関わらず、女の身体描写だけで6種類の官能的な夜の模様が、ちゃんと書き分けられているのが凄いと思う。川端流6種類のそそり方がある。
■「片腕」
「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。 「ありがとう」と私は膝を見た。娘の右腕のあたたかさが膝に伝わった。」
妙齢の娘から片腕を借りた男は家に持ち帰って愛でる。腕なのだけれど心が通じて話ができる。男は自分の腕をはずして付け替えて血の通うのを楽しんでみたりする。腕というのは女の腕でも社会生活の中で見えている部分だ。単体では嫌らしいものではなかろう。しかし、男が家にそれを一人で持って帰るという状況が、いきなり淫靡な雰囲気を醸し出していくのだ。
■「散りぬるを」
「滝子と蔦子が蚊帳一つのなかに寝床を並べながら、二人とも、自分達の殺されるのも知らずに眠っていた。」
眠っている間に顔見知りの侵入者によって殺された二人の知人女性のことを振り返る小説家の独白。犯人や被害者の心理を妄想して物語化する衝動が抑えられない小説家の深い業が主題といえる。この登場人物は川端康成自身のことだろう。メタ視点で短編集が終わる。
解説は三島由紀夫。表題作について「『眠れる美女』は、形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である」と評した。川端康成の奇想と官能が短編で3つ味わえるお得な文庫本。
女の悲しい性を描かせたら当代一の岩井 志麻子。作家の得意であるに加えて、美女と醜女が代々交互に生まれる因縁の一族という設定が秀逸だ。読み始めると止められない。
明治の終わり、岡山の寒村で一番の分限者の家に育ったシヲは妖艶な美女であったが、村人達から呪われた出自を噂されている。シヲの娘のふみ枝は牛蛙とあだ名される醜女でシヲとは折り合いが悪い。ふみ枝の娘の小夜子は祖母に似て美貌にうまれつき、母より祖母になついた。美醜は当時の女の運命を決めた。
「男を期待させ、焦らし、ひっくり返すのは、なんと楽しいことであるか。母はきっと、一度もこんな気分は味わっていないだろう。そう考えれば、小夜子は母が哀れになる。たっぷりと知っていそうな祖母が、かすかに小憎らしくなる。」
美しい女達は禍々しいほどの魅力で男をひきつけ愛欲に溺れた。淫蕩な性質も共通であり、身体が男なしには生きられなかった。醜く生まれた女達も家の資産を受け継ぐために血筋を絶やすことはなかった。そして小夜子の娘、孫、曾孫が宿業を背負って生まれてくる。すべては一族の祖先に取り憑いた怨念の仕業であった。
シヲの半生が語られる序盤が終わると、そこからは代ごとに章がわけられている。「第一章 シヲ七歳」~「第十二章 シヲ百四歳」という風に、シヲの年齢で物語は仕切られている。あのシヲの時代から今が何年というのを読み手に強く意識させる。そのせいか厚い本ではないのだが、読後に壮大な大河ドラマを読み切った満足感がある。
・赤朽葉家の伝説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005047.html
宿命の女達の年代記という点で似ている。これに匹敵する傑作。
これは衝撃作。21世紀の世界に究極的な情報技術が登場したらどんな変化を及ぼすかを、寓話的に予言している。といっても、未来のハイテクそのものがテーマではない。原題はAir(or,Have Not Have)"。情報や金を持つ者、持たざる者の関係性がネットワークによってどう変わりうるのかこそ最大のテーマだ。
2020年、中国とチベットの間にある辺境の村で、メイは「ファッション・エキスパート」の仕事をしている。近代化から取り残された村にはネットもテレビもいまだ普及していない。彼女はときどき街を訪問して密かに情報を仕入れる。そして村に戻ると流行に疎い隣人たちを店に案内し、この服が都会で流行っていてあなたに似合うのよ、と指南する。村人が服を買ったら、メイは店側から仲介の手数料を得る。メイが情報を持ち村人は情報をもっていない非対称性から成立する情報ビジネスだ。
村の有力者の家に「テレビ」がやってくる。テレビは街の様子をメイを介さずに村人達に伝えてしまう。だから起業家マインドを持つメイは、仕事のスタイルを状況の変化にあわせていかなければと苦心している。テレビを嫌悪するものもいたが、メイはむしろそれを利用しようと前向きだ。
テレビはネットワークに接続されている。(この作品における「テレビ」は現在のインターネットと同義のようだ)。メイはネットワーク上にお店サイトを持とうと決めた。村の女達の手芸品を街の人たちに売るのだ。メイはテレビを研究する。肝心の情報は有料チャンネルだったりクレジットカードが必要で、お金がない村人達は買うことができないことを知る。村人達は次第に情報格差の問題に気がつき始める。平和だった村に持つ者と持たざる者の対立が緊張感が生まれていく。
そして1年後には全人類の脳を直説的に連結する究極のP2Pネットワーク「エア」がこの村にもやってくることを知らされる。この超インターネットを使えば、世界中の人々が仮想空間で意識を統合し、情報や知識をわけあい、遠隔コラボレーションが可能になる。世界はひとつになるのだ。
市場では二つの規格がデフォルトを競っていた。「ゲイツフォーマット」と「国連フォーマット」。村でベータ版のテストをするためメイは未知の技術に身を任せたが思わぬ大事故に巻き込まれる。事件の渦中でメイは世界に先駆けて「エア」の脅威と可能性を知る一人になる。辺境の村の女性が世界を変えていく大きな物語がそこから始まる。
メイは生まれた辺境の村をほとんど出ない。中心ではなく周縁からの視点にこだわって世界の変革を描いている。世界で起きていること、これから起きるであろうことの物語である。文句なしで面白い5つ星の作品。
英国SF協会賞/アーサー・C・クラーク賞/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞受賞。