Books-Culture: 2009年4月アーカイブ
「文学賞メッタ斬り」で有名な書評王 豊崎由美氏が書いた14歳のためのブックガイド。
・書評王の島
http://d.hatena.ne.jp/bookreviewking/
豊崎由美氏のブログ
「子供の頃からベッドで寝っ転がって読んできた本。特に系統立った読み方なんかしてこなかった自分の読書体験。なのに、不思議とつながっていった。つながって、わたしなりの本の星座ができていった。その一端を紹介することで、14歳で不安だらけでコンプレックスだらけだった自分に「つながったよ」と報告してやりたかったのです。で、他人のカバンの中をこそこそとチェックするような大人の浅はかな思考や御都合主義の言葉に"勝てる"思考と言葉は、今、あなたが読んでいる本の中にちゃんとあるよ。そんなこともアドバイスしてやりたかったのです。」
豊崎氏はインディペンデントへの意志を強く感じさせる書き手だ。14歳の時、落書きの教科書を捨て、校舎の窓ガラスを壊して回り、盗んだバイクで夜のとばりを走り続けて、そのまま大人になってきたような人だ。権威におもねらない。群れない。曲げない。大家の作品でも面白くないと思えば叩き斬る。自身が価値があると思う作家を世に出すために、日々、文壇の馴れ合いや出版界の商業主義と戦っている。
だからこの本の「勝てる読書」とは、打倒セコい大人のための武装術であり、飼い慣らされないための人生術なのだ。各章はテーマ別に星座の名前になっている。14歳が生きる指標となる星座早見図を与えようという意趣だが、その名称が、キモメン座、ケンカ上等!座、江頭2:50座、呪怨座、ケモノバカ一代座、中2病座...。トヨザキ社長(一人称"オデ")のインディペンデントな生き方は圧倒的に個性的だ。だからこそ面白い本を発掘できるのだ。
結局、私もこのガイド本で知った本を10冊近く購入してしまった。
普段の豊崎さんが雑誌に発表する書評記事は、ある程度本を読んでいる人向けのハイコンテクストなものが多いが、この本は、これから読む人向けなのでやさしく書かれている。難しい漢字にはルビもふられている。だが、語られている蘊蓄や紹介本は完全に大人向けである。本当に14歳が読むとしたらかなりの挑戦読書になるだろう。
心のどこかがまだ14歳のままの、すべての大人におすすめ。
・正直書評。 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/11/post-872.html
西洋音楽史の大きな流れを数時間で理解できる名著。この新書一冊で得た音楽史の知識は学生時代に私が受けた音楽の授業全部を上回る。1000年以上にわたる歴史の情報が、コンパクトに整理され、わかりやすい表現にまとめられている。本当に素晴らしい本だ。
まず、俗にクラシックと呼ばれる西洋芸術音楽とは、
1 「知的エリート階級(聖職者ならびに貴族)によって支えられ」
2 「主としてイタリア・フランス・ドイツを中心に発達した」
3 「紙に書かれ設計される」
音楽文化であると定義される。
中世の人々にとって音楽とは「世界を調律している秩序(ムジカ・ムンダーナ)」のことであり数学に近い概念だった。同様の秩序は人間にも宿っているとされ(ムジカ・フマーナ)、実際に鳴る音楽は器楽の音楽(ムジカ・インストゥルメンタリス)として最下位にあるものだった。
だから西洋音楽のルーツであるグレゴリオ聖歌は、人間が楽しみで聴く音楽ではなく「神の国の秩序を音で模倣する」という性質を持っていたという。おそろしく引き延ばされた低音のグレゴリオ聖歌は聴いていて楽しいものではない。やがてこの聖歌に新しい別の声部をつけたオルガヌムが生まれ、その声部が複雑化したり、歌詞がのる(モテット)などしていくことで、私たちにもおなじみのクラシック音楽へと進化していった。
「われわれにとって「和音」といえば、たとえば「ドミソ」のことであるが、中世においては「ドミソ」は不協和音だった。つまり「ミ(三度)」が入っていてはいけなかったのである。」。
大きな音楽史の流れの中でバッハ、モーツアルト、ベートーベン、ハイドン、マーラーなど数十人の有名な音楽家達の役割、位置づけが大胆なほど明解に説明されていく。
たとえば「西洋音楽の父」とされバロックの代表的な音楽家と一般に考えられているバッハについては、
「周知のように、死後半世紀近くあまり顧みられなかったバッハは、1829年のメンデルスゾーンによる≪マタイ受難曲≫の100年ぶりの再演とともに劇的な「復活」を遂げ、十九世紀ドイツにおいて「音楽の父」へと神格化されるに至った。しかしながら十九世紀のこのバッハ熱の背後には、多分に政治的背景(プロテスタント・ドイツ・ナショナリズムとでもいうべきもの)があっただろうことを、決して忘れてはならないと思うのである。」
という記述で、俗説を覆してみせる。バッハはバロック最末期の人である上に、バロックの中では異端だったことが解説されている。ベートーヴェンについては、著者はこう評する。
「ハイドンや、いわんやモーツァルトと比べて、ベートーヴェンの音楽は決して聴いてすぐ楽しいと思えるようなモノではない。彼の作品の主題のほとんどどれもが、誰でも考えつきそうな凡庸なものだとすらいえるだろう。だがベートーヴェンは、飽くことなくそれらを研磨し、組み合わせ、積み上げ、完成する。<中略>天賦の才ではなく労働によって大きな建物を作り上げていくベートーヴェンの音楽が、十九世紀市民社会によってあれほど崇拝されたのは彼らがそこに「勤労の美徳」の音による記念碑ともいうべきものを見出したからではなかったか。」
こんなふうに新しく現れたジャンルや音楽家達の特徴と、同時代に置ける意味が明解で大胆に示される。中世グレゴリオ聖歌から20世紀のシェーンベルクまで、はじめてクラシック音楽史の全貌が見えた気になれた。
音楽についての含蓄のある言葉も多い。
「「いつどこでどう聴いてもいい音楽」などというものは存在しないのであって、「音楽」と「音楽の聴き方」は常にセットなのだ。 「ある音楽をいくら聴いてもチンプンカンプンだ」という場合、ほとんど間違いなくその原因は、この「場違い」にあると、断言できる。」
この言葉は絵画や文学など音楽以外の芸術鑑賞にも当てはまる名言といえそうだ。
・拍手のルール 秘伝クラシック鑑賞術
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-840.html
・J・S・バッハ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/js.html
・絶対音感
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-833.html
・音楽の基礎
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/06/yb.html
・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/01/ye.html
・バッハ インベンションとシンフォニア
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/fofbfn-fcffffvfvftfhfjfa.html