Books-Education: 2011年11月アーカイブ

・高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院
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ひたすら"無職博士問題"を世に訴え続ける僧侶で博士の水月昭道氏の本。2007年にベストセラーとなった本書だが、いまだによく話題になるので、読んでみた。

大学院博士課程を修了した人の就職率は約50%。この20年で大学院生は7万人から26万人と約4倍に増え、博士とその予備軍が毎年5千人、その出口からでてくる。しかし、大学にも企業にも博士を迎える就職口は少ない。せっかく頑張って博士になったのに、路頭に迷ってしまうケースが増えているという。

なんだかんだいっても高学歴で恵まれた人たちの話じゃないかと片付けるには状況が厳しいようだ。なんと博士課程修了者の11.45%が"死亡・不詳の者"になっている。人文・社会科学系では19%にもなるという。(日本の自殺率は0.03%程度)。10人に1人が自殺したり行方不明になっているのだ。

博士が就職できないと社会的コストも無駄になる。ポスドク1人育てるのに1億円の税金がかかるという試算が示されているが、社会にとっても宝の持ち腐れ状態になっている。就職できない個人の問題ではなくて、国の大学院重点化政策がつくりだした構造的問題だ、どうにかしなければならないというのが著者の主張である。

アメリカでは博士は専門家として大学以外の公的機関や企業へ就職する道が開けているという。社会に出た後で、時間とお金に余裕ができると博士を取得しにいく人も多い。日本の博士課程は、フルタイムの教員か研究職になる以外の道が狭い。入学時にそれ以外の見通しが与えられていないから、学生側も人生設計をたてにくいのだろう。

「博士号は、大学院で学んだ若者が専任教員の口を得るためのキャリアパスとしての位置づけから、市民社会における豊かさを個々の市民が実現していくことを間接的に助けうるものとして、その姿を変化させていく過渡期に現在があるのかもしれない。」と著者は書いている。少子高齢化の時代、人生を豊かにするための学びの場、生涯教育としての大学院は、学生にとっても大学にとっても、たいへん魅力的だ。学問分野にもよるが、博士の社会的な位置づけを変えていくことが重要か。

それからどうせ不安定な雇用ならば、ベンチャーとのマッチングもよさそう。シリコンバレーのITベンチャーでは、チーフサイエンティストなどの役職で、理系の博士人材が活躍している。以前米YAHOO!やGoogleを見学しに行ったら、説明に出てくる人が、情報系の博士で元○○大の先生だったという人が珍しくなかった。日本のベンチャーでは専門を活かした博士人材の登用が非常に少ないように思う。

企業側が博士を受け入れるための研究職をわざわざ作るというのは難しい。博士の側が、専門性を応用すると具体的に何ができるかや、研究活動における能力の高さ(情報収集や分析、プログラミングなど)を、企業の側にもっとアピールする必要があると思う。