Books-Education: 2009年2月アーカイブ
・ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
読書とテレビゲームではどちらが頭をつかうだろうか、タメになるだろうか?。
ずばりゲームであるという本である。
著者は過去30年間に映画や音楽、テレビやゲームなどのポピュラー文化の中身が複雑になり知的な要求度が高まったと分析し、その傾向を「スリーパー曲線」と名づけた。視聴者はテレビやゲームをするとき、平坦な読書体験よりも遙かに頭や五感をフルに働かせているという。
たとえば70年代のテレビ番組と現在のテレビ番組を比べると内容の複雑さや展開スピードの速さが段違いだ。マルチスレッド(複数のストーリーが並行して進む)、点滅矢印(わかりにくいヒント)、社会的ネットワーク(錯綜する人物相関図)といった点で最近の人気ドラマのスリーパー曲線を検証している。
ネットやゲームにはまると人間関係がおろそかになるというのも俗説に過ぎない。なぜならネットでもゲームでも実際に人気なのはコミュニティであり、ネットワーキングだからだ。
「でも実は、過去数年間でウェブで最ももてはやされてきた展開は、ほとんどすべてが社会的交流を増大させるツールだった:出会い系サイト、フレンドスターなどの社会的ネットワークサイトおよびビジネスネットアークサイト、2004年に選挙運動で政治組織の中核をなしたミートアップなどブロガー同士の会話増加を目的としたツールが多く作られた。」
私はゲームが大好きなのだが、特にロールプレイングゲームは私達の世代以降の日本人の人生観に大きな影響を与えていると思う。それはレベルと経験値によるドラクエ的人生観を植え付けたという意味で、だ。経験値を溜めていけば技能が着実に身について、いつか強い敵を倒すことができるという人生モデルを、スクエニは数百万人の若者の脳にインストールしてしまった。単純であるが結構まともな考え方だよなあと思う。
本書によると「ゲームをやる人のほうが、一貫して社会性が高く、自信があり、問題を独創的に解決することをためらわなかった」という研究結果もあるそうだ。ゲームも捨てたものではない。
ゲームが非行暴力を助長しているという一般論にもデータをあげて反論している。実際に数字の上では1992年から2002年の10年間でアメリカにおける暴力犯罪は半減している。そして学生のIQが全般的に向上している。教育的な背景を反映しない技能の向上(おもに流動知性)が目立つ。知能の中位から低位の範囲で向上が顕著である。あれれ、みんなゲームやネットの時代に、それにどっぷり浸かりながら、賢くなっているのである。
「ぼくの主張は、何が本当に認知的なジャンクフードで、何が本当にためになるものか、というのを見極める基準を変えるべきだということだ。番組の暴力や扇動性を心配したり、服装の乱れやfuckなどの言葉尻を心配するよりも、問題はその番組が頭を使わせるか、それとも考えさせないかということであるべきだ。」
ゲームやネットを悪者にする人たちに反撃する論拠が満載の痛快な本である。
来日35年の外国人タレント ピーター・バラカンが書いた日本人のための英語発音ルールの本。Moneyはマニ、Monkeyはマンキ、McDonaldはムクドヌルドと発音しないと英米人に通用しませんよという。カタカナ語に対応する正しい発音方法を、発音記号とカタカナで教えてくれる。
・NHK出版|猿はマンキ お金はマニ 日本人のための英語発音ルール
http://www.nhk-book.co.jp/gogaku/monkey/
私たち日本人は英単語をカタカナにすることで柔軟に母語に取り込んでいる。だがカタカナ発音=英語発音というわけではない。著者は日本に来る前、ロンドン大学の日本語学科に通っていた。カタカナを学ぶ時間に「Oxford」をカタカナで書けという問題がでたそうだ。
「ぼくは躊躇せずにカタカナで「オクスフッド」と書きましたが、返ってきた解答用紙には×がついていました。なぜ不正解なのか、まったく理解できなかったので先生に尋ねると、正解は「オックスフォード」だと言うのです。」
英語では-fordで終わる地名や人名はすべてフッドと発音するものなのに、日本語のカタカナ表記はおかしいという。さらにStanfordはスタンフッド、Cambridgeはケインブリッジュ、Berkeleyはブークリが正しいという。カタカナ発音のおかしさを半分日本人のような著者が日本人の心情も理解した上で指摘していく。発音のそこがよくわからなかったんだよという例が続出だった。
英語では後ろから二つめの音節を強調することが多い
-ageで終わる単語の多くの発音は〔-ij〕
最後のgはほとんど発音しないでよい
最後に来るoはオでなくオウ
などの一般法則も多数紹介される。
実は著者はこの本を執筆する際にカタカナで発音を表記するのはやめようと考えていたそうだ。日本語と英語では発音体系が異なるので、安易に英語の発音とカタカナを対応させるのはよくない。だが発音記号だけではどうにもわかりにくいので、本文では敢えてカタカナ(アクセントを太字)との併用で書くことにしたそうである。本来は深くて正しい理解を推奨している。
本を読んでいて、とにかく気になったのは自分が実際に使う機会のあるIT業界用語である。この本に収録された数百の単語から私がよく使うものを抜き書きしてみた。
シリコンバレーは シリクン・ヴァリ
イメージは イミジュ
メッセージは メシジュ、
コミュニケーションは クミューニケイシュン
メディアは ミーディア
デジタルは ディジトゥ
ソリューションは スルーシュン
エキスポは エクスポウ
イグジットは エクシト
コンテンツは コンテント(単数)
そうそうこういうリストが欲しかったのだ。英語と同じと思って安心して使ったカタカナ語がネイティブには逆に通じにくかったりするものだ。上の対応表記を見てネイティブの発音を思い出すと、自分でも本物の英語っぽい発音ができる気がする。付け焼き刃的だが、発音を手っ取り早くよくする一夜漬け本として、効果のある本だと思う。出張前に効く。
とはいえ、日本人同士の会話で本物っぽい発音は気をつけないといけない。特に仕事ができない新卒社員が「ディジトゥ・ミーディアのメシジュクミューニケイシュンが...」なんてやっていたら、先輩から軽く張り倒されるかもしれないわけであるから気をつけてほしいものである。
タイトルをみて興味本位な格差問題の本かなあと思ったら、まったく違う内容で驚いた。熱血教師の体当たりドキュメンタリとして面白い本なのである。
著者は1969年生まれ。大学在学時にプロボクサーになるが怪我で挫折。週刊誌の記者を経てフリーライターになり96年に渡米。ネヴァダ州立大学でジャーナリズムを学んだ後、米国の著名なスポーツ選手にインタビューを重ねてドキュメンタリ書籍を出したという経歴の人物。バイタリティたっぷり。
大学の恩師の依頼で、著者は米国の高校で代理教員の仕事を引き受ける。着任先は市内で最も学力の低い学生が集まる最底辺校。進学率は1%に満たず、あまりの学生の質の低さに教員が次々に去っていく学校なのであった。科目は「日本文化」。
赴任第一日目。初回の授業では日本とアメリカの関係を説明する30分間のビデオ教材をみせることにした。だがそこには、ビデオを見るだけの授業もままならない学級崩壊の現実が待っていた。
「トイレに行きたい」と数人が立ち上がる。ポケットからMP3プレイヤーを取り出して聴き始める者、名にも告げずに教室から出て行く者、眠り出す者、クラスメイトの髪を熱心に梳かし始める女子学生、ハッキーサック(小さな布の弾を地面に落とさないように蹴りあう遊び)に夢中になり出す男子5人、UNOを机の上に並べる女子3名......と目を疑う光景が広がっていった。子供たちの倫理観は、私の予想を遙かに超えていた。」
元プロボクサーとして戦い、フリーランスとして世間と戦い、有色人種マイノリティとして米国社会の差別と戦ってきた闘魂に燃える著者は、そんな荒んだクラスを前にしても決して諦めなかった。日本と違って体罰は許されず、少しでも生徒に手を出せば教師が刑務所行きになる社会だ。熱血先生はまず殴りたい気持ちをぐっとこらえた。そして日本文化の授業を通して、クラスを再建し、ひとりで生きていける力を生徒に学ばせようと決意する。
ほとんどの生徒は貧困や家庭崩壊、差別という劣悪な環境に育っていた。著者は自身の学歴や、使い捨てライターとしていいように使われてきた過去と重ね合わせて、自分がお手本になってやろうと考える。「きっと使い捨てにされる者にしかできない授業があるに違いない。人種の壁に直面しながら教壇に立つサンプルを見せることこそ、真の教育ではないか」。
熱血先生の渾身の授業は生徒の心を開いていく。一進一退であるものの少しずつ心の距離は縮まっていく。だが、ほのかに希望がみえた頃には悲しい諸事情によって授業も終わりが近づいていた。先生は最後に「日本文化」よりも大切な「生き方」を生徒に教えてやろうと考える。
教員免許も持たない米国在住のフリーライターが、学級崩壊したクラスの立て直しにチャレンジするドラマが読み物として面白い。その過程を通してアメリカの下層教育現場の実態が垣間見える。ここで描かれたのは2つの学校で、共に短期間の経験であるために、米国の教育全体がこうした問題を抱えているのかはわからない。だが、日本よりひどい状況があるのは確かのように思える。
(日本は)「ただ米国とは貧しさの度合いが違うため、子供が働かなくても何とかなる。日本で話題となっている引きこもりや、成人のニート現象は、「平和ボケ」の典型と呼べるものであろう。アメリカの貧困家庭には、引きこもる部屋も、ベッドも、そして満足な食糧も無いのである。」
日本にはなかなか伝わってこないアメリカの貧困社会の様子がわかりやすく読める良い本だ。続編があっても良いなあ。
・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html
・ルート66をゆく アメリカの「保守を訪ねて」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004412.html
・エンジェルス・イン・アメリカ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004715.html
・アメリカ 最強のエリート教育
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002864.html
・現代アメリカのキーワード
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-464.html