Books-Culture: 2010年8月アーカイブ
ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。
150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。
江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわかる。
ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。
「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」
隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかしくなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていたのだ。
性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前まではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。
子供への性教育でもこれを教えたらいいのではないだろうか。
・裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1064.html
・セクシィ・ギャルの大研究―女の読み方・読まれ方・読ませ方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/post-1151.html
・セックスと科学のイケない関係
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-987.html
・性欲の文化史
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1020.html
・日本の女が好きである。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1010.html
・ナンパを科学する ヒトのふたつの性戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-972.html
・ウーマンウォッチング
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-958.html
・愛の空間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/oso.html
・性の用語集
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004793.html
・みんな、気持ちよかった!―人類10万年のセックス史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005182.html
・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html
・夜這いの民俗学・性愛編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002358.html
・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html
・武士道とエロス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004599.html
・男女交際進化論「情交」か「肉交」か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004393.html
『課長島耕作』『サラリーマン金太郎』『釣りバカ日誌』『かりあげクン』『宮本から君へ』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『働きマン』『ぼく、オタリーマン。』『特命係長只野仁』......。時代を写す鏡としてのサラリーマン漫画の変遷が作品の絵も交えて丁寧に語られている。漫画好きが頭の中の知識を整理し文化史に昇華できる本だ。
著者はサラリーマン漫画史における最も重要な作品として『課長島耕作』(弘兼憲史)シリーズが挙げられている。バブルとその崩壊の時代を人気を保ったまま、部長、取締役、専務、そして社長へと出世してきた。
課長島耕作の成立について、1950年代から60年代に人気作家だった源氏鶏太のサラリーマン小説に源流があると著者は指摘する。高度経済成長の日本。終身雇用、年功序列の安定した組織の中で、人柄のよい主人公が、悪徳社員と敵対して、いろいろあるが人柄力で乗り切って、最後は勝利するという勧善懲悪的な物語。その「源氏の血」を受け継いだのが島耕作だったのだという。
そしてクールにサラリーマン生活を謳歌する島耕作に対して、熱く感情的に生きる『宮本から君へ』や『サラリーマン金太郎』など従来の安定したサラリーマンの枠組みに縛られない作品が登場する。バブルの崩壊と不況の長期化、働き方の多様化で、時代の最大公約数としてのサラリーマンという前提が崩れてしまうと、『働きマン』『ぼく、オタリーマン。』のような多様な生き方を肯定する作品も広がっていく。時代の流れに位置付けて見せられると、サラリーマン漫画は、まさに日本の時代の鏡になっていることが実感できる。
正社員比率が下がり続け、その正社員でさえ長期展望が見えなくなっている今、サラリーマン漫画は、これまでのように幅広い層の共感を集めることが難しくなってしまっているようだ。紅白歌合戦の視聴率と典型的サラリーマンの率って同じような下降線をたどってきたのかもしれない。かといって、フリーや起業がボリュームゾーンになるとも思えない。サラリーマン漫画も当面はバリエーション豊かに混迷の時代に突入するのだろうか。読者としてはいろいろな路線が読めて面白いのだけれど...。
ちょっとブラックだけどネタとして楽しめる漫画だった。デフォルメされた世代論がとてもわかりやすい。
バブル長男(バブル期1986年~1993年卒業組)
世界中のブランド品が似合うのはこの私!
氷河期次男(就職氷河期1994年~2004年卒業組)
ニートだけどな、俺には自慢の嫁がいる(二次元に)!
ゆとり三男(大量採用期2006年~卒業組)
いうこときくから 逆らわないから 内定ちょうだーい!
ニッポンの縮図としての3兄弟の悪戦苦闘の日々を描く。リーマンショック・派遣切り・草食肉食論争など彼らの世代の受け止め方の違いがネタである。パロディ漫画だが、この20年で日本が失ってきたものが世代別でわかる内容。
書籍化特設サイト
http://off.hornet08.net/tokusetu/index.html
最近、献本でいただいたこの本も似たような世代論だった。
「20~30代のビジネスマンをいま悩ませているのが、40代前半の世代「バブルさん」だ。バブル時代のおいしいところを味わってきた彼らの、軽さ、薄さ、いい加減さは驚異的!はったりだけは超一流、会社の祭りに異常にはしゃぐ、カラオケがムダにうまい...。実際に被害を受けた若手社員が明かすエピソードをもとに、バブルさんの生態を解説。目の上のタンコブ、バブルさんの対処法も教えます! 」
バブルさん=バブル景気の1986~91年に、大学生もしくは、入社3年目までの時期を過ごした人。私もぎりぎりひっかかってしまう歳なのですが(笑)、どこまでも他人事として、あーいるよなーこういう人、と共感して読みました。
どちらの本も、自分以外の世代への妬みや見下しの感情があります。時代の流れが早くて世代間で価値観を共有できないのが現代の日本である、と。だからこうやって漫画や世代論のネタとして笑い飛ばすことで、世代間で互いがどういうイメージを持っているかを共有して、相互理解につながる、なんてことはあるかもしれないですね。