Books-Culture: 2009年11月アーカイブ

・アメリカで大論争!! 若者はホントにバカか
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いかにデジタル・テクノロジーが若者の知性を奪い、国の将来を脅かすかを語り、全米で大議論を巻き起こした問題提起の本。

米国の少年少女の読書時間は1日平均たった7分しかないこと、読んだとしてもマンガであること。博物館や美術館には行かずに、ゲームやネットばかりの時間の使い方をしていること。ローマ法王はイギリスのパリにいると答えたり、アメリカ建国の経緯を知らなかったり63%がイラクの位置を知らないなど、山のように若者の無知を示すデータが並ぶ。

著者によるとデジタル・テクノロジーによって引きこもり環境をつくって閉じこもることが、若者がバカになった原因だと断言する。

「若者たちは世間の現実に無関心だ」と言うだけでは不十分である。若者たちはわざと現実との関係を断っているのだ。言いかえれば、身近な現実に閉じこもっていて、友人、勉強、ファッション、車、ポップミュージック、テレビ・ラジオの連続ホームコメディ、フェイスブック(友人などと交流するソーシャル・ネットワーキング・サービスの一つ)以外を遮断しているのだ。日々受け取っている情報や相互のやりとりは、ごく一部に限られていたり表面的であって、政府、外交、内政、歴史、芸術が入りこむことは絶対にない。」

ネットを使えば自分が知りたい情報だけに囲まれて生きることができる。

「ある討論会で16歳の女性パネリストはこう明言した。RSS(サイトの情報を配信するフォーマット)」ばかり頼っていれば「もっと広い世界」が見えなくなってしまうのではとの問いに、「もっと広い世界なんかみたくありません。自分が見たいものだけ見たいのです」。」

こうして視野が狭くなっていくことは確かに情報化時代の落とし穴だ。ネット世代の情報収集を、RSSに象徴させて問題提起をしたのは鋭いなと思った。

だが現在のサブカルチャーが次の世代のカルチャーになることを考えると、上の世代が知らない世界を若い世代は先取りしているのだとも言える。知っていることの総量が減った=バカという構図は必ずしも当たっていないのではないか?とも思える。

著者は読書に関する討論会での若者とのやりとりを次のように紹介している。

「きみたちは、今の下院議長が誰かより、『アメリカン・アイドル』で誰が選ばれたかのほうを6倍も知りたいんだ」と私があおってみたところ、1人の女子学生がこう切り返してきた。『アメリカン・アイドル』のほうが重要なんです。」

そして、若者は世界の指導者よりアイドルが重要だと考えるようなバカだと語る。

だが、これはどうだろうか。私は著者もバカであると思う。若者はある意味では正しい判断をしているのではないか。アメリカン・アイドルで彼らが投票で選ぶ同世代のスターは将来、ただのアイドルを超えて、若者世代の指導者になる可能性がある。少なくとももうすぐ引退の下院議長より、彼らの人生にとって重大な影響力を持つだろう。上の世代のリーダーは選べないが、次世代のリーダーは自分たちで選ぶことができるのだから。

若者はホントにバカか?。これはアメリカだけの問題ではない。日本でも同様のことを言う人たちがいる。

結局、バランスの問題なのだと思う。

老人が最近の若者はバカだ、けしからんと言い続けてきたのが人類の歴史だろう。それを検証しようと思って私は、

・「近頃の若者はなっとらん」と上の世代が下の世代を批判した最古の文献(石板や壁画含む)を教えてください。出典(URLが望ましい)をつけてください。
http://q.hatena.ne.jp/1259504330

という質問をネットに投げかけたのであるが(リンク先を読むと答えがわかる。同時に私がバカだったことが分かる)、数千年前の古代エジプトやアッシリアの石板にもそんなぼやきが書かれていたのだ。

だが実際に若者がバカで滅びたことは一度もなかった。むしろ優れていたから人類の歴史は進歩してきた。同時にそれは上の世代が若者はバカだと警鐘を鳴らし続けてきた歴史と見ることもできる。両世代のせめぎ合いによって、人類はなんとかなってきたのだ。だから、若者はバカではないが、若者バカ論が絶えてもいけないのだ。

そういう意味においてこの本は時代の抑制力であって、まるっきりバカでもないが極めて主張が一面的である。本書の対抗馬である『ダメなものは、タメになる』と一緒に読むとバランスがとれると思う。

・ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/post-937.html

・ゲームと犯罪と子どもたち ――ハーバード大学医学部の大規模調査より
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/06/post-1015.html

・図説「愛」の歴史
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鑑賞に値する美しいビジュアルブック。『21世紀の歴史』を書いたフランス政府顧問のジャックアタリが、38億年前の単細胞生物の生殖から未来の複雑な男女関係まで、愛を視点に地球史を展望した。愛や結婚をモチーフにした美術作品や写真など合計200点を超えるカラー資料をまじえた豪華絢爛な絵巻。

今から8000年くらい前、富が集中した中国や中東で人間の寿命は30歳を超えた。男が生殖における自身の役割、すなわち精子の役割に気がついたのが、この頃だったとされる。それまでの人類はどうやら性交と生殖の具体的な仕組みを知らなかったらしい。だからカップルの関係は長く続かず、子供も両親と長く一緒には暮らさなかった。

寿命が延びたことで、男女は長期的な愛の関係を育むようになったのである。愛のかたちはそこからぐっと多様化、複雑化する。ギリシア人は愛をエロス、フィリア、アガペーの3つの形に区別した。ローマ人は結婚の形式を調停結婚、自発的結婚、ファール共祭式結婚、略奪の4つに分けていた。

愛もまた時代に翻弄される。アラビアやインド、古代ギリシア・ラテンの慣習の影響を受けた十字軍兵士たちの帰還がヨーロッパにエロティシズムと愛をもたらし、人口の3分の1を奪ったペストの惨禍によって人間の価値、愛の価値は高まった。

西欧ではキリスト教が、教会の監視の下で官能性を拒否し、生涯一人の配偶者を愛する一夫一婦制を広く普及させた。その影響下に今の私たち日本人はある。だがそれを当り前と思うなというのが本書の主旨である。アタリは実在する多くの愛の形のバリエーションの提示によって、現代の私たちの持つ愛のイメージを徹底的に相対化する。

キリスト教は愛に宗教的表現を与え、一夫一婦制にもとづく愛を制度化した。だが、このタイプの生殖と欲望と愛の関係は、人類史からみたらほんのわずかな時期の、一部の人たちの習慣にすぎないという。もっと自由な愛の形のバリエーション(生殖と欲望と愛の分離)があったし、今後も起きるはずだ、と。

そしてアタリの愛の未来をこう予想する。

「遠い将来には、根源に帰るかのように、新たな形の人間関係が生まれることが予想される。その関係は欲望の即時の満足を基礎にしたものであり、またしだいに繁殖という関心事から解放されていくものである。関係の起源を両者の間で前もって決めておく一時契約の結婚。それぞれが隠すことなく同時に複数の恋愛パートナーをもちうる多恋愛(Polyamour)。それぞれが同時に公然と複数の家族に属する多家族(Polyfamile)。それぞれがさまざまな性行動をとる集団内で、複数のメンバーに操をたてる多貞節(Polyfidelite)。子どもたちは両親がかわるがわる世話をしにくる安定した場で育つことになるだろう。」

ネットワーキングならぬネットラビングとでも呼ぶべき関係の登場と合法化が進むというのがだが、そして最も有望な関係性とは、なんと三者関係なのである。大統領顧問が三者関係推奨なのである、本当か?!

「ネットラビングの中でももっとも安定的で特別な形は、同性または異性の3人の人間が、ある場合には所帯をもって、同じ家で暮らし、全員または2人ずつ性的関係をもつような関係である。」

本書には具体的に3人で結婚した例が紹介されている。

「そうした3人組のケースはいくつか知られている。たとえば3人のオランダ人、ヴィクトル・ド・ブルゾンと2人の妻、ビアンカとミルジャムは一夫一婦婚と同じように一緒に暮らしている。この3人の関係は公証人立会いによる契約によって合法化されており、法的にも認められている。ビアンカとヴィクトルは18年間夫婦として過ごしていたが、その後この2人を愛したミルジャムが、最初の夫と離婚して人と一緒になったのである。」

名前で検索すると海外にニュースが見つかった。

・Dutch 'marriage':1 man, 2 women
Trio becomes 1st officially to tie the knots
http://www.wnd.com/news/article.asp?ARTICLE_ID=46583

この記事によると、ブルゾン(男性46歳)とビアンカ(女性31歳)の夫婦と、ミルジャム(女性35歳)はインターネットのチャットルームで知り合ったそうだ。女性二人の間には嫉妬がまったくばい。理由は二人の女性がバイセクシャルだから。ブルゾンは100%ヘテロセクシャル(一般的な異性愛者)であるから、4人目を加えると不倫になることになるので、追加はありえない、そうである(ロジックが実に複雑ですが、ま、そうか?)。

愛のかたちの歴史を振り返ると、意外にスピーディに進化してきたことがわかる。常に倫理も制度も後追いだ。実はキリスト教世界では1965年の第二ヴァチカン公会議で、結婚の目的はたんに生殖だけでなく、夫婦の愛情と幸福であることがようやく認められた、と書かれている。こうした今は奇抜な関係性だって、50年、100年で当たり前になる、のかもしれない。

・21世紀の歴史――未来の人類から見た世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/02/21-1.html

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