Books-Fiction: 2007年1月アーカイブ
「絶滅に瀕したアフリカの種族、キクユ族のために設立されたユートピア小惑星、キリンヤガ。楽園の純潔を護る使命をひとり背負う祈祷師、コリバは今日も孤独な闘いを強いられる...ヒューゴー賞受賞の表題作ほか、古き良き共同体で暮らすには聡明すぎた少女カマリの悲劇を描くSFマガジン読者賞受賞の名品「空にふれた少女」など、ヒューゴー賞・ローカス賞・SFクロニクル賞・SFマガジン読者賞・ホーマー賞など15賞受賞、SF史上最多数の栄誉を受け、21世紀の古典の座を約束された、感動のオムニバス長篇。 」
22世紀、アフリカのキクユ族の末裔たちは、民族の伝統的価値観を追い求め、ユートピアを築くために地球を離れ、惑星改造技術で作られた新天地キリンヤガへと移住した。人々は現代のあらゆる知識や技術を捨て、厳しい自然の中で、古の掟を守って暮らす。全能の祈祷師としてコミュニティに君臨するコリバは、理想の社会を維持するために苦悩する。
伝統と革新、個人と社会、人間と技術といった大きなテーマについて、小さなキリンヤガ社会で次々に発生する事件は、読者に問いかける。人類の進歩とは何か。それは本当にいいことなのか?。コリバが人々に話す寓話は近代、現代の人類の歩みに対して疑問を投げかけるものばかり。
伝統的価値観の中には残すべき良いものが含まれているはずだと漠然と感じるが、それが現代人にとってどのような価値を持つのか、すばりと言い当てるのは難しい。コリバは次第に現代文明に"汚染"されていく同胞の姿に愕然としながら、その難しい説得を続ける。
10話すべてが未来の神話時代の世界を織り成す縦糸、横糸として語られる。どの作品も個別に完成度が高く感動的である。M.ナイト シャマランあたりが映画化したらいいなと思う大変な名作。
関連書評:
・HPO:個人的な意見 ココログ版: [書評]キリンヤガ
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_5.html
「京の骨董店を舞台に現代の「百物語」の幕が開く。注目の俊英が放つ驚愕の新作。細長く薄気味悪い座敷に棲む狐面の男。闇と夜の狭間のような仄暗い空間で囁かれた奇妙な取引。私が差し出したものは、そして失ったものは、あれは何だったのか。さらに次々起こる怪異の結末は―。端整な筆致で紡がれ、妖しくも美しい幻燈に彩られた奇譚集。 」
お稲荷のお使いがキツネの像で、狐憑きという霊的現象もあるからキツネは霊的な印象があるが、本来はこれは動物のキツネが神様というわけではなかったらしい。穀物の神である御饌津神(みけつかみ)の"ミケツ"という発音がキツネの古語である"ケツネ"に近かったため、キツネがお稲荷の使いになったという説がある。
この作品に登場するきつねも動物のキツネではない。それは長い胴体を持って、闇夜にすばしこく動く何かである。お稲荷の総本山である京都の伏見稲荷には数年前に一度行ったことがある。見るからになにかそういうものが棲んでいそうである。昼間なのにどきどきした思い出が、この本を読みながらよみがえってきた。
・伏見稲荷神社で撮った写真をFlashムービー化してみたもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/fushimiinari.html
京都の古物商を主な舞台にして、少しずつ重なり合う4つの物語がひとつの世界を構成する。なお、ミステリー小説ではないのですべての謎が解けると思って読まないほうがよい。まさにキツネにつままれたような体験をしたい人におすすめである。この森見 登美彦は恒川 光太郎、川上 弘美などの民俗系のダークファンタジーに通じるものがある。
・雷の季節の終わりに
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html
・夜市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004796.html
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http://blog.anilir.net/
「歩いていると、ついてくるものがあった。
まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい。かまわず歩きつづけた。」
この最初の一行にぞくっとして、これはひきこまれてしまうぞと確信した。なかなか書けない見事な書き出しであって、トンネルを抜けるとそこは雪国だった、級である。ついてくるものは憑いてくるものであるという、そういう異界ものの話である。すうっと異界にひきこまれて2時間半で読み終わり、無事、こちらがわへ戻ってくることができた。
句読点で短文を区切り、会話も内面も続けてことばを置いていく実験的な文体は、主人公と本当はそこにいないものの間を地続きにする。ひら仮名の短いことばは、この世にやってきたばかりの、子供のことばであり、常世のことばに近いのかもしれない。
「真鶴、はじめて。百が笑う。わたしも、こないだが、はじめて。一緒に笑う。岬の突端で突然空が広くなり、遥か下に海をのぞんだおりの、頬を耳を風がなぶったときの感触をいちじに思い出した。」
なにげなく取り出した一節だが、短文も活きているし、岬の突端で、からの一文も名文だと思う。日本語の表現力を引き出している。そして川上 弘美の文章は、根っからの女の文体だなと思う。生理があって血を流し、男に抱かれて、子供を産み、浮気に嫉妬して、ヒステリーを起こす。愛しすぎて男の首を寝ている間に絞めるかもしれない。そういう、どうしようもなく女であるっていう状態の文体である。男性は読んでいて怖くなるかもしれない。女性はどう読むのだろうか。
題名の「真鶴」というのもすごいではないか。温泉地の熱海でもなく、湘南海岸の江の島でもなくて、小さな港町の真鶴である。私は子供の頃に一度だけ行ったことがあるが、やはりこれは真鶴でなくてはいけない。大磯でも二ノ宮でもだめである。他の東海道の駅ではイメージが違うのである。ついてくるものがあるとすれば曇りときどき雨の日の、真鶴だという気がする。真鶴(まなづる)という字も音も、なにかが憑いている。
さて、文体の技巧やタイトルばかり褒めているのは、この小説が本当に素晴らしいので、ちょっとでもネタバレをしたくないからである。絶賛の5つ星である。
概要だけ引用すると「失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか? 『文学界』連載を単行本化。 」というものである。
・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html
・雷の季節の終わりに
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html