Books-Culture: 2009年3月アーカイブ

・ウーマンウォッチング
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女体の文化論、科学論。

何が男心を誘うのか。生物学的、歴史学的な視点から、頭髪、額、耳、目、鼻、頬、唇、口、首、肩、腕、手、乳房、ウエスト、腰、腹部、背中、恥毛、性器、尻、脚、足が個別に論じられる。

男女の身体差は他の霊長類に比べるとかなり大きい。

「新たな分業が進んだことにより、男性は、狩猟のために、いっそう筋骨たくましく、活発で丈夫な身体が必要とされた。平均すると男性の身体には28キログラムの筋肉があるのに、女性には15キログラムしかない。典型的な男性の身体は、女性より30%強く、10%重く、7%高い。 女性の身体は繁殖のためにきわめて重要なので、男性以上にうまく飢餓から身を守らなければならなかった。その結果、肉づきがよく曲線的な平均的女性の身体には25%も脂肪があるのに、筋骨たくましい男性には12.5%しかない。」

脂肪に包まれた丸みのある身体と高い声。女性の赤ん坊のような身体は、男性の子どもを保護しようとする反応を引き出す。男心をそそるほど強い配偶者をみつけて生殖し子孫を残すことができた。その結果として女性は一層女性らしい身体に進化していったのだという。

女性の豊かな胸は"模擬臀部"として進化したという説が面白い。他の霊長類の雌は臀部から後方へ視覚的な性信号を送る。雄は雌の尻や性器を見て興奮するのだ。だが二足歩行になり正面から相対することの多いヒトの場合は、胸を膨らませることで男性を惹きつけるようになったという話。

・現代女性は口紅で濡れた隠唇を模倣している。
・数世紀前の娼婦はベラドンナの目薬で瞳孔を開いて男性を見つめて誘った。
・長い爪は手使う労働をしなくてよい高貴な女性のしるし。
・中国では女性の足は小さければ小さいほど「膣の襞も素晴らしくなる」という迷信を信じて纏足を1000年間も続けた。
・欧米人は脇の下のにおいで興奮する男女が多い。日本人はまれ。

など、女性の魅力に関するデータが満載。

この本でわかるのは

1 なぜ男性は女性の各パーツの特徴に興奮し惹かれるのか
2 時代や地域によって魅力的な女性の身体特徴が異なること

の2つ。1つめはかなりユニバーサルなもので、2つめは個別性が高い。

セックスアピールの科学。性的興奮の中身が冷静に分析されて文節化、言語化されていくのが面白い。男性が魅惑される女体というのは、結構、単純な要素に還元できてしまうのかもしれないという感想。

・いま、ここからの映像術 近未来ヴィジュアルの予感
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どういう発想や見方、取り組み方があるのか。新しい映像を作りたい人たちのための映像文化論。Q&Aを中心にアイデアフラッシュ(コラム)、作品紹介、作家ファイルなど混在形式で一見雑然としているが、10人のクリエイターや評論家がこれぞというネタを圧縮して詰め込んでいるので、全体として非常に濃い内容になっている。最先端の映像クリエイティブのデータブックとしても使える。

「年間三万人も自殺する戦場のような日本をどう撮りますか?」
「ショートムーヴィーはなぜ流行るのですか?」
「ストリーミング配信・インタラクティブスタイルの未来形は?」
「映画コンクールに入選するにはどうしたらいいですか?」
「撮影中の偶然の出来事をどう受け止めたらいいですか?」

といった質問に対して、回答者が自身の経験や最新の話題を絡めながら答えていく。

クリエイターが語る映像論がいい。熱い。たとえばどういう創作動機があるべきか。

「映像を撮ろうと思うとき、動機に正しいも間違いもありません。撮りたい衝動に掻き立てられたならば、その気持ちに従ってキャメラを回せばいいと思います。しかし、大事なことは、撮り手自身がその衝動を生み出した原因に自覚的になり、どの程度の「執着」と「執念」を見いだせるかが最も重要です。それが同時に対象へのアプローチの仕方へと繋がっていきます。 動機というのはしばしば過去の喪失体験から生まれ、それを自らの意志で明確にしないといけません。」

強い動機をつくりだすには自分の暗部、喪失体験、抑圧体験と向き合えという。ダメな自分を徹底的に客観化、具体化し、自分と他者との関係性の本質を見出すことができたとき、「撮りたい」が「撮らざるを得ない」になって、創作の有効な武器になる。これは映像に限らずあらゆる創造行為、表現行為に通じることのように思った。

映像のモチーフは発明しない、発見しろと教えている回答者もいる。まったく新しいもの、自分だけのものは、誰にも理解されない。表現者は思いを社会的な価値観や共通の言葉に落とし込んで、それが誰にで伝わるようにする必要がある。

「新聞の三面記事や、テレビのワイドショー、ニュースなどを注意深く見ていれば、必ず自分が興味を魅かれる事件に突き当たるはずです。そこで、なぜ、その事件に魅かれたのかを考えてみるのです。その事件の求心力がどういうものであるかを分析し、さらに、その求心力がこれから作ろうとしている映画の求心力となりうるかどうかを検討するのです。」

インターネットをよく使う人は、自分が検索エンジンに入力したキーワード履歴や、アマゾンのお買い物履歴、ソーシャルブックマークに残したタグなどを見ると、自分の関心が具体的に見えてきたりするものだ。テクノロジーは世界を見るだけでなく、内面を見つめ直すのにも使えるように思う。

この本にはスウェーデッド・フィルム(短編パロディ自作)、ノリウッド(ナイジェリアの映画)、ライブビデオソフトのVVVVなど、トレンドやテクノロジーの先端的なキーワードがたくさん紹介されている。学生向けに編まれているように見えて、入門には終わらない。とても満足。

掘り出し物が多い東京都写真美術館のショップで発見した一冊。

・ヤンキー文化論序説
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凄く面白い。これまでスルーされてきた日本文化の本質を見事に突いた気がする。微妙なテーマであり、勇気ある研究フォロワーがどのくらい続くのかが気になるところだが。

五十嵐太郎、宮台真司、都築響一、永江朗ら気鋭の論客達が日本の「ヤンキー文化」を真面目に論じた論文集。多くの論者が自分はヤンキー体質ではなくて恐縮だがと前置きをしてから話を始めるのが特徴的である。

横浜銀蝿、BOOWY、矢沢永吉、つんく、SPEED、安室奈美恵、ヒップホップ、工藤静香、浜崎あゆみ、ケータイ小説、暴走族、気志團、YOSHIKI、DJ OZMA、祭り...。日本文化の底流に流れる不良的な要素を大衆は愛する。地域の祭りも元ヤンキーの大人達が取り仕切る。

「日本人の三大気質はヤンキー、ミーハー、オタクである」とナンシー関は言ったそうだが、このうちカルチャーの"ミーハー"と、サブカルの"オタク"は研究が進んでいる。それに対してヤンキーはどうか?。

「本来が不良社会のものであるヤンキー文化は必然的にその担い手が社会の下層に集中してしまうので、「知識人」としての評論家や研究者が生まれてくる余地がなかったのだ。」(暮沢剛巳)

「すなわちモノを言わない大衆である。日本の地方を下支えする文化なのかも知れない。彼らは上京するよりも、地方に根づく。そして良きパパ、ママとなる。筆者の個人的体験から言っても、地方から東京に移り、学歴が上にいくほど、まわりのヤンキー濃度は確実に減っていった。おそらく上京した研究者からは、かつて隣にあったおぞましいものとして無視されている。東京のメディアから情報発信することがない文化。これは見過ごされ、抑圧された日本精神の無意識である。したがって、ヤンキーを考えることは東京なき日本論につながるかもしれない。」(五十嵐太郎)

構造的にメディアの代弁者を持たず、インテリによる社会学の研究対象からも敢えてはずされてきた。だが彼らは分母としては巨大だ。ナンシー関は日本人の5割がヤンキー的なものを必要としていると推定した。「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」「民衆のゴシック」であるヤンキーは実は日本のサイレントマジョリティなのである。

「茶髪狩りのエピソードが示すように、ヤンキーはルールが嫌いといいながら、実際はルールが大好きである。集会の様式にもこだわるし、上下関係にも厳しい。先輩がいうことには絶対服従である。シンボルをとても大事にする。日の丸なんかも好きだし(日の丸が好きなのにYankeeとは)。また他人がルールを守らないことについては不寛容である。他人のことなんかどうでもいい、とはけっしていわない。」(永江朗)

そういわれてみればヤンキー的な生き方は実にオーソドックスな日本人的な生き方なのだ。であるがゆえに、日本では、品がない俗っぽい要素を効果的に取り込むことが大衆に受けるコツなのだ。彼らこそマスである。政治や選挙活動のスタイルがいつまでたっても"ベタ"な印象が強いのも、大衆がヤンキー的なものにひかれるからなのかもしれない。

マスに受けるものってなんだろうなと考える材料としてとても興味深い本だった。

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