Books-Culture: 2013年2月アーカイブ

・世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析
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2009年ごろに始まったヤンキー文化の研究は、細々とながらも脈々と続いてきて、深まっているなあと実感できる本。かつてナンシー関は日本人はミーハー、オタク、ヤンキーの3つに分類できるという名言を残したが、日本には地方を中心に半端ではないボリュームのヤンキー指向層がいる。ヤンキーそのものではなくても、EXILE、浜崎あゆみ、YOSAKOIソーラン節、矢沢永吉、B'z、金八先生、ドン・キホーテなど、ヤンキー的なものをあげ始めたらきりがない。これは、なぜ日本人のマジョリティが、ヤンキー的なものにひきつけられるのか、そもそもヤンキーとは何かを分析した本。


ツヨメでチャラくてオラオラなヤンキー。著者はヤンキー文化が「互いに「舐められない」ことを目指してキテレツ要素をどんどんため込んでいった結果、あのようなバッドセンスが成立する」と指摘する。

「ツヨメとは目立つこと、すなわち「人目を引くファッション、社会から外れたライフスタイル」を指す。ファッションで言えば「日焼けサロンで焼いた黒い肌、明るい色の髪、露出の激しい、ド派手でカラフルな服装」などが「ツヨメ」ということになる。」というふうに、ヤンキーをめぐる要素をわかりやすく解説してくれる。ヤンキーに縁遠い人でも理解できる。

「ヤンキーの美学においては、ギャグやパロディがメタレベルを形成しない。それは常にベタな形でイカしたものととらえられ、さらにパロディックなエレメントをめいっぱいはらみながらいっそう誇張され、それがまた新たな美学につながる、という特異な回路を持っている。」

つっぱりハイスクールロックンロールや、なめ猫がなぜヤンキーに受けたのか、という疑問を深堀りしていくことで、その本質がみえていく展開が面白かった。また政治や社会における位置づけとしてのヤンキーは決して不良でマイノリティの破壊者ではなく

「キャラはシステムを否定しない。システムを変えてしまっては、キャラが崩壊しかねない。その意味でキャラの成功とは、"成り上がり"として。システムを回す側に立つことだ。」

筋を通す、ハンパはしないというポリシーを持つ彼らこそ、この国を支える代表的な保守派だという分析にうなった。そうか彼らこそ代表的日本人なのかもしれないのである。


すごいヤンキーの画像ください(珍走団・レディース・DQN・厨房) - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2124841280410253792

・ヤンキー文化論序説
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-951.html

・ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1019.html

歌舞伎町

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・歌舞伎町
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危険な世界を安全な領域から存分に味わえるのが魅力のカラー写真集。

韓国人フォトグラファーが歌舞伎町に毎晩通い続けて撮りためた16年間分のエッセンスを出版した。この人は歌舞伎町の修羅場で活躍する"戦場"カメラマンだ。

「てめぇ、客引きのくせに...」。酔って絡むサラリーマン男性。しつこさにぶちきれた客引きが男性を引き倒す。それをみた客引きの仲間がかけつけてきて、倒れた男性をさらに踏みつける。その様子をタバコを吸いながらニヤニヤと見物する野次馬たち。

ヤクザと黒人が自転車を投げつける大喧嘩の様子。ヤクザの飛び蹴りが鮮やかに決まるシーンもある。歌舞伎町ではよくあることなのかもしれないが、タクシーのボンネットの上を歩く酔客。逃げる犯罪者を全速で追いかける警察官。無銭飲食者を押さえつけボコボコにする警察官。通り魔に切りつけられて顔中血だらけの被害女性。ホストクラブのビルから飛び降り自殺した女性。花魁道中の如く街を練り歩く妖艶なキャバ嬢たちや、衣類をはだけて無防備に眠り込む女子学生。驚くべきことに、カメラマンはこんなシーンをわすか数メートルの至近距離から撮影している。

解説で書かれているが、決してヤクザにみかじめ料を払って撮影しているわけではない。撮影条件は一般人と同じだ。だから当然のように、怒った撮影対象から暴行されカメラを何度も壊されている。組の事務所に監禁される、盗撮扱いで警察に通報されるのも当たり前。警察ややくざとは一定の距離を置きながらも、顔なじみはつくっておき、いざというときの場をなんとか切り抜けていく。本人の解説から垣間見えてくる凄まじい撮影の実情も本書の魅力だ。

ただでさえ街でのスナップが危険な時代に、歌舞伎町で毎日撮るなんて、本物のクレイジーだ。

・前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48
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昨日のブログの続き。濱野智史氏の本。

AKBのコンサート帰りの勢いで、気鋭の若手社会学者が、その頭脳をもったいないくらいフル稼働させて、本気で書いてしまった過剰なアイドル宗教論。面白い。AKBのブームがあと何年続くかわからないのに書いてしまう思い切りのよさも好き。評価が定まる前に言わなきゃ本物の評論家じゃないのだから。

AKBとは、制服を着た少女を「推す」という関係性を根拠とした宗教であり、「サリンの代わりに握手券と投票券をばらまくオウム」であると見立てる。そして「比喩的にいうならば、AKBの総選挙は現代の「ゴルゴタの丘」であり、センターは「十字架のキリスト」なのだ。その彼女たちの壮絶なマジに感染するからこそ、私たちは彼女たちを「推す」のだ。AKBという宗教の信者、すなわちヲタになるのである。」という。

著者自身がファンのひとりとして、「レス」(メンバーと目線があうこと)、握手会の「良対応」「塩対応」、「賢者タイム」など、アイドルオタクの独特の生態、慣習をレポートする。ディティールが面白い。

一般人が知らない世界観や文化が確立されていて、現代アイドルには相当に奥深いものがあることがまずわかる。しかしさすがにキリストにたとえるのは言い過ぎでは?とおもったら記述があった。

「「関係の絶対性」においては、アンチがいるからこそスターが生まれる。キリストのような超越的存在が生まれる。いやもちろん、現時点ではキリスト教の規模を超えてはいない。しかし少なくとも、情報社会/ポスト近代という、匿名のアンチガ無数に蔓延るこの末法の世において、むしろアンチの存在をスルーするのでもなくブロックするのでもなく、正面から向きあうことによって誰よりも利他性と再帰性を帯びうることができるのが、AKBの「センター」なのだ。私たちはその「可能性の中心」こそを捕まえる必要がある。」

現代人は何にはまるのか、なぜはまるのかを考えさせらる本だった。

人間というのはそもそも何かに熱狂したがるようにできているのだと思う。極端で発散し、何かに依存して癒されるという性質があるのじゃないかと。しかし現代の日本社会はそれが許されない。宗教団体や政治団体は危ないから近寄らないようにしましょう、不偏不党で自分のアタマで考えることが大切ですと、子供を教育をしている。そうやって育つとおおっぴらに宗教や政治にはまれなくなる。そこへ、はまってよいモノとしてAKBという疑似的な宗教・政治システムが巧妙に設計された。抑圧されてきた若者たちが、それに狙い通りとびついているのが、今の状況なのではないかと思う。現代人の精神性の本質的な部分にかかわっているからこそ、濱野氏みたいにAKBに「可能性の中心」をみるのは意味があると思う。

・私は河原乞食・考 (岩波現代文庫)
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俳優の故小沢昭一氏による名著。初版は1969年。大阪の現役ストリッパーや香具師やホモセクシュアルたちにインタビューをして、日本の大衆芸能の本質に迫っていく。小沢氏は学者ではないから、インタビュー対象に対して、同じ目線で、気安く話を引き出せるから面白い話がいっぱい発掘できた。

「日本の芸能史のなかで、性と芸能は不可分であった。原始芸能と性信仰の切り離し得ないことは、少し民俗芸能や祭りに関心をもてばすぐに認められるところだ。」という信念があるので、第一章は「はだかの周辺」から始まる。トクダシ、外人ヌード、残酷見世物小屋の当事者たちから、それがどんな生業なのか興味深い話を聞き出している。

第二章は、愛嬌芸術と呼ばれる香具師の口上の採録が素晴らしい。文字起こしされた口上は文字を目で追うだけでも引き込まれる、目が離せなくなる。舌先三寸のタンカで客寄せをすることが彼らの稼ぎを左右する。人を引き付ける、あの手この手が仕込まれており、これ自体が洗練された芸である。

著者は日本の芸能を高尚な伝統芸能として持ち上げたりはしない。むしろ、河原乞食というタイトルのように、芸能は相当に素性の怪しいものだと論じている。

「日本の芸能史は、賤民の芸能史である。 この日本に現在ある諸芸能---能、歌舞伎、文楽から、漫才、浪花節、曲芸にいたるまで、それらをすべて海だし、磨きあげて来たのは、貴族でも武士でも、学者、文化人のたぐいでもなく、つねに日本の体制から外にはじ出されていた、賤民といわれるような人々の力であった。江戸時代、士農工商の階級は、幕府支配体制がつくり出したものだそうだが、芸能者はその士農工商の下であり、かわらもの、とさげずまれて、あるときは一匹二匹とかんじょうされたりもした。」

そして「芸能界と暴力団のクロイ関係」といわれるものも、実は根が深くて、昨日今日の関係ではない。」として、反権力志向で、社会病理と隣接した存在として芸能を位置づけていく。40年前の本なので、すでにこの本自体が史料的価値を帯びているわけだが、現代にも感じる芸能の危うさ、怪しさの正体、起源を理解するのによい本だ。

・間道―見世物とテキヤの領域
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1046.html
テキヤ稼業(的屋、香具師ともいう)のドキュメンタリ。

・さいごの色街 飛田
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/01/post-1579.html

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