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日本のメーカーの人たちはこれを読んで何を思うだろうか?。
『フリー』『ロングテール』のクリス・アンダーソンが書いた次世代のトレンドは21世紀のメーカー革命。コンピュータと3Dプリンターによって製造手段が民主化し、クリエイティブな人々が、これまで大企業でなければ生産できなかったような"モノ"をつくり始めると予言する。
「有能な少数の人々がインターネット接続とアイデアだけで世界を変えるというイメージは、製造業にも当てはまるようになってきた。」
ネットによって需要のロングテールが実現された次は、供給のロングテールへと向かうという点で著者のビジョンは前著からちゃんとつながっている。
「これまでの10年は、ウェブ上で創作し、協力する方法を発見した時代。これからの10年は、その教訓をリアルワールドに当てはめる時代。」
製造手段を支配するものが権力を持つ時代が終わったという。本書に紹介される3Dプリンターやソフトウェアを使えば、数十万円程度の予算で、自分が思い描く家電や家具、さまざまなガジェットを製造してネットで販売できてしまう。
そして数百万人というマスマーケットではなく、目の肥えた数千人のニッチ市場に提供される製品が工業経済を根本から変えていく。ビット経済よりもアトム経済のほうがはるかに大きい(アメリカではビット経済が20%くらい)。ソフトウェアと情報産業の雇用は人口のほんの数パーセントに過ぎない。デジタル革命に続くこのメイカーズの革命が起きるならば、世界の経済へのインパクトはとてつもなく大きい。もちろんこれまでの製造業者は考え方を変えなければならない。
「本当のウェブ革命は、豊富な品ぞろえから品物が選べるようになったことではなく、僕たちが自分のためにものを製造し、それをほかの人たちにも利用できるようになったことにある」
テクノロジーの進歩によって、私たちが制作可能になるのはモノだけではない。ナノとバイオの技術によって、臓器や器官、生物までをも創造できるようになるかもしれないという。
設計図を入れてボタンを押せば万物を生み出す"レプリケーター"のビジョンはミチオ・カクの『2100年の科学ライフ』にも出てきた。この分野は進歩が激しいみたいだ。
2100年の科学ライフ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/11/2100.html
もちろんマスプロダクションの世界が消えるとは思えない。私たちは多様だけれども共通する部分だってとても大きい。大量生産で低価格の生産ニーズは相変わらず大きいはずだと思う。だから、すべてがロングテールでパブリックでフリーにシェアされる、わけではないのと同様、すべてがメイカーズにはならないと思うが、他の著作と同様にグローバルのベクトルを今回もわかりやすく語っている。クリス・アンダーソン、すごい人だなと改めて思った。
kindleで読書。
ITベンチャーのインキュベーター MOVIDA JAPAN株式会社のCEO孫泰蔵氏監修、2010年代の新しいスタイルによる起業のすすめ。MOVIDAの経営陣(実はそのうちのひとりでかつての一緒に起業したこともある伊藤健吾氏から献本頂きました)や、支援を受けたスタートアップ起業家たち、国内のVC関係者たちへのインタビューと寄稿を中心に、シリコンバレーの最新事情から国内スタートアップの現状とアドバイスなど情報が盛りだくさんの内容。シリコンバレー事情は、起業十数年目の私にとっても面白い情報だった。
まずIT系ビジネスの起業コストは10年間で20分の1~100分の1にまで下がっている、という分析がある。「10年前のドットコムバブルの投資のほとんどは、膨大なサーバー投資、ソフト制作人件費、販売促進費などに消えていったんですね。」
それがこの10年間で、
膨大なサーバー投資 → 安価なクラウドサービスの登場
膨大なソフト制作人件費 → 高度なオープンソースソフトウェアの登場
膨大な販売促進費 → ソーシャルメディアの発達
といった大きな変化によって起業のハードルが下がってきた。
だから、MOVIDA JAPANのスタートアップへの投資の基本金額は500万円だ。これは数人の若者が6か月懸命に働いて1つのプロダクト、サービスを作り上げて市場に投入するまでのスタートアップのコストを500万円と見積もっているからだ。
「出資に関しては株式による出資ではなく、日本版のConvertible Noteである新株予約権付転換社債で行っています。これは我々の出資時点でValuationを決定せず、次の投資家が出資するときまでつなぎ融資をしているイメージです。次の出資が決まれば株式に転換することになっています。起業家の株式希薄化のスピードを緩めたり、我々投資家側のダウンサイドのプロテクションにもなっています。」(MOVIDA JAPAN伊藤健吾氏)
才能ある若者たちに数人でのバンド感覚の起業をすすめている。業界で経験を積んでから満を持して覚悟の起業という古いスタイルとは違う。バックパッカーのような新しい感性の新しい起業家たちが、この本にはケースとして何人も登場している。彼らは起業プロセス自体にはまったく悩まず、いきなり面白いサービスつくりに集中している。この新しい起業家のプールから新しい何かが生まれてくるかもしれない。
本書に登場するDCMパートナーの伊佐山氏いわく、成功する起業家の条件はメガロマニア(誇大妄想癖)、パラノイア(強烈な偏執癖)、ヒュメイン(人間味)の3つを備えた人。カジュアルに起業できる時代といっても、根源的な部分で莫大なエネルギー量を持った人間でなければ経営者として成功することはないだろう。そういうちょっとヘンで、かなりあつくるしく、しかしどこか気になる顔たちが見える一冊だった。若手起業家予備軍におすすめ。
英『エコノミスト』誌が予測する2050年の世界。科学、政治、人口、経済、女性、などの20の分野で、各分野に詳しいジャーナリストが予測を行った。戦後の日本の高度経済成長を言い当てた同誌によると、。「2050年の日本のGNPは韓国の半分になる」「2050年の日本の平均年齢は52.7歳。アメリカのそれは40歳」。ちょっと暗いな。
20分野の予測。各分野のは詳細については専門家から異論も出そうな記述も多いのだが、これだけの多くの分野の予測を総合して、ひとつの未来像にしている点が素晴らしいと思う。
視点をもって読むといろいろとデータやヒントが手に入る本だ。ビジネス机において何度も読み返して使えそう。
私はこの本を、ちょうど仕事で調べていた雇用や労働というテーマを軸に読んでいたのだが、こんな最新情報や未来予測がみつかった。
"契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、会社の形態もより複雑化することになる。"
"様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が偏在するようになり、労働者の勤務はグローバル化によってより過酷化する"
"フリーランスの人々は、技能と知識を更新し続ける手段として、ローリンク(弁護士)、セルモ(医師)、ニュードクス(歯科医)、エイチネット(社会科学者)など、"ネット上の協会"を設立し始めている。フリーランスの人々に行き場を提供するため、オフィス施設─サンドボックススイーツやシチズンスペースなど、さまざまな呼び名が付いた拠点─の建設を始めた起業家もいる。"
"距離が意味をなさなくなったことを利用し、各地域、各文化圏の労働力、技術力の特長を生かした国際分業はやりやすくなった。そのぶん、どこで何をする、という位置が重要になってきた。開発の得意なシリコンバレー、スペックをもとにプログラミングをするのが得意なインドのバンガロール、厳格な運用システムを創ることが得意なドイツ、といった具合である。"
こうした記述をつないでいくと、次世代のワークスタイルってどんなだろうとか、それに対する市場やソリューションはどんなものが出てくるだろうとイメージがわいてくる。
アパホテルと言えば、緑色の帽子のようなものを被ったヘンな女社長の広告が印象的である。一体全体あの女社長とアパホテル、アパグループとは何者なのか、が漫画でよくわかる。キャラクターの顔は本物とぜんぜん似ていないが(笑)。
あの女社長はアパホテル社長元谷 芙美子という人。夫は不動産開発ベンチャーアパグループの創業者でCEOの元谷 外志雄氏。夫婦が二人三脚で会社を大きくしていった歴史が30分くらいで読み切れる漫画になっている。
不動産ビジネスで逆張りの発想と幸運でバブル崩壊をうまく乗り切り成長を続けたグループ。21世紀に入ってからも幕張プリンスを買収してアパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>にしてしまったのは驚いた。2010年代も順調に拡大を続けていて最近は都内に毎月1店舗ペースで拡大しているらしい。
このまんがで学ぶ 成功企業の仕事術シリーズはかなり企業宣伝色を感じなくもないが、各企業の歴史(その企業がアピールしたいことに限定されそうだが)が短時間でよくわかる。内容的にはソフトバンク孫社長編も面白かった。
・商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道
商店街は歴史的には新しい存在なのだそうだ。20世紀初頭の都市化、近代化の流れで農村を出た多くの若者たちは、町に出て被雇用者となるか、零細規模の小売商店主となった。ほとんどの商店街は昭和の発足なのだ。中世に発祥を持つというのは俗説であり、その歴史の浅さゆえに弱点があったという。
疑似血縁組織のイエをベースとしたかつての伝統的な商家と違って、商店街の家業は近代家族制度をベースとした。家族という閉じたなかで事業が行われたために、跡継ぎがいないと、1,2世代で終わってしまうのが宿命だったのだ。
当初の商店街の理念とは、
1 百貨店における近代的な消費空間と娯楽性
2 協同組合における協同主義
3 公設市場における小売の公共性
で、規模を拡大することで資本力と専門性を高める戦略であった。これは数十年間はうまく機能した。だが、スーパーマーケットやショッピングモール、そしてコンビニの登場により消費空間としての魅力が低下したこと、世代交代不能による事業継続問題が続出したことで、いまや各地で存続の危機に陥っている。
近代家族制度と日本型政治システムが商店街という独特の商業形態、消費空間を生み出したというもので、著者はその弱さを指摘すると同時に、「地域社会の消費空間は、けっして経済的合理性だけで判断されるべきものではない。」。古き良き価値を残すためにはどのような政策が求められているかを提案する。
商店街というものが法人格を持っているとか、どんなふうに運営されているかといった基本的な事柄を私は知らなかったので、とても勉強になる本だった。ちょうど私が住んでいる藤沢に、全国でも稀な商店街の新規設立があって、地域の話題になっている。若い人中心で新しい商店街の可能性を探るという面白そうな試みだがこういう分析の本の知見を踏まえて長く続くものになってほしいなあ。
逆風の中で新商店街、藤沢駅近くに若手経営者ら設立へ/神奈川
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120506-00000016-kana-l14
「県内の商店街は、1990年の1048団体をピークに、現在は約700団体まで減少。近接地に大規模商業施設ができたり、後継者不足などで閉店が相次ぎ、商店街の維持が難しくなるケースが多い。商店街の新規登録は年に数件で、それも既存組織が体制を見直す場合などが大半という。」
・三菱総研の総合未来読本 Phronesis『フロネシス』〈06〉消費のニューノーマル
三菱総研総合未来読本シリーズ6冊目。三菱総研オリジナルの3万人によるアンケート結果から新しい消費のトレンドを浮かび上がらせる。新市場のヒントがみつかる。
たとえば昔は女性の生き方というと、「専業主婦」、「OL」、「キャリアウーマン」の3種類だったが、現在はライフコースが多様化し、「コンサバ若年層」「ワーキングマザー」「らしさレス夫婦」「シングル女子」「スーパーウーマン」という種族が生まれたという。男性のライフコースは結婚しようがしまいが似たパターンに収束するが、女性の場合、結婚、出産、子育て、それに伴う退職、再就職と、選択パターンが複雑になるためライフコースが多様化するのだ。
だからサザエさんみたいな専業主婦や、バリバリ働くキャリアウーマンというステレオタイプにマーケティングしていてはだめで、新たな消費のニューノーマルを見出さないといけないというのが、今回のテーマだ。
3.11前夜に行われたという同志社大学浜 矩子教授と三菱総研の阿部淳一センター長の対談が面白かった。ニューノーマルにとっての豊かさと創造性の関係についてこんなやりとりがあった。
「
阿部 豊かさというのは、どれだけ選択肢があるのかということに尽きると思いますが、だんだん選択肢が少なくなっている気がしますね
浜 選択肢が少なくなるということは、選択するという知的活動がなくなるわけですから、奇抜なものや刺激的なもの面白いものを作る能力が退化してしまう。日本はガラパゴス化しているから駄目だといわれました。ガラパゴス自体はいいと思うんです。共通の価値尺度に振り回されることなく、純粋にその世界のなかで進化を遂げていく。とてもユニークで面白さがあります。大切なのはいかに巧みにガラパゴス化を進めるかです。なるべくほかの人がやっていることは見ない。一般的な解答がどこにあるのか、見極めようとしすぎると独自の発想が出てきません。何もない状態から考えることが必要なんです。」
検索したら情報がいくらでも見えてしまう時代に、どうやって自分のガラパゴス環境をつくるか。これは社会人も大学生も考えないといけないテーマだと思う。似たり寄ったりの学生時代、似たり寄ったりの社会人生活。そこにはあまり選択肢もないから、豊かさもない。
中途半端な環境ではネットにつながればすぐにみんな均質化してしまう。ガラパゴス環境は、誰かに弟子入りして厳しい環境で修行するとか、どこか閉鎖環境に閉じこもるとか、制約や孤立化に身を置いてみるということが有効なのではないかと思った。
初代帝国ホテル社長の息子で、自身も社長となった犬丸一郎氏。上流階級のサラブレッドぶりがすごい。
永田町や田園調布の自宅から慶応幼稚舎から慶応大学まで通い、大学ではハワイアンバンドに夢中になる。プロを目指すが才能に見切りをつけて父の勧めで帝国ホテルへ入社する。すぐに海外留学が決定。戦後の海外渡航が難しい時期だったが宿泊客の米軍少将の口利きで、米国の大学へ進む。昼はサンフランシスコ市立大のホテル・レストラン学科で学び、夜は一流ホテルで接客やサービスを学ぶが、すぐに父の手配でコーネル大学へ編入、1年間会計学や建築学を学ぶ。
帰国時には「帰国前に欧州を回って来い。客船は一等で大西洋航路の一等先客への食事、サービスをよく見てこい。」と父の指示。欧州の一流ホテルを泊まり歩いて、日本出発から2年9か月の遊学から戻り再び帝国ホテルへ。
人生の重要な場面で重要な場面で「イヌマルか、以前、日本に行った時、お父さんにとても世話になったことがある」という言葉がでてきてとんとん拍子で進んでしまう。白洲次郎にジェントルを学び、各国VIPやハリウッドスターと交流する。社長時代は次々に海外政府や日本政府から勲章をもらう。服はイタリアでそろえるのがいいんだと店の名前も楽しそうに教えてくれる。育ちが良いせいで、ハイソな生活ぶりをこれでもかとばかりに披露しても、嫌味に聞こえない。本物の上流階級なのだ。
本人の弁だけ聞いていると、なんとも苦労知らずで幸運なボンボンのように思えてしまう内容だが、実はこの人、かなりすごい人なんじゃないかという気もする。
上流階級向けの一流のサービスを提供するためには、自らがそういう立場でなければわからない。父親が英才教育としてリッチな遊学をさせたのは当然だ。その成果は後年、バイキングやランドリーサービスの充実施策など、帝国ホテルの"さすが"をいくつもつくりだして実を結んでいる。若いころに遊んでいるようでいて実は相当学んでいたのだ。
それに最後は社長や顧問となった50年間の帝国ホテル生活の間、帝国ホテルの経営は安定していたわけではない。昭和の大政商小佐野賢二氏に株を買われて経営に乗り込まれていた時期もあったし、著者が社長就任時に同社は235億円の負債を抱えていた。今日の復活に至るには、経営者として相当の苦悩や内外での駆け引きがあったはずだ。単に苦労した話はかかないという流儀なのかもしれない。
哲学が何か所かで披露される。たとえば「お客様と自分の間に、いつも一本の棒を置いて考えるようにしなさい。その棒を越えてはいけません。」。どんなに親しくなっても、お客様との馴れ合いになってはいけない。それがサービスの真髄だという。
「金の貸し借りはしない」。貸すならあげてしまいなさい。ややこしい人間関係をつくるなということのようだが、これはまあお金持ちだからできることか。そして「プライベートで仕事の話はしない」。それが紳士・淑女なのだ、と。
・帝国ホテルの不思議
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/12/post-1356.html
・帝国ホテル 伝統のおもてなし
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004861.html
電通ギャルラボの現代ギャルトレンドの研究レポート。アンケートによると、7割の女子が「ギャルマインド」を隠し持っている。特に、見た目はギャルではないのにギャルマインドを持つ女子を「パギャル(半端なギャル)」と名づけて注目して、そのライフスタイルや消費行動についてのディスカッション。
電通の「ギャル」の定義は「いつの時代にもいるパワフルでファッショントレンドのど真ん中にいる女の子たち」。人間に限らず生殖適齢期の異性は、進化のカギなわけだから、ギャルが人間社会において強い影響力を持つことは確かだろう。
ギャルマインドは心(ラブ)、技(デコ)、体(ガッツ)からなるという。共感性が高く、キラキラ・デコデコ・モコモコが大好きで、飲み会、カラオケ、祭りが大好き。都心より地元、安くてかわいいものが好き、一人牛丼OK、泣ける歌が好き、温かい家庭に憧れる、「ポップティーン」「JELLY」のようなギャル雑誌をよく読むというような、指向と行動パターンがあるらしい。
西野カナ、加藤ミリヤ、JUJUが歌う泣き歌(ギャル演歌)のテーマは「報われない恋」や「待つ女」だ。最新トレンドであるはずのパギャルだが、よくみていくとどことなく昭和の香りもする。内面的にはヤンキー文化論の層が近いのではないかとも思った。
新しい消費動向を読み解くインタビューが面白かった。たとえばパギャルで人気のプリクラの話題。彼女たちは撮影後に「ブログがあるから、データがあればいい」といって、データだけ携帯で受信して、肝心のシールは放置する。そしてその写真を公開するブログには友達オンリーのカギがかかっているが、理由は「ブログにパスワードをかけるのは「隠しているつもりはなく、登録者を増やしたいから」。パギャルたちは独自のソーシャルネットワークのレイヤーをつくっているのだ。
厳密な統計データにもとづく研究というよりは、電通社内でのディスカッションをのぞき見るような軽めの内容だが、オジサンたちが「今日盛れてるね。アゲぽよ~」なギャルを知るための、よいきっかけになりそうな内容。
世界最強の組織の裏側を外国人ジャーナリストが暴く。第23回アジア・太平洋賞大賞受賞、英エコノミスト、フィナンシャルタイムズのブック・オブ・ザ・イヤー受賞作。
中国共産党は2009年半ばの党員数7500万人(国民の12人に1人)。世界最大の人口と多くの問題を抱えながらも、共産党が導く中国は、短期間に著しい経済成長と近代化を実現してきた。間違いなく世界最強の組織だ。だがその内側のことはほとんど世界に知られていない。著者は共産党や大企業幹部への取材活動を通して、現代の共産党の実態を明らかにしていく。
「わずか一世代のあいだに党のエリート層は、陰気な人民服を着た残忍なイデオロギー集団から、スーツを着た、企業を支援する金持ち階級へと変身した。それとともに彼らは自分たちの国を変容させ、世界をも作り変えようとしている。今日の中国共産党は、グローバリゼーションの道を邁進することに専念し、それによって経済効率と収益率を高め、政治的影響力をより強固なものにしようとしている。」
中国共産党は何かに登録された組織ではない。憲法前文にある「共産党の指導のもと」という一文以外に、共産党を組織として存在させる法律や登録は存在していない。だから誰も正式には党を訴えることはできない。法体系の外にある超法規的存在なのだそうだ。その力はあまりに強大だ。
「すべての国有大企業では通常、役員会に先だって党会議が開かれます。経営コスト、資本拠出義務などについては役員会で討議されますが、役員人事を握るのは党です。」
共産党の幹部たちは党の要職とともに大企業の役員も歴任していく。党は企業人事に関与していないというフィクションを作り上げるため、表向きの発表は普通の企業の役員交代であるが、実質は党内の人事異動に過ぎないのだという。
中東では民主革命を実現させたソーシャルメディアや検索エンジンでさえ、中国共産党は支配のツールとして活用している。中央権力を強化するために、地方の政治的腐敗や過剰投資を敢えてブロガーに暴かせ、粛清していくのだ。
「ゴマ粒官僚たちを従わせるためには、最新のツールも巧みに利用されている。国内のジャーナリストやブロガーが地方の役人による権力の乱用を暴露することを許したのだ。もちろん、中央政府の最高幹部はその対象に入っていない。中国で言うところの「人肉検索エンジン」によって、地方の役人たちが次々に失脚させられたのは2009年のことだった。」
中国共産党の目指すのは「経済成長」と「ナショナリズムの再興」。経済成長の成功によって自信を取り戻した中国は、もはや西欧型の民主国家+市場経済を見習おうとしているわけではないと著者は結論している。経済大国となりつつある中国は社会主義国家でさえない。まったくユニークな中国共産党の独裁国家なのだ。
TVチャンピオン優勝者で回転寿司評論家が書いた回転寿司屋の経営実態。経営の合理化の典型的な成功例がみえて楽しいニッチなテーマの経営書だ。お客が回転寿司ではどう振る舞うのがお得かわかる内容もあって経営者でなくても楽しめる。
原価率30%以下が一般的な飲食業界にあって、回転寿司は原価率が40%~50%が当たり前の世界。人件費や管理コストをシステム面でのハイテク化、IT化によって徹底的に合理化して、競合店が熾烈な競争を繰り広げている。
たとえば、ここで紹介されていたあきんどスシローの導入した「開店すし総合管理システム」は、
「皿の裏側にICチップを付け、単品管理を行うと共にリアルタイムの売れ筋状況を把握することで、いま流すべきネタをコンピュータが指示するという画期的なシステムである。客の性別、年代などを来店時に打ち込み、さらに滞在時間により来店したばかり、30分経過、帰る間際等に分類し、どの寿司をどれくらい流せばいいのかをPOSデータをもとにコンピュータ制御するわけだ。三人連れの親子が40分以上滞在している場所にたくさんの寿司を流しても食材ロスになる確率が高くなるし、子供が多ければ、子供が好きな寿司やデザートを流すなどの調整ができる。」
なんていう内容。回転寿司が職人の勘や技に頼っていた時代はとっくに終わっている。そしてこうして絞ったコストを食材の調達に使う。いま回転寿司業界は大手100円寿司チェーンと、高価格グルメ系回転寿司店が二分しているそうだが、後者では銀座の高級店より鮮度の良い美味な魚を味わうことができることもある、という。
三貫盛りはお得、メバチマグロはおいしい、「当店の人気ベスト3」は主に店が売りたい高利益商品、全国ご当地回転寿司など、お客にとっても有益な情報も満載。
国際的なマーケティングコミュニケーション企業のヤング&ビルカムが、17年間で120万人以上を対象に継続実施してきた「ブランド・アセット・バリェエーター」(BAV)という調査がある。50カ国4万を超えるブランドイメージについて四半期ごとの購買・消費者意識アンケートを行うものだ。
著者はBAVの分析もとに、リーマンショック後の、世界の消費者心理と購買行動に大きな変化があったと結論する。危機を乗り越えた消費者たちは、まるで御札が投票用紙であるかのように、絆や夢や未来のために、消費活動を行うようになった。社会をよくするための選択としての消費へのシフト。それが本書のタイトル「スペンドシフト」だ。
この本で紹介されるデータ的には「富裕層向け」「お高くとまった」「感性に訴える」「大胆な」「トレンディ」だったかつての人気ブランドへの評価が下降して、代わりに「親切で思いやりのある」「親しみのある」「高品質の」「社会的責任のある」「リーダー」といったイメージを持つブランドが高く評価されている。
物質主義から精神性や社会性の追求がはじまった。消費者の価値観は「不屈の精神」「発明・工夫」「しなやかな生き方」「協力型消費」「モノ重視から実質重視へ」。じっくり考えるソクラテス流の消費の時代。自分の理念に合うかどうかを基準にしてブランドを選ぶ時代。さまざまな調査の数字がそうした新しい時代精神を示している。
クチコミによる評判を重んじ、良き企業市民であること、地域社会や従業員を大切にする企業が愛される。コミュニティづくりと親和性の高いブランドは主要指標のすべてにおいて他のブランドを上回っている。ソーシャルメディアが「顔の見える」企業をつくるための有効なツールになる。
「次の選挙を待つまでもなく、消費が新しい傾向を示す背景には価値観の変化があるとわかるはずだ。アメリカは借金による消費やモノの過剰と決別して、節約と投資へと向かっている。わが国のGDP(国内総生産)の三分の二は消費支出によって支えられている。つまり、消費の風向きは、文化と経済の両方に変化を及ぼしているのだ。わたしたちは、消費しない社会に向かっているわけではなく、消費のもたらす変化をとおして社会をよい方向へ導こうとしている。」
ここに取り上げられるデータは欧米のものが多いのだが、日本でも3.11以降、コミュニティ、絆、未来の共創が大きなテーマとなった。2011年がスペンドシフト元年と言っていいかもしれない。
消費者が何を買うか、何を買わないかで、社会を変えていく。マーケティングの役割が大きく変わるということでもある。視野を広く、志を高く持たないと、マーケッターという仕事はつとまらない時代になった。
統計の失敗やウソを暴くのではなく、統計が正しく使われた成功事例を10のエピソードで解説する。統計学の成果を現実の社会に応用するには、難しい計算ができるだけではまったく不十分で、その数字が人間にもたらす心理効果や、実際の経済効果をよく考えなければならないということがよくわかる本。
最初のエピソードはディズニーランドのファストパスは統計学の成功例だ。ファストパス発券によってアトラクションの待ち行列が短くなるわけではない。しかしファストパスにより「ディズニーのテーマパークでアトラクションを待つ行列は年々長くなっているにもかかわらず、出口調査によるとゲストの満足度は上昇し続けている。」そうである。
ファストパスの役割は待ち時間を短くすることではなかった。パスがあっても、アトラクションの収容能力は変わらないからだ。統計学的にはパスの真の機能はゲストの待ち時間のばらつきを排除することにあるのだと著者は指摘する。実際の待ち時間が不確実なのが本当の問題で、実際に何分待つかは本当の問題ではなかったのだ。ここでもディズニーランドは知覚を管理する魔法を使っている。
本書では統計学の応用のための思考5つの原則として
1 常に「ばらつき」に注目する
2 真実より実用性を優先させる
3 似た者同士を比べる
4 2種類の間違いの相互作用に注意する
5 稀すぎる事象を信じない
が示されている。この1つめがディズニーランドのファストパスと高速道路の渋滞緩和策の話であった。他にもクレジットカードのスコア、保険のリスク評価、ドーピング検査と嘘発見器、宝くじの設計などわかりやすい事例が集められている。
"ビッグデータ"がIT業界のバズワードになりつつある昨今、統計的思考の応用、成功例というのをもっと把握していきたいと思った。
まっとうな経済学者が書く、うわつかない次世代インターネット経済学。
ベストセラーになった「フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略」などは「情報通信経済学の専門家の立場からは、荒唐無稽な主張である」とばっさり切って捨てる。デジタル経済ではデジタルのものは遅かれ早かれ無料になるというのが「フリーミアム」だが、著者曰く限界費用がゼロになるからといって価格がゼロになる必然性はなく、企業は差別化や独自ブランドによってベルトラン競走から逃れようとする。そもそも限界費用ゼロといっても商品が競争市場で勝てるだけの付加価値を生むには、相当に大きな固定費用が現実には必要なはずだと指摘する。
フリーミアムは経済の一面しかみていないのだ。現代のデジタル経済で重要なのは両面市場の経済学だという。「ネットワーク効果をレバレッジとして効かして、一方で無料で他方で有料で、二種類のユーザを共通のプラットフォームでつなぐようなビジネス・モデルを両面市場(Two-sided Market)という。Googleのビジネス・モデルは、両面市場の経済学として明解に説明できる。」。だから一方の価格の効果だけみていてはだめで、両側の分配比率に気をつける必要があるのだ、というわけ。
経済学者が、バズわーどに踊らされず、経済学的に確実にいえることは何かを冷静におさえながらデジタル経済を現実的に語る本だ。規模の経済やネットワーク効果という基本的な理論を、現在の市場にあてはめて解説してくれる。ロックインと経路依存性の話もITビジネスでよく発生する問題を理解するヒントになる。なぜ市場ではしばしば良貨を悪貨が駆逐してしまうのかのワケ。
「デジタル経済では、主流派経済学が想定してきたような予定調和型均衡は成立しない。正のフィードバックのために、複数均衡の中の最適均衡に収束する保証はなく、いち早くクリティカル・マスを獲得した非効率的な技術が普及し(過剰転移)、そのまま長期間ロックインする(過剰慣性)かもしれない。」
・過剰慣性
「非効率な旧ネットワーク技術が既に普及し、ユーザがロックインしてしまうために、効率的な新ネットワーク技術が阻害される。」
・過剰転移
「非効率な新ネットワーク技術が将来普及すると予想されるために、効率的な旧ネットワークを駆逐してしまう。」
要するに、ネットワーク製品やサービスは、良い物を作れば必ず売れるわけではない。現状の市場の状況をみて戦略を打ち出していく必要があるということだ。当たり前なのだが、市場でプレイヤーとして戦っていると忘れがちな事実をたくさん指摘して貰ったような気がする本だった。
明解なヒントに満ちた本。
元東京大学総長で三菱総合研究所理事長の小宮山宏氏が提唱する「プラチナ社会」とは
エコで低炭素な社会を実現していく「グリーン・イノベーション」
活力ある高齢化社会を実現していく「シルバー・イノベーション」
ITを効果的に活用して人が成長する「ゴールデン・イノベーション」
という3つが有機的にむすびついた未来社会のイメージである。
市場競争で飽和した普及型需要から、これまでにない創造型需要で未来を切り開く国になるには、日本は課題先進国から課題解決先進国へと変身することだと説く。いま日本が直面している問題は近い将来にアジアや世界の国々にも生じる問題の先取りだからだ。
物事の本質をみる着眼点がユニークだ。
たとえば各国のインフラの整備度合いを、2010年までの一人当たりセメント投入量累計でみる。アメリカなら約16トン、フランス22トン、日本29トン。急速に追い上げる中国ではすでに14トンに達しており、直近では年に1.3トンのペースで増えている。2年後にはアメリカに追いつく。
「中国とアメリカの国土面積はほぼ同じで、人口は中国が4.5倍ある。2012年に人口当り投入量が同じということは、中国の国土にアメリカの4.5倍の密度でセメントが投入されることを意味する。高速道路や飛行場やビルなどのインフラ投入の総量が4.5倍になるわけだ。 したがって、今後もしばらく中国が年率10%もの高成長を続けるとすれば、道路や港湾、ビルなどのインフラは予想以上に早く建設され、早ければ二年、どんなに遅くとも10年以内で飽和状態に達するのは確実である。」
物質は飽和する。投入した物質の量をみて状態を測る。いわれてみればとてもシンプルで本質的な考え方だ。
物質は有限だが欲望は無限だ。人類の情報スピードが「神の見えざる手」を超えてしまい、市場は均衡せずに暴走するかもしれない。プラチナ社会を実現するための具体策として、
1 エネルギー効率を3倍にすること
2 物質循環システムを構築すること
3 非化石エネルギーの利用を二倍にすること
といった施策が掲げられている。効率が3倍になれば使用エネルギーが3倍に増えても問題がない。循環システムがあれば無駄がない。非化石エネルギーによってCO2排出量を抑えられる。
ではわたしたち具体的にはなにから手をつけたらいいか?
人々が最新のエコ家電に買い替えることで、日本の産業は復活し、海外に輸出する製品が磨かれ、効率社会も実現される。だから最新の家電の買い替えが、一般市民ができる第一歩としてよいらしい。買いますかね。
過去800年間の各国の記録を精査して国家の金融危機(ソブリン・リスク、デフォルト、銀行危機)を分析した研究書。
長い歴史のスパンで見ると国家はひんぱんに破綻している。公的対外債務のデフォルト、国内債務のデフォルト、そして銀行危機、インフレ、通貨暴落。この本にあるデータをみれば国家は破綻しないなどというのは幻想であることがわかる。世界の半分近い国がデフォルト中ということが歴史上何度も起きているのだ。デフォルト回数の記録保持者はスペインだが、世界のほぼすべての国が新興市場国だったころに一度は対外債務のデフォルトをしている。
国内債務のデフォルトよりも、公的対外債務のデフォルトが起きやすい。これは「国がデフォルトを起こす主な原因は、返済能力ではなく返済の意思である」という理由で説明できるそうだ。債権国が債務国を武力で脅して回収するという発想は費用便益分析的に考えて、現実的ではない。だから債務国にしてみれば、いろいろデメリットはあるものの、ある程度の体力を残した状態でデフォルトしてしまい、交渉で債務の一部不履行やリスケジューリングへと持ち込むことにも合理性がある。
統計的にみると国内債務の方がデフォルトの許容限界が高い。この場合、打ち出の小づちとして政府は、通貨発行ができるが制御不能のインフレをまねく可能性がある。事実上のデフォルトがインフレという形をとることもある。
「なぜ政府は、インフレで問題を解決できるときに、わざわざ国内債務の返済を拒否するのだろうか。言うまでもなく一つの答えは、インフレがとくに銀行システムと金融部門に歪みを生じさせるから、というものである。インフレという選択肢があっても、支払い拒絶の方がましであり、少なくともコストは小さいと政府が判断することもある。」
対外、国内どちらにせよ、国がデフォルトを起こす主な原因は、返済能力ではなく返済の意思であるということになる。むろん一人前の国家はデフォルトを選ばない。
「高所得の先進国の多くは1800年以来、対外債務のデフォルトを起こしていない。
現在の先進国は公的債務のひんぱんなデフォルトや年率20%以上の高インフレからは卒業したが、銀行危機から卒業したとは言い難い。」
後半では、先進国で発生しやすいのは銀行危機であり、いかにそれが一般的でよく起きるかを数字で示している。つまり、国家と言うのは先進国、高所得国になっても破綻するときには破綻するものなのである。構造改革も、技術革新も、よい政策も、健全なファンダメンタルズも、国家の破綻を完全に防ぐことはできない。しかし、専門家はしばしば「今回は違う」シンドロームに陥って、状況を見誤ってきたというのもこの本が明らかにする歴史の一面だ。
著者は公的対外債務危機、公的国内債務危機、銀行危機、通貨暴落、インフレ急騰の5種類の危機が、その年に起きているかどうかで国家の金融危機度を測る総合指数(BCDI指数)を開発した。1種類が起きると1、5種類ならば最も深刻な5になる。
2007年の米国のサブプライムショックとそれに続く「第二次大収縮」は、第二次世界大戦以降で最悪の深刻度を持つものであったということがわかる。国家はしばしば破綻するものだが、歴史的に見てもあれは相当やばかったのだよ、といいたいらしい。
そして今日は2011年の8月1日である。
米国はどうやら今回の債務危機を回避できるらしい。この本の過去のデータ的にも米国がこの状況でデフォルトする確率は低そうだし、「国がデフォルトを起こす主な原因は、返済能力ではなく返済の意思である」なのであるから、当然といえば当然か。