Books-Education: 2012年6月アーカイブ

・知の広場――図書館と自由
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司書歴30年、イタリアの有名公共図書館のリノベーションにかかわってきた著者が、21世紀の図書館のあり方について語る。インターネット時代の、高齢化の時代の図書館のあるべき姿は「屋根のある広場」。世界の図書館の意欲的な変革の事例を次々に取り上げて、旧態依然とした図書館業界に未来像を示す。成功している図書館の事例写真集が冒頭にあってイメージが湧く。素晴らしい本だった。

「私たちは、対話の場、知り合う場、情報の場をもう一度創ることができると思いますし、またそうした場を必要としています。それが、広場でありながら図書館でもある。つまり、屋根のある広場───本や映画を借りるのと同じように、友達に会いに行くということが大切に思われる場───なのです。」

インターネットにつながったパソコンがあれば多くの情報収集が自宅でできる先進国において、図書館の役割は大きな変化を求められている。インターネットでできないことは、人と人が現実に触れ合うこと。著者は「つまり、優れた運営の公共図書館は、地域のソーシャルキャピタルを豊かにする場所なのである。」と強調する。

経済不況のなかで無料のインターネット接続を提供した米国の公共図書館は、低所得者を中心に、生活補助の申請や求人へのエントリを行う場として利用者を増やし、本の貸し出し数も伸ばすことができた。本を提供する以外の目的を強化することで、本来の図書館のサービスも使われるようになった。

そして利用者同士の交流、利用者と図書館員の交流によって、豊かな人間関係をベースにした知的交流の空間が育っていく。そのためにはおしゃべりを許容する交流の場もデザインされねばならない。

「図書館は、新着映画や人種差別反対の本を増やす以上に、さまざまな人と出会う経験を通じて、自分の世界から飛び出たり、ヴァーチャルではない現実世界で人に出会ったり、世界で起こっていることを知ったり、孤独、疎外、無視と闘ったりもできるということを伝えられる。こうしたことを、他の方法、例えばネット上などで実現できるだろうか?」
若者をひきつけるには商業施設のようなカジュアルなデザインで入りやすくすることも大切だ。重厚な建築で知的静謐な従来の図書館デザインは、立地によっては利用者にとって敷居が高い。ショッピングセンターの商業施設に同化したような新しいスタイルの図書館も提案されている。イギリスのIdea Storeの写真はショッキングだ。まるでおしゃれなブティック、カフェみたいなのである。

著者は図書館員の意識改革を求めている。どうやら図書館業界の閉塞感は世界中で共有されているものらしい。

「今日でもまだ、多くの同僚たちが図書館員の主たる仕事とは、利用者と接するそれ───ほとんどの場合、専門家ではない人が配置されている───ではなく、バック・オフィスでのそれだと信じている。しかし、利用者との接触が、目録番号の記入された請求用紙を受け取り、書庫にさがしに行くことを意味する時代はだいっぶ前に終わっており、いずれにしてもそうした考えは、図書館員の活動の中心を蔵書にではなく利用者に置く「パブリック・ライブラリー」の構造とは無縁なのである。」

日本でも多くの利用者は司書と話をしたことがなく、本について質問したことがないはずだ。司書は本を選んだり、整理したりするだけの役割を脱して、もっと前面に出てその知を活かすべきだろう。それから図書館運営に図書館員以外の職業の人たちを参加させることが、世の中のニーズにこたえることにつながっていくという著者の意見にも賛成だ。

少子高齢化とデジタル化の時代に、図書館は10年以内くらいのスパンでの大変革を求められていると思う。この本はひとつの有効なビジョンを示していると感じる。

・人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか
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「1984年五輪ロサンゼルス大会から2008年北京大会まで、直近の過去七大会の競争種目男子100メートルの決勝で、スタートラインに立った56人はすべて黒人である。」

陸上競技、バスケットボール、フットボールというスポーツでは黒人の活躍が顕著である。濃い褐色の肌は強靭な肉体をイメージさせる。メディアは強い動物のイメージにたとえたりもした。

黒人は先天的に身体能力が高い?
奴隷制の試練を耐え抜いた強靭な肉体の男女から生まれているから?

黒人身体能力ステレオタイプという偏見は、世界中にあるが特に日本人に強く持たれているらしい。現実には黒人が他の人種と比較して生得的な身体能力が優れているという証拠はないし、そもそも「黒人」の定義が曖昧であり、肌が黒いからといっても遺伝学的には大きく異なる集団が混在しているそうだ。

黒人自身も自分たちの身体能力が生まれつき高いと勘違いしていることがあるのは、この問題の難しさを示している。それは音楽の能力と同じで、個の素質と環境によって伸ばされるものに過ぎないということを、多くの人が誤解している。

著者はさまざまなスポーツの歴史を丁寧にみていく。黒人の大活躍する陸上競技、バスケットボール、フットボールといった競技がある一方で、黒人が活躍しない種目もある。米国のベースボールやボクシングのように、一時は黒人選手が上位を占めたが現在はそうではなくなった種目も結構ある。

奴隷制の時代から現代まで、黒人のスポーツへの進出を時系列で追いかけることで、歴史的な経緯やいくつもの条件が重なって、黒人優位のスポーツができあがっていった様子がみえてくる。

この内容、そうだったのか!という人もいれば、やっぱりそうか!、という人もいるだろう。どちらにせよ、いまだに広く持たれている偏見と差別に真正面から一石を投じる内容。面白い。

オリンピック前に呼んでおきたい一冊。教科書でちゃんと教えてもよいのかも。