Books-Fiction: 2006年9月アーカイブ

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・桃
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長編「ツ・イ・ラ・ク」の対をなす短編集。

・ツ・イ・ラ・ク
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004722.html

前作の登場人物たちが、各々の視点で語る6つのサイドストーリー。「あの事件」と平行している時代の話もあれば、後日談もある。前作では脇役だった人物がここでは主人公になる。

人それぞれの6つの人生模様の中で、共通しているのは、何かに執着する心といえそうだ。幼い頃に芽生えた執着は年齢を重ねても本質はかわらない。それがやがて個性になり、それぞれの運命を呼び寄せている、ように思える。


学校---幼稚園でも大学でも---という空間が区切る時間があまりにも克明で密度が高いため、この空間からはなれて久しい人間は、おうおうにしてミステイクをおかすけれども、十四歳の女は、二十四歳の女とも三十四歳の女とも同じなのである。そのからだは。その情欲も。

「ちがう」

もしだれかがそう言うのなら、それは、わたしとその人の個性がちがうのであって、その人のうちでは、その人の原型は十四歳よりももっと以前、十歳くらいに成り立っていて、その原型が、衆人の前に現れ出るかたちが、わたしとはちがっただけのことを錯覚してしまうからだ。

その人のうちにおいてはその人の十四歳と二十四歳と三十四歳は同じはず。ちがうところは、わたしがそうであるようにふたつだけである。各々なりの知識の量とその知識量からくる語彙。体力とその体力差からくる執着の度合い。執着を詩人はときに、情熱やひたむきと換言するけれども。


どの話も「ツ・イ・ラ・ク」を読んでいなくても、単独作品として楽しめるように書かれているが、もちろん、前作を読んでからのほうが深く味わえる。

表題作「桃」は映画にもなっている。女性のエロスをテーマにした短編オムニバスの「female」。この第一話として長谷川京子が主演で映像化された。小説のファンなら一見の価値あり。ただし、このDVDでのおすすめは、断然、小説とは無関係な「玉虫」の石田えりの好演なのであるが。

・female
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5人の女性作家の原作を5人の監督が5人の女優で仕上げた5つのエロス。「桃」「太陽の見える場所まで」「夜の舌先」「女神のかかと」「玉虫」を収録。

「桃」―長谷川京子/池内博之/野村恵里
「太陽の見える場所まで」―大塚ちひろ/石井苗子/片桐はいり
「夜の舌先」―高岡早紀/近藤公園
「女神のかかと」―大塚寧々
「玉虫」―石田えり/小林薫/加瀬亮

パイの物語

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・パイの物語
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2002年度ブッカー賞受賞作。

「1977年7月2日。インドのマドラスからカナダのモントリオールへと出航した日本の貨物船ツシマ丸は太平洋上で嵐に巻き込まれ、あえなく沈没した。たった一艘しかない救命ボートに乗り助かったのは、動物たちをつれカナダへ移住する途中だったインドの動物園経営者の息子パイ・パテル16歳。ほかには後足を骨折したシマウマ、オラウータン、ハイエナ、そしてこの世で最も美しく危険な獣ベンガルトラのリチャード・パーカーが一緒だった。広大な海洋にぽつりと浮かぶ命の舟。残されたのはわずかな非常食と水。こうして1人と4頭の凄絶なサバイバル漂流が始まった...。生き残るのは誰か?そして待つ衝撃のラストシーン!!文学史上類を見ない出色の冒険小説。」

まさに世界文学と言えそうな傑作だった。

私達はなんらかの神や、なんらかの物語を信じる。少年は漂流する救命ボートの上で、人を喰うトラと向き合う。食糧も底をついた極限状態であるが、気を抜けばトラに自分が喰われてしまう。調教師のようにトラに対して優位を保つ努力をする一方で、喰われぬようにエサも与える。トラは少年にとって、敵であり友であり、そして神であり、人生でもある。トラと自分の物語を信じることで、また1日を生き延びる。

語りの見事さ、哲学の深さ、ともに見事な完成度。表紙のポップなデザインや動物モノ、冒険小説風の作品紹介に騙されてはいけない。物語は最初は、緩やかに少年の成長物語としてはじまるが、漂流する中盤以降で、人間の心の闇を暴き出すきわどさを見せ始める。加速感がたまらない。

この作品は当初、「シックスセンス」のM・ナイト・シャマラン監督が映画化をする予定だったが、シャマランが別の映画に専念するために降り、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のアルフォンソ・キュアロン監督が手がけることになったが、こちらも途中で降板し、結局「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督に決まったらしい。

物語の構成からするとシャマランが適任だったように思われるが、幻想的な作風のジュネ監督にも期待できる。日本公開が楽しみ。

わたしを離さないで

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わたしを離さないで
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出版社の紹介文を引用。


自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に......。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点

「施設」で暮らすキャシー、トミー、ルースの生活は、一見のんびりした普通の子ども時代のようで、なにか様子が違うのである。彼らには知らされていないことがあるのだ。施設は何のために作られ、なぜ彼らはそこで育てられるのか。

彼らも読者も同じように、知らされることを集めて、知らされないことを漠然と想像して自分なりの理解を得る。物語は少女キャシーの視点で語られるので、終盤までその想像が本当なのかどうかはわからない。

全てを知るものの目で見れば、そうした想像は他愛もない空想に過ぎないかもしれない。だが本人達にとっては、生きていく上で、それが精一杯の手にした真実だ。隠されている残酷な現実をはっきりとは知らされないまま、大人になる子供たち。それは、キャシーたちだけではなく、私達自身の人生の普遍を描いているような気がする。

日系の英国人作家カズオ・イシグロの名を世界的に知らしめた「日の名残り」(ブッカー賞受賞作)の深み、格調のある文体と緻密な構成力が、この作品でも活かされ、単なる奇談に終わらせない。多様な解釈の道を読者に開いている寓話、という読後感。

人は少しずつ世界を知る。そして十分に知ったつもりになる。本当は何も知らないのに。知ったからといって変えられない運命は使命として引き受ける潔さ。そういう人の生き方を問うのが、著者の意図かなとまず思ったが、まったく異なる読み方が何通りもできる小説でもある。違う読み方なら違うメッセージを読める。

読んだ人と語り合ってみたい小説である。

この作品は発表直後に雑誌「タイム」が選ぶ1923年から2005年の約80年分の作品を対象にしたオールタイムベスト100に選ばれた。ニューヨークタイムズ他で2005年度ベストブックに選ばれる。邦訳は2006年の春で、日本でもどこかで今年の年間ベストに入りそうな予感である。

ツ・イ・ラ・ク

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・ツ・イ・ラ・ク
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雑誌ダカーポの「眠れないほど面白い本」特集号で恋愛小説第一位で絶賛されていたので、姫野 カオルコ、はじめて読んでみた。いい。とても良かった。

「忘れられなかった。どんなに忘れようとしても、ずっと」

これはリアルで純粋な恋愛の話だ。14歳の少女が新任の若い教師と恋に落ちる。主人公はすこし大人びているけれど、中学生である。じゃあドラマ「高校教師」みたいかというと、違う。ひたすらに燃え上がって心中してしまうような綺麗なだけのファンタジーではない。

舞台は関西のどこか田舎の、これといって特徴のない場所。ストーリーは主人公の小学生時代から始まる。女子グループの初歩的な派閥形成と心理葛藤。好きな男子は誰かを白状させ告白するゲームと、秘密の交換日記。横浜からやってきた都会の香りの転入生。相合傘の落書き騒動。

原稿用紙950枚の長編小説だが、最初の3分の1はそんな具合で、肝心の二人の話は主人公が14歳になるまで、一向に始まらないので恋愛小説だと思って読み始めた読者はやきもきさせられるが、作者は、主人公の森本隼子が少女からオンナになるまでの形成過程をゼロから読ませたかったのだと思う。その仕掛けは成功している。

無垢ではないが、スレてもいない。細いけれど自分なりの芯を持って、現実的な捉え方をする女の子。主人公の生い立ちをなぞるうちに、自然に彼女の等身の姿に読者はなじんでいく。そんな頃合いに男性教師は赴任してくる。長い前戯としての前置き。そこから恋愛物語の本編が始まる。

エロチックで淫らな小説でもある。セックス描写そのものよりも、人目を忍んでまさぐりあうような抑制されたシーンの記述がなまめかしい。ツ・イ・ラ・クする男と女。それを取り巻く複雑な人間模様。敢えて前半を冗長に描いただけあって、登場人物に存在感があり、魅力的に感じられる小説だ。

これ以上は内容について書かない。

少年少女時代のの心理を少し突き放して、大人の視点からナナメに総括する作者の文体が、物語の進行にうまいアクセントを効かせている。所詮は若い頃の恋愛なんて、と構えて話すようでいて、帯にあるような「心とからだを揺さぶる一生に一度の恋」を書き上げているのが、うまいと思う。

安徳天皇漂海記

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・安徳天皇漂海記
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これは凄い小説だ。第19回(本年度)山本周五郎賞受賞作品。

「二位殿やがていだき奉り、「浪のしたにも都のさぶらふぞ」となぐさめたてまつって、千尋の底へぞ入給ふ」(平家物語)。1185年、壇ノ浦の戦いで敗北が確実になった平家軍の船の上から、祖母の平時子に抱かれて、8歳の安徳天皇は三種の神器とともに、海に身を投げて崩御した。

平家の滅亡から二十年の歳月が流れて、源頼朝の息子で12歳の少年、源実朝は鎌倉幕府の第三代征夷大将軍に就任していた。この物語は、安徳天皇と源実朝の二人の少年を軸にしてすすんでいく歴史ファンタジーである。第二部のマルコポーロ編では、物語は海を越え、元帝国クビライ・カーンをも巻き込んだ世界スケールへと発展していく。

諸星大二郎的な、日本神話ベースのおどろおどろしいイメージが好きな人にはたまらない作品である。歴史の波を漂う安徳天皇の魂が、同じく滅ぼされるものたちの魂と呼応して、幻想的なドラマを織り成す。

これは日本神話と平家物語と東方見聞録の壮大なリミックスといえる。深く味わうには、古事記と平家物語が予備知識としてあったほうがよいが、原典を読むのが面倒であれば、諸星大二郎の漫画「海竜祭の夜」がおすすめ。祟る神としての安徳天皇がでている。


・海竜祭の夜
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歴史系、SF系の小説が好きで、まだ読んでいないなら、強い自信を持っておすすめ。

・古事記講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003755.html

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