Books-Culture: 2011年7月アーカイブ

ヤノマミ

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・ヤノマミ
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これは傑作。

アマゾン奥地で暮らすヤノマミ族と150日間におよぶ同居生活をしたジャーナリストの体験ルポ。

ヤノマミとは人間という意味。彼らは1万年間独自の文化と風習を守って生きてきた。現代人から鉄器を入手したのは最近のことだから、ずっと石器時代に近い狩猟採集中心の暮らしを続けてきた。現在彼らの森は先住民保護区に指定されており、文明との接触が稀になっている。ほとんど世界最後の「未開」の部族だ。

著者が訪れたヤマノミ族は、シャボノと呼ばれる直径60メートルの巨大なドーナツ状の家に167人が集団生活を営む。中央の空洞の広場は共有スペース。屋根がある円周部分で生活をする。家族ごとの囲炉裏とハンモックはあるが間仕切りがない。彼らは食べる時も眠るときもそして性行為をするときも丸見えになる。

仲介者を通して取材の了解を得ていたにも関わらず、取材班が歓迎されたのは最初の1週間のみ。「あいつらはいつまでいるんだ?」と訝しがられ、貴重な食糧をわけてもらうこともなくなった。そして取材班は幻覚剤を服用した半狂乱のシャーマンに凄まれる。

「聞いているか! 聞こえているのか! 私の声が聞こえているのか!
お前らは敵か? 災いを持つ者なのか? 敵でないなら味方か? 味方なら何かいい報せを持ってきたのか? 本当は何なのだ! 味方か? 敵か? <ナプ>なら殺すべきなのか? この<ナプ>をどうするか?」

<ナプ>とはヤマノミ以外の人間、あるいは人間以下の者を指す最大限の蔑称。シャーマンの怒りは村人の集団ヒステリーを誘発する。質問への答え方によっては命を奪われておかしくない。よくあるテレビ番組のやらせ取材とは緊張感が違う場面が続く。

日本や欧米のモラル、価値観が通用しない。フリーセックスくらいは当たり前で、生死という根源的な部分でも私たちの道徳観が通用しない。たとえば取材班は生まれたばかりの赤ん坊を母親がためらいもなく絞殺する場面にたちあう。生まれた直後の赤ん坊はまだ人間ではなく精霊なので、母親が生かすか死なすかを決めることができる。そのときの経済状態などを考えて、殺して白蟻の餌にすることも日常の一部なのだ。

著者は150日間の共同生活を通して価値観の圧倒的な相対化に衝撃を受ける。これは貴重な体験だと思う。多様性(Diversity)の時代というが、物理空間的にも情報空間的にも人種が混ざってきた現在、白人と黒人、欧米人とアジア人の混在程度ではありふれている。真の多様性を求めようとするならば、これくらい根本的に異なる人たちを呼んでこないと、イノベーションの刺激にならないような気がする。

究極のエキゾチズムを味わえるノンフィクション作品だ。映画になっているのでDVDをこれから鑑賞してみる。

第42回大宅賞、第10回早稲田大学ジャーナリズム大賞受賞。

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