Books-Culture: 2009年1月アーカイブ

絶頂美術館

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・絶頂美術館
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美術館をのぞいていると近代以前の絵画や彫刻に描かれる苦悶や恍惚の表情(ベルニーニの聖テレジアの法悦など典型例)が妙にエロティックに見えることがある。それは作品が置かれている場が文化的にかしこまった場だからこそ、きわだって感じられるのかもしれない。

著者は有名な芸術作品の恍惚絶頂表現の中に隠されたメッセージを次々にみつけていく。ヴィーナスのヌードの反り返る足指、少年のやけに濡れた瞳、不自然にバストやウェストを強調する姿勢など、明らかに性的ニュアンスが中世の作品にも含まれているのだ。

美術・芸術として自由にヌードや性を表現できるようになったのは最近のこと。かつて絵画の中の人物が脱ぐには、神話や古代史のワンシーンを描いているなどという口実が必要だったそうだ。なんだか"必然性"がなければ脱がない映画女優みたいであるが、それぞれの時代に固有の表現の制約があったからこそ、それぞれの時代なりの前衛的な表現が現れたのでもあった。

この本の主な内容は絶頂表現やヌードを話の肴にした文化史の講義だ。興味本位で読みすすめ、眠くならずに、美術館巡りの予備知識の勉強ができる。扱われている作品の写真も多用されている。

「ヌードを目の前にして自身の心に巻き起こる感情を、自身で眺めてみれば、その時の自分が求めているものやあこがれを知ることができる。ヌードは、単なる裸体のデッサンでもなければ、性的なエモーションを呼び起こす手段でもない。自分自身の理想や欲求やあこがれを映し出す鏡なのである。」

どういう目でヌードを見るか、実はこんな見方もできるよ、という鑑賞の幅を広げてくれる。「怖い絵」が好きな人におすすめ。

・綺想迷画大全
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005221.html

・怖い絵
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005184.html

・刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-807.html

・もう一つの日本 失われた「心」を探して
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産経新聞記者二人が海外取材を通して日本の変容をみつめる。

第一部は「日本人より日本人らしい」ブラジル日系人たちの取材レポート。日系人は150万人を超えるものの、大国ブラジルでは全人口の1%にも満たないマイノリティでもある。だからこそ2世、3世と世代交代してもアイデンティティとしての「日本人気質」を大切に生きている人たちが多い。

ブラジルには教育勅語を奉読する日本語学校があり、演歌をカラオケで歌う人たちが居て、天皇陛下や小泉首相を慕う人々がいた。勤勉実直で、年配者を敬い、礼儀正しいことを良しとする。現代日本では捨て去られてしまった「昔の日本人の美徳」が遠い国の日系社会では未だに守られていることに記者は感嘆する。

ブラジルに続いてパラオ、そしてスペインへ。日本からの移民達が作りだした日本の「親類文明」を旅するうちに、現代日本が経済的豊かさと引き換えに失ったものが明らかになっていく。

第二部はもうひとりの記者がブータンへ飛んだ。このヒマラヤ山麓の小さな国ではGNPではなくGNH(国民総幸福量 Gross National Happiness)という指標で国づくりを進めている。幸せ=財÷欲望。財を大きくして幸福になろうとするのが欧米式、欲望を小さくして幸福になろうとするのが東洋・仏教式。GNHの研究者は「例えばペットボトルの水が売れればGNPは上がるが、川の水が飲める国になればGNHが上がると私たちは考える」という。

ブータンの一人当たり国民所得は日本の五十分の1以下だが、人々はのんびりとした生活を日本人以上に幸福に暮らしている。ヒマラヤの自然と地域社会のつながりに囲まれていれば、過労死や自殺、ストレスとは無縁でいられる。顔つきも似ているブータンの人々の素朴な生活は、かつての日本の農村社会を連想させる。

ブラジル、パラオ、スペインの日系移民の社会とブータンの前近代的な村社会。意外な国で、日本人が自分を見つめ直すための鏡がふたつみつかった。彼らは根っこが我々と同じなのだから、今の日本の良いところも悪いところも客観的に指摘することができる。私たちは歴史的に欧米知識人に学ぼうとしがちだが、各国へ出て行った移民こそ格好の教師になりえるのかもしれないと思った。

現地日系人達の日本へのまなざし、受け止め方(例えば小泉首相がへりで降りた場所に着陸記念碑が建立されてしまうノリ)にも驚かされた。著者の二人は新聞記者らしい取材能力によって象徴的、印象的な事柄を次々に見つけて指摘する。産経新聞連載企画に大幅加筆したものだそうだが、新書というまとめ方でパッケージングされても、なかなか面白く読めた。

古き良き貧しい日本と、失ったものは大きいけれど豊かな日本。ま、何事もトレードオフということだとは思うのですけどね。

・封印作品の憂鬱
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一度は発表されたが何らかの事情で再発表が自粛された「封印作品」の謎を解明するドキュメンタリ。「封印作品の謎」「封印作品の謎2」に続く第3弾。今回のタイトルは「日本テレビ版ドラえもん」「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」「みずのまこと版『涼宮ハルヒの憂鬱』」。今回は3作品しか取り上げないが、これまで以上に執拗に関係者を追いかけており、一番濃い内容になっているように感じた。これを書くのに実に2年を費やしたそうだ。

特に面白かったのはやはり「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」だ。ウルトラマンの日本以外の著作権はタイのプロダクションが保有を主張して揉めているという話は結構有名だから私も知っていた。円谷プロとタイのプロダクションの間で交わされた契約書の真偽をめぐる裁判では、日本の法廷では契約書は本物、タイの裁判所では偽物という判断がなされて、この問題を一層ややこしいものにしている。

この章で取り上げられたのはそのタイのチャイヨープロダクションが資金を出して製作した映画である。両者の関係がこじれたため、現在は日本で上映されることはありえない状況になっている。タイ人の発想で作られたため、日本人からするとかなり奇異なシーンがあるのだが、特に異様なのはウルトラマン6人+タイの猿神ハヌマーンが、一匹の怪獣を取り囲んでボコボコにしてしまう集団リンチシーンであろう。YouTubeにばっちりこのシーンがアップされている。(長期間これが消されないのも著作権の所在が不明だからであろう。)

著者はタイに乗り込み、プロダクションの代表ソンポート・センゲンチャイへの直接取材を成功させた。ソンポートは60年代に円谷プロに特撮の留学し帰国後にタイで映画製作会社を興した。円谷プロの創始者円谷英二に師事した人物がなぜ裁判で争う最悪の関係性に陥ってしまったのか、ソンポートはいま何を考えているのかが明らかにされる。そして国内でも当時の関係者を綿密に取材することで、背景にある利害関係や関係者の思惑、確執がはっきりとみえてくる。

このシリーズを私が好きなのは、封印作品という特異点から見える昭和(ハルヒの章は平成だが)という時代のゆがみを描いているからだ。この著者が封印作品をライフワークとして追い続けるのは、表現の自由のためでもなければファン感情でもないのだろう。封印を解くたびに、新たな世界が見えてくる体験(読者もそれを共有する)に魅了されているのだと思う。単なるサブカルのトリビアに終わらないから読後の満足度が高い。

封印作品4が楽しみだ。今回執筆に2年かかったと言うから次は2010年くらいかなあ。

・封印作品の謎 2
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/03/-2-1.html

・封印作品の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/01/oiiia.html

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